坂崎幸之助

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坂崎幸之助
基本情報
出生名 坂崎幸二
出生 1954年4月15日(55歳)
血液型 O型
学歴 明治学院大学中退
出身地 日本, 東京都墨田区
ジャンル J-POP
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1974年 - 現在
レーベル ビクター音楽産業
(1974年 - 1975年
F-LABEL
1979年 - 1994年
Zeit
(1994年 - 1997年
EXPRESS
(1997年 - 2003年
EXPRESS,Virgin Music
(2レーベル同時在籍)
(2003年 - )
共同作業者 THE ALFEE
影響 ビートルズ
ザ・フォーク・クルセダーズ
吉田拓郎
岡林信康
ニール・ヤング
公式サイト THE ALFEE
  

坂崎幸之助(さかざき こうのすけ、1954年4月15日 - )は、バンド『THE ALFEE』のメンバーである。本名:坂崎幸二(さかざき こうじ)。血液型O型。東京都墨田区出身。東京都立墨田川高等学校卒業、明治学院大学中退。

BE∀T BOYS のメンバーとしてはじょんのれんと名乗る。

目次

[編集] 人物

芸名は自分の名前が嫌だったことと家の隣が電器屋だったことにより、パナソニックの創業者・松下幸之助にちなんでつけた。

アルフィーの初期のリーダーであり、今でもトークは坂崎が中心である。ギター、及びヴォーカル担当、ブルースハープパーカッション等も演奏する。

実家は墨田区の酒屋・武蔵屋坂崎商店。尚、エッセイストであり造園家・編集者でもあり日本路地・横丁学会の会長でもある坂崎重盛は叔父。ビジュアル系インディーズバンド「AILE」の元ベーシストである彩は甥。

幅広い交友関係を持つメンバーの中でもその交友関係は群を抜いて広く、音楽関係者のみならず田中長徳赤瀬川源平内山りゅう中村征夫といったカメラ繋がりの有名人や、矢追純一や某大学教授等多岐に及ぶ。過去には田中長徳氏が主催する東京カメラクラブのメンバーに招かれている程である。

メンバーの中でも特に話術に長けており、幼少期に落語家を志したというだけあって、ラジオやステージ上のMC等で聴く事が出来る軽妙かつ面白いトークには定評があり、"God Of DJ"の異名を取るほどである。かつて「スーパーFMマガジン・坂崎幸之助のNoru-Soru」が放送されていた頃は「FMステーション」誌のラジオパーソナリティ人気投票で、必ずといっていいほど上位にランクされていた。しかし、かつてはその喋りが仇となったのか、スーパーFMマガジンがスタートする以前は「社風に合わないから」という理由で、TOKYO-FMに出入り禁止にされていたと番組の最終回で語っていた。本人曰く「新曲を出しても高見沢や桜井は呼ばれるのに俺だけ出入り禁止なんて、こんなバカな話は無い(笑)」、との事だそうだ。

またモノマネも達者である。特に南こうせつのモノマネはかなりの物で、かつてフジテレビLOVE LOVEあいしてる」で、後ろを向いたKinki Kidsに二人でそれぞれ同じ歌を歌い、どちらが本物か当てさせるクイズを行ったところ、「全然わかんねー!!」と言わしめた。この他のレパートリーは加藤和彦忌野清志郎あがた森魚吉田拓郎、バリー・ギブ(ビージーズ)など多数。

[編集] 経歴

ビートルズ吉田拓郎ザ・フォーク・クルセダーズ等をルーツとする。しかしながら国内外でコピーしたアーティストは数多く、多方面から影響を受けている。

中学1年生の時に、ヤマハのFG110を購入する。アコースティック・ギターを購入したのは、家が下町の酒屋であるという体裁からであり、その当時本人は、ザ・ベンチャーズの影響か、エレキギターが欲しかったようである。「エレキを持つと不良になる」という当時の一般社会の考えからそうなったとも考えられている。

中学高校時には、毎日学校にギターを持って行き、休み時間になるとギターを弾いていた。進学校である都立墨田川高校では、ギターを学校へ持って行っても文句を言われないようにフォークソング同好会を設立し、初代会長となる(その同好会の後輩になるメンバーは、後に「終わりなきメッセージ」等のコーラスとして、THE ALFEEのレコーディングにも参加することになる)。

高校3年の4月に、フォークコンテストに一人で参加。そこで、後にメンバーとなる明治学院高等学校の3人グループ「コンフィデンス」と出会う。そのグループには桜井賢が所属しており、後にTHE ALFEEの母体となったグループである。坂崎は、そのとき知り合った2人と一緒に「へそ下3寸」というグループを結成したが、その年の夏に「へそ下3寸」を脱退してコンフィデンスに飛び入り参加し、そのまま一員となる。コンフィデンスとしてはシングルとLPを一枚ずつ出している(その後、坂崎の抜けた「へそ下3寸」はテレビ神奈川の「ヤングインパルス」に出演した)。

「桜井たちが進学する」という理由で、明治学院大学に入学する。この時に試験日を間違えてしまい、仕方なく二部の試験を受けて入学した。そこでは高見沢俊彦に出会い、フォーク嫌いだった彼をコンフィデンスに引き込む。フォーク好きの坂崎とハードロック好きの高見沢がなぜ友人になり得たかというと、ビートルズウッドストックでのCSN&Yのギターやコーラスに、2人が共感していたからだという。高見沢が加入して4人になったコンフィデンスは、デビューにあたってアルフィー (ALFIE) と改名し、1974年8月25日に、シングルデビューする。

デビューから再デビュー後の1980年代前半まで、一部の曲目は坂崎が作詞作曲を行っていた。1979年頃~1980年代前半、まだ無名だったアルフィーの知名度を上げるために、林家三平(初代)に師事し話術を磨き(この為現在でも海老名家と交友が深い)、積極的にラジオ番組に出演した。当時からのTHE ALFEEのファンの中には、彼のラジオ番組が入り口となった人が多数いるようである。

1982年以降に、アルフィーがいわゆるロックバンド系編成に変化するにあたっても、アコースティックギターを離すことはなく、バンドの独自のサウンドを作るうえで重要な要素をつくりあげた。しかし、ライブでは高見沢がアンプを何台も積み上げて爆音で演奏し、「坂崎さんはハードロックの曲のときは何をしているんですか」と言われたこともあったようだ。しかし、その爆音の中でもアコースティックギターのサウンドに凝っていた。爆音でもギターの板が共鳴しないように、ヤマハの技術者と工夫を重ねている。このときの技術者が、後に自身のブランドである"Terry's Terry"を興して独立し、坂崎のメインギターを作ったテリー中本である。

その一方で、ギターを担当せず自身がリードヴォーカルを取るハードなナンバー等もあり、いつもと違った一面を見せることもある。特にハードな曲ではハンドマイクでステージ上をアクティブに動き回る姿を見ることが出来る。また「GATE OF HEAVEN」(1984年)以降、シンセドラムをも担当することが多く「シンデレラは眠れない」(1985年)では、ギターを持たずにシンセドラムのみでテレビ出演、ステージでも多くの曲でシンセドラムのみ、あるいはギターとドラムの組み合わせといった、器用ぶりを発揮しており、マルチプレーヤーである。 また、ベースも弾くことが出来、コンサートのアンコール等で桜井がハンドマイクで歌う時に、代わりにベースを弾くこともある。元々ベースは、桜井が坂崎に教わったものである。

アルフィーが売れない頃から、所ジョージと親交が厚く、所のアルバムでのアレンジ・ギター演奏の他、映画『下落合焼とりムービー』での共演等もした。同じアパートで寝食を共にしていた時期もある。70年代後半、所ジョージのオールナイトニッポンに2時半の男として登場。当時は「坂崎こうのとり」と呼ばれていた。番組当日、所と家で曲作りをして一緒にニッポン放送へ向かい、出来た曲を番組内で披露するということをしていた。所の初期の未発表曲で、本人が忘れている曲でも坂崎だけが憶えている曲があるという。後に番組パーソナリティの座を譲られている。

ラジオ専門誌のDJ人気投票では、何度も1位に輝き、「KING OF DJ」を経て現在では「GOD OF DJ」と称されている。

現在も、ラジオのFM放送で自分の番組を持っており、NACK5の「K's TRANSMISSION」とJFN系列の「坂崎さんの番組という番組」の2番組でアルフィーの情報や自身のライブ、自らのリスペクトするアーティストの特集など自身の関心にそった特徴ある番組づくりをしている。

K's TRANSMISSIONで放送されたイムジン河の特集をきっかけに、映画監督の井筒和幸がこの番組を取材しパッチギ!の原案に重要な影響を与えている。作品に出てくる「坂崎」は坂崎本人と坂崎兄をモデルとした役柄になっている。

2004年に開通した九州新幹線のイメージソング、を即興で作曲したりもした。2004年徳島県吉野川遊園地に「坂崎さんのおさかなランド」がオープン、館長を務めているので、開館以来徳島を訪れることが増えている。

2007年、K's TRANSMISSIONの番組上で、加藤和彦との新ユニット和幸(かずこう)の結成を発表。1960~70年代の音楽を彼らの視点で再提示したアルバム「和幸:ゴールデン・ヒッツ」をリリースした。

2009年5月2日、同日コンサート中に父・幸太郎を亡くす不幸に見舞われる。奇しくも同日無二の親友でもあった忌野清志郎もこの世を去っており、「自分にとってとても大切な人を二人同時に亡くしてしまった」と激しく落胆、大きなショックを受ける。

[編集] 演奏技術

アコースティックギターテクニックは、特筆ものと言っても過言でないほど評価が高く、「ラブレター」、「シュプレヒコールに耳を塞いで」、「別れの律動(リズム)」、「Musician」などの楽曲でその実力が発揮されている。

[編集] 所有ギター

レコーディングにおいて使用するギターとライブ(アルフィー)において使用するギターは分けられている。ピックアップのないヴィンテージギターはアルフィーのライブにおいて使用されることはなく、お台場フォーク村等のアコースティックライブとレコーディング用に限られている。

エレキギターもいくつか所有しているがアルフィーの活動において弾くことはほとんどない。年一回のイベント「Dear BEATLES」において新作エレキギターを披露している。以下はレコーディング・ライブにおいて中心となってきたものである。

  • マーティン D-18(1961年製)- 1973年に購入したマーティン。初期のレコーディングではメインで使用された。
  • マーティン 000-28(1951年製)- 現在のレコーディングにおけるメインギター。オールラウンドに幅広く使われる。1954年製も所有する。
  • マーティン D-45 CUSTOM(1982年製) - 須貝重太から譲り受けたもの。サイズが7/8(9/10と表記されることが多いが、正確には通常のドレッドノートの8分の7サイズであり、プロダクションモデルとしては他に7-28、7-37Kが存在する。)となっておりレアなギターである。
  • ギブソン J-185 - フォーク・クルセダーズのアルバム「戦争と平和」において多用。アルフィーのシングル「タンポポの詩」のEDにおいても聴くことができる。
  • T's T NO.8 - ライブにおけるメインギター。テリー中本による制作で、最も信頼を置いて使用される。しかし1991年に製作されて以来、数多くのステージやレコーディングで酷使されてきた為、最近はステージで見ることは少なくなっている模様である。
  • T's T TJ-80 - ライブ等において使用されるが、現在は女性ソロアーティストの植村花菜に貸し出されている。
  • T's T 12strings - レコーディング・ライブ両方において使用される彼のメイン12弦ギター。
  • TSKシリーズ - テリー中本とのコラボによるブランド。Ts'T系のサウンドを踏襲している。国内のギターメーカーによってOEM供給される為、T'sTより比較的求めやすい価格となっており、購入者が増えている。近年ステージでの使用比率がT's Tを上回りつつある。
  • VGシリーズ - レコーディングで様々なギターを使用した楽曲を再現するべく、6弦ギターからダブルネックまで幅広く揃える。

その他ヤマハのカスタムメイドギター等、求めるサウンドや機能に応じて臨機応変に使い分けている。

なお、2008年マーティンから「和幸」のシグネイチャーモデルとして、加藤和彦モデルと共に坂崎幸之助モデルが登場した。

[編集] 趣味

多趣味としても知られており、度々早朝に起きては朝市や露店に買出しに行くなど、自分の本業以外でもアクティブに行動している。

クラシックカメラでは田中長徳偽ライカ同盟を結成。多数のカメラコレクションを所持する。他にも和ガラスやその他の骨董品も収集する。和ガラスのコレクションは著書にまとめられている。

ペットにも関心が深く、両生類爬虫類熱帯魚を多数飼っている。現在、家で飼われていた魚類・両生類は徳島のおさかなランドに移されている。1994年1月には、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)で商取引が禁止されているアカオオトカゲ2匹を無登録でペット販売業者に譲渡し、種の保存法違反などの疑いで書類送検されたことがある。(坂崎は「地方公演のため留守がちで世話が大変な上、規制対象となったことを知ってトラブルになるとまずいと思い譲渡した」と説明した。販売業者もその事を知らなかったそうで、後日坂崎に謝罪したという)

また、日本で発売されている一部の百科事典及び図鑑には、番組の企画で彼自身が撮ったムカシトカゲの写真が掲載されている。

猫は家に多数飼っているが、マンションでの飼育のためか何匹飼っているのかは公言されてない。また、不幸な野良猫をなくすための運動(病気の治療や野良猫を増やさないための避妊手術等)に協力しており、里親が見つかるまで自宅で預かる事も多いようである。自身のラジオ番組内で里親を募集する事もあり、リスナーから多くの里親希望者からのはがきが寄せられている。この辺りの事は著書「ネコロジー」(音楽専科社)に詳しい。 1990年代には20数匹の猫を飼育していたこともある。

2008年6月、江戸切子親善大使に任命された。

[編集] フォークの伝道

日本のフォークソング(1960年代~70年代)に関する知識は随一であり、フォークソングの特集番組の司会を務めるなど、当時から活動しているフォークミュージシャンと共演し、若い層にフォークソングを広めることに一役買っている。たびたび歌っていた本人よりも曲を知っていることがある。

バラエティー番組に出演の際は必ずと言っていいほどギターを抱え、話題に登った曲をすかさず弾き、ギター界の横森良造の異名を取る。またこの際には南こうせつ吉田拓郎の物まねをする事もある。1981年には「BEAT BOYS」名義で吉田拓郎のヒット曲をものまねメドレーでつなげた曲をリリースしたこともある。

2002年にはザ・フォーク・クルセダーズ新結成時のメンバーにもなり、オリジナルメンバーの加藤和彦らから「僕らよりもフォークルをよく知っている」と驚かれた。 ちなみに初めてラジオにリクエストハガキを読んでもらったのがフォークルの「花のかおりに」であり、2002年のフォークルの新結成時の1回きりのコンサートのソロコーナーでカップリングの「何のために」とともに披露している。

2002年に「朝まで生つるべ」にゲスト出演したのがきっかけで不定期で「朝まで歌つるべ」が放送されることなりこの二つの番組でレギュラー出演している。 2003年夏からは「坂崎幸之助のお台場フォーク村」が始まり、ベテラン・若手を含めて多数のミュージシャンとのステージを行っている。

小室等からは「フォーク界の介護士」と呼ばれる。なぎら健壱との「フォークジャンボリーズ」、谷村新司との「アリーズ」、南こうせつとの「クローンズ」など、セッションによってできた非公式なグループは数知れない(坂崎二郎名義で「座・ジローズ」に飛び入り参加したこともある)。[要出典]

[編集] 出演(坂崎単独でのレギュラー出演のみ)

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] イベント

  • BEATLES College(1996年~2001年・TBSホール、府中の森芸術劇場)
  • ともえちゃんフォークジャンボリー 坂崎幸之助商店(2002年~・お台場フジテレビ周辺)
  • 坂崎幸之助のお台場フォーク村(2003年~・studio DREAM MAKER)
  • Dear BEATLES(2003年~・府中の森芸術劇場

[編集] 著書

[編集] 単行本

[編集] 写真集

[編集] 雑誌連載

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月19日 (木) 08:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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