塩田

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曖昧さ回避 この項目では、塩を海水の蒸発によって取り出すための土地について記述しています。地名については「塩田町」をご覧ください。


塩田(えんでん)は、大量の海水から水分蒸発させ、だけを取り出すために用いられる場所および施設。

目次

[編集] 日本の製塩方法

岩塩の採掘が主なヨーロッパに対して、日本は海水から簡単に塩を採取できそうだが、塩を採取するためにはかなりの熱量と労力が必要だった。西暦400年ころから平安時代(西暦1100年)ころまでは土器製塩が、その後、塩田と大型の鉄や土に釜、製塩炉を使って大量生産をした瀬戸内の製塩地帯による製塩が、昭和の高度経済成長期までは、国内での塩の生産方法として主に海水からの製塩が用いられた。

[編集] 塩浜

調(特産品の物納)を平城京に収めた塩の流通の記録が、平城京で発掘された木簡により最古の記録として残っている。木管からは、主に西日本の塩浜において塩が生産れたことが伺われる。主な産地は若狭(49%)、周防(16%)、尾張、紀伊(11%ずつ)である。これらは、塩浜(塩田はなく)で、海草を利用して採鹹(さいかん)し、濃い塩水をつくり、それを土器(須恵器は温度差に弱く鹹水追加の際に破損するので使えない)によりせんこうして作られたとされるが、その作成方法は定かではない。

[編集] 塩田

日本における塩田は、海水を濃縮してかん水を得るためのもので、塩田で結晶化した塩をとるものではない。「塩田」という言葉は、明治以降地目として塩浜を「塩田」といったことに始まる。

藻塩焼の時代を経て、塩の需要が増大するに従い、海水からかん水を採取する採かん作業に、海水中の塩分が付着した海浜の砂(塩砂)を利用する塩田法が発達した。

大きくは「揚浜」と「入浜」という二つの形態に別れて発展し、塩田として整備されていった。近世以降、製塩環境に恵まれた瀬戸内地域を中心に、大規模な入浜式塩田が開拓され「十州塩田」として、日本最大の塩の生産地となった。一方で、他の地域でも、それぞれの環境に適合した形態の塩田での製塩が見られた。

1950年代にはポンプを利用する流下式(枝条架)塩田が開発され労働が軽減されるとともに、生産性が著しく向上した。1972年のイオン交換膜による海水濃縮の導入により、最終的には塩田は姿を消したが、伊勢神宮の御塩浜・能登半島の揚浜が神事用や無形文化財として残された。現在では、兵庫県赤穂市など数ヵ所に社会教育施設として塩田が復元され、体験教育などで活用されている。

揚浜式や入浜式、流下式では塩田で濃い塩水(かん水)まで作る。この塩水を火力等で煮詰めて、最終的に塩の結晶を得る。

[編集] 揚浜式塩田

揚浜式塩田(石川県珠洲市

盛土の上に、海水が地下に染み込まないように粘土やビニールシートなどで防水層を形成する。さらにその上に粒子の細かい砂を敷き詰める。砂の上に海水を丁寧に散布して天日と風力により水分の蒸発を行う。海水散布の合間に砂を時々攪拌して、水分蒸発を促進させる。海水散布と砂の攪拌を何度も繰り返し、充分に水分が蒸発した後、砂をかき集めて、海水で洗い、濃い塩水を作る方法。塩田にされる土地が海面よりもやや高く、満潮を利用して海水を塩田に引き入れる困難な土地を中心に行われた。古くは農家の副業として自家労働によって農業の余暇時間に行われ、1塩戸分の塩田面積は1段歩前後が通例で、煮詰用の製塩釜は多くは共同使用であった。器具操作は改良がなされることは少なく、旧慣を墨守するふうが強かった。

[編集] 入浜式塩田

入浜式塩田(香川県宇多津町

基本的には揚浜式と同じ。ただ、海水を塩田に取り込む方法として、潮の干満を利用する。これにより揚浜式で必要だった海水を散布する必要が無くなり大幅な労力の省略ができるようになった。江戸時代前期頃に開発されたと考えられている。いち早くこの方式を導入した瀬戸内海沿岸地域(長門・周防・安芸・備後・備中・備前・播磨・阿波・讃岐・伊予)で生産された塩は品質が高く、「十州塩」と称されて、上方から江戸を含めた全国各地の市場を席巻した。

1塩戸の大きさはふつう2町歩内外で、塩戸ごとに1個の「釜屋」という鹹水煎熬場が付属した。塩田地盤構造は2種に分けられ、一は天然地盤で、築造は海岸砂地を平坦にしたのみで、地盤は1層である。他は人工地盤で、ふつう3層から成り、上層は最細粒の砂層から成り、撒砂は上層に行われ、中層はこれにつぎ、下層は粗粒砂で多くは天然地盤である。砂は地元の海底に沈降した粘土分の少ない最も細粒の砂を採取して使用し、黒色のものが蒸発をさかんにするといわれた。この方法を採る者は専業者が多く、おのずから改良が多く行われ、たとえば鹹水の煮詰めは一部で開放式平釜から大規模な機械製塩法に改められるなどのことがあった。

[編集] 流下式(枝条架)塩田

塩田の代わりに立体的な枝条を利用して鹹水(かん水)を作る。1950年代からイオン交換膜製塩法が導入される1972年までの間に用いられた方法。海水が地下に染み込まないようコンクリートやビニールで防水された緩やかな斜面(「蒸発層」とよばれる)に流し、水分を蒸発させ、海水濃度を高める。蒸発層を数回通過した海水を、竹や細いビニール管をまとめてホウキ状にし、いく層にも集めて棚にまとめた枝条架(しじょうか)の上へと散布する。枝条架に付着した海水に風をあてる事で水分を飛ばす。これにより入浜式においても必要だった、塩田上の砂の攪拌の作業をする必要が無くなった。また風による水分蒸発を主とするため、比較的日照時間の短い場所や季節でも塩の生産が可能になった。

かつて明治初年、山形県鼠ヶ関島根県杵築でおこなわれたが、成績がかんばしくなかった。海岸の断崖の上で常に風の吹く場所で、高さ数十尺の棚を作り、これに枝条をつめ、上部から海水を撒布し、海水が枝条を伝わり落ちる間に風のために蒸発し、脚部の鹹水貯留場に落下するときはそうとう濃度の高い鹹水となる。これを汲み上げて枝条に同様に枝条に二三回かけ、ボーメ氏比重16度前後になれば、平釜その他の煎熬装置によって製塩する。

[編集] イオン交換膜製塩法(塩田の終焉)

1972(昭和47年)以降、日本の製塩法はイオン交換膜電力を利用して鹹水(かん水)を作り、真空式蒸発缶(しんくうしきじょうはつかん)で煮つめる方法に変わった。イオン交換膜法では、大面積の塩田が不要となり、日照にも左右されず、労力や多くの燃料を使わずに能率よく経済的に製塩でき、しかもイオン交換膜が、マグネシウムカルシウムカリウムなどの塩の味としての有用なイオンは通すが、PCBのような化合物(巨大分子)や重金属などの大きな物質は通さないため、ある程度汚れた海水からでも、有害物質を濃縮しないという製塩に都合のよい性質も持ち、優れた品質の塩が生産できる。このため、塩を生産するための塩田は各地で消滅し、臨海工場などに変貌した。

[編集] 日本各地の塩田

  • 揚浜式塩田による製塩は、石川県珠洲市でいまも行われており、石川県の無形文化財に指定されている。ここでは夏の間、一般の人が揚浜式塩田による製塩を体験できるイベントが開催されている。
  • 伊勢神宮の御塩浜(御塩殿神社)は、かつては海岸での揚浜式であったが、江戸時代に河口付近での入浜式に変更された。毎年7月下旬の土用の1週間だけ使用する。
  • 香川県宇多津町にある「うたづ臨海公園」には、入浜式を復元した塩田(ただし復元後はポンプによる海水の入水)があり、宇多津町産業資料館(塩田に関しての資料が展示)が隣接している。そこでは製塩体験を行っていたが、作られた塩の販売をするようになっている。
  • 兵庫県赤穂市にある兵庫県立赤穂海浜公園には、揚浜式と入浜式を復元した塩田がある。
赤穂海浜公園内の塩田
  • 千葉県行徳(現市川市)では、古くから製塩が行なわれていたが、徳川家康が戦時江戸城での籠城に備えて塩を確保するために、行徳の塩業を保護し、江戸と行徳を直接結ぶ小名木川運河を造り、直轄地に組み込んだ。このことにより大規模に塩田が開かれ、製塩が盛んとなった。質的には瀬戸内産に劣るため、明治以降次第に衰退して、昭和前期には廃絶した。塩田があった名残から、現在でもそれに因んだ地名が見られる(塩浜、塩焼)。
  • 観光用に愛知県美浜町にある食と健康の館に流下式(枝条架)塩田がある。実際に製塩体験をすることも出来る。

[編集] 日本以外の塩田

外国の塩田は海水を濃縮して結晶化した塩を作るもので、天日塩田という。ただし、歴史的には濃縮のみの塩田も古くは中国、ヨーロッパなどで行われたことが知られている。自給率の低い日本では主にメキシコ・オーストラリアの天日塩田で生産された天日塩を輸入している。

[編集] 天日塩田

レ島 (Ile de Ré)(フランス)の塩田

太陽光だけで海水から塩の結晶を生産する塩田方法。最も効率的な生産方法である。メキシコオーストラリア西部など降水量が極めて少ない砂漠海岸が接する地帯にある。降水量の多い日本では、天日塩田は用いられていない。メキシコゲレロネグロにある世界最大の塩田はこの方式である。アメリカ、ユタ州グレートソルト湖では海水の7倍という濃さの湖水を導き入れ、青緑色の色素を溶かした上で天日で蒸発させている。色素は太陽光の吸収量を増すために加えている。

デュナリエラ・サリナという緑藻の一種が大発生すると、この藻がカロテノイドを大量に産出し、水面が褐色系のオレンジ色に染まることがある。また、高度好塩古細菌が産出するバクテリオベルリンやバクテリオロドプシンによりピンク色になる場合もある。

[編集] 特徴

世界の塩の生産で見ると、塩田による塩の生産量は、岩塩の採掘による塩類の生産量の半分程度にとどまっている(2002年データより)。

日本での揚浜式や入浜式塩田による塩の生産性は、その性質上、日照時間が長く・干潮満潮の海水面の差が大きい地域(瀬戸内地方能登半島など)に限られる欠点がある。また気温が低く日照時間の短い冬場の生産も難しい。そのため日本では、1970年代から天候自然現象・季節に左右されないイオン交換膜製塩法による生産が大部分を占めるに至る。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年9月18日 (金) 19:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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