坂本太郎 (テレビドラマ監督)

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さかもとたろう
坂本太郎
生年月日 1939年9月20日(70歳)
出生地 日本の旗日本岡山県
民族 日本人
ジャンル 演出家、映画監督
活動期間 1982年 -
主な作品
ペットントン
スケバン刑事 (実写版)
おもいっきり探偵団 覇悪怒組
五星戦隊ダイレンジャー
仮面ライダー響鬼

坂本 太郎(さかもと たろう、1939年9月20日 - )は、特撮テレビドラマ作品の監督演出家である。岡山県出身。日本大学藝術学部卒業。

目次

[編集] 来歴・人物

1969年、『プレイガール』にて助監督として関わり、キャリアをスタート。以後『がんばれ!!ロボコン』や『特捜最前線』などで助監督を務めあげ、田中秀夫、奥中惇夫、野田幸男天野利彦らアクション、刑事ものを数多く撮った監督達に師事した。

監督に昇進後は、東映不思議コメディーシリーズスーパー戦隊シリーズ、『スケバン刑事』シリーズなどを手掛けた。2002年にはスーパー戦隊シリーズの海外制作版である『パワーレンジャー・ワイルドフォース』を手がけるため単身ロサンゼルスに渡米したこともある。同番組終了後に帰国し、2003年に『爆竜戦隊アバレンジャー』より再び東映テレビシリーズに監督として復帰。『仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼』(2005年9月3日公開)では映画監督としてもデビューを果たす。

不思議コメディーシリーズなどでの脚本家・浦沢義雄とのコンビの作品が有名で、相性のよさもあってか傑作が多く、ファンからの人気も高かった。この二人のコンビを「ゴールデンコンビ」と称する声もある。

東映特撮監督陣では最古参で長石多可男と並ぶ重鎮的存在であったが、2007年5月の『仮面ライダー電王』第18話を最後に、東映テレビ作品の演出からは退いた。そして2年以上の沈黙を経て盟友・高寺成紀プロデューサーが手掛ける『大魔神カノン』(2010年放映開始)のメイン監督に就任、現在制作中であり70歳を越えても今尚現役である。

[編集] エピソード

  • 大学時代は東條昭平、佐川和夫と日芸で同期。
  • 1982年の暮れに監督昇進の話が持ち上がり、当時助監督を務めていた『宇宙刑事ギャバン』で監督デビューするという話もあったが、結果的に『ギャバン』は同作品で同じく助監督だった坂本とはほぼ同期の小笠原猛が監督昇進することになり、坂本は不思議コメディーシリーズの『バッテンロボ丸』にて監督デビューを果たすことになった。当時坂本は43歳であり、かなりの遅咲きともいえるデビューとなった。
  • 監督昇進直後も監督としてローテーションが保障されているわけではなかったため、『バッテンロボ丸』の演出と平行しながら、『特捜最前線』でしばらくは助監督も兼任していた。
  • 監督デビューから1年経たないうちに、次回作の『ペットントン』で早くもメイン監督を任されることになる。なお、当初『ペットントン』のパイロット監督は山田稔に依頼があったようだが、山田がその依頼を断ったとの逸話が残されており(ソース:平山亨氏の著書)、坂本のパイロット登板は実は窮余の策ではあった。
  • パイロット監督の代行といえば、『スケバン刑事』も当初は小西通雄が演出を担当する予定だったが、小西の都合が悪くなったために坂本がメガホンを執っている。
  • デビュー作品の脚本を書き、以後も数々の作品でコンビを組んだ浦沢義雄について、坂本は自身がほぼひと回り年長にもかかわらず「僕は監督として浦沢さんに育てられたようなものですから」と雑誌のインタビューにて感謝の念を語っている。また、久々に『爆竜戦隊アバレンジャー』で浦沢と組むことになったときに、浦沢の手書きの原稿を読んで「昔から浦沢さんは変わっていない」と再確認して嬉しくなったという。浦沢も雑誌のインタビューにて、想い出に残る監督という質問に対し坂本の名前を挙げていた。
  • 不思議コメディーシリーズに多数出演していた俳優の佐渡稔は、印象に残る監督という質問に対して田中秀夫とともに坂本の名を挙げている。佐渡は「とにかく優しい人ですし、自由にやらせてくれる監督なんですよ」と語っている。「優しい監督」という趣旨の発言は、花島優子と下島裕司、「自由にやらせてくれる監督」という趣旨の発言は斉木しげる末永遥も同じく述べていた。
  • 下記の作品以外の仕事としては、『パワーレンジャー』の特撮カットを日本で撮影していた際、素材関係で演出の補佐に携わっていたことや、柴田理恵佐藤正宏との付き合いが長かったせいか、WAHAHA本舗の舞台公演のショートコントの脚本を書いたことがある。
  • 『パワーレンジャー・ワイルドフォース』を手掛けるために渡米するときに、助監督として坂本に師事したこともある田崎竜太監督が主催した壮行会が開催されて、延べ150人くらいが参加したとのこと。また長年の付き合いである日笠淳プロデューサーは、坂本のことを「坂本師匠」と呼び慕うなど、坂本の人望の厚さが窺える。
  • プロデューサーとして20年来の付き合いのある高寺成紀は、雑誌「宇宙船」にて坂本を「釣り好き、酒好き、女好き」と冗談交じりで評していた。
  • 撮影監督のいのくままさおとは同年齢で、家族ぐるみの付き合いをしているという。いのくまによると、坂本の演出スタイルは映像面はほぼ撮影技師に任せる昭和スタイルであり、撮影がビデオの作品でモニターチェックが容易であったとしても、画面の構図などは撮影技師に一任する傾向にあるという。
  • 第5話から参加した『仮面ライダー響鬼』ではシナリオで指定されていたミュージカルタッチのシーンを「必然性を感じない」という理由でカットした。第4話までは必ずあったシーンだが、以降同番組ではミュージカル演出は姿を消している。
  • 誕生日は9月20日であるが、偶然にも後輩筋にあたる渡辺勝也と同じ誕生日である。

[編集] 監督作品

[編集] テレビ

[編集] 映画

[編集] オリジナルビデオ

[編集] 関連人物

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月10日 (火) 04:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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