堂垣内尚弘
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堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年6月2日 - 2004年2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。学位は工学士(北海道帝国大学)。称号は剣道範士。
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[編集] 来歴・人物
札幌市出身。1938年北海道帝國大学(後の北海道大学)工学部卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年同庁事務次官となる。
その後1971年、町村金五の後継として保守陣営から北海道知事に当選し3期務めた。知事退任後、第13回参議院議員通常選挙に自由民主党の比例代表候補として立候補するが、名簿搭載順位が27位と低く落選している。その後、北海学園大学工学部教授(道路交通学)に就任した。
1989年には学校法人・東日本学園大学(後の学校法人・東日本学園、現北海道医療大学の運営法人)の理事長に就任する。1995年には学校法人・東日本学園の名誉理事長となる。
また、北海学園大学教授であり、同じ学部学科の後輩の坂上孝幸に「土木屋は学長も務めるべき」と励まし学長に就くことを強く促したという逸話もある。
[編集] 評価
- 歴代北海道知事としての評価は高い。部下の使い方が上手であり、札幌オリンピックなど経済発展に寄与した、人柄が良かった、中央とのパイプが太く北海道の開発事業が進んだなどが理由となっている。
- 知事退任に伴い、後継者に三上顕一郎副知事を指名したが、三上は日本社会党推薦の横路孝弘(衆議院副議長)に敗れた。
[編集] エピソード
- 1976年のさっぽろ雪まつりの会場において、来日していたソ連の対日外交責任者のイワン・コワレンコが「返せ、北方領土」の看板の撤去を命令調に要求したが、堂垣内知事は毅然として拒絶している。コワレンコはシベリア抑留に関与しており日本人を見下す姿勢を持っていた。
[編集] 受賞歴
[編集] 著書
- 『北海道道路史』(共著、北海道道路史調査会、1990年)
[編集] 参考文献
- 北海道新聞社 - 北の隣人・日ソ国交回復30周年(1986年)
- 日外アソシエーツ編『20世紀日本人名辞典』(紀伊国屋書店)
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最終更新 2009年4月22日 (水) 13:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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