増原惠吉
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増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年1月13日 - 1985年10月11日)は、昭和期の政治家、官僚。初代警察予備隊本部長官・元行政管理庁長官・防衛庁長官。
[編集] 来歴・人物
現・愛媛県宇和島市に、増原定藏の二男として生まれる。西条中学、第一高等学校 (旧制)を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、内務省に入省する。一期下には林敬三がいる。主に警察畑を歩み、大阪府警察局長、警視庁警務部長を経て、1946年官選香川県知事となる。翌1947年には同県初の公選知事となる。
その後、選挙遊説のため香川県を訪れていた吉田茂首相の目に留まり、1950年警察予備隊が発足すると本部長官に就任する。引き続き1952年に保安庁次長、1954年に防衛庁次長を務める。1957年、愛媛地方区における参議院補欠選挙に自由民主党から立候補し当選を果たす。以後4回当選。
自民党では藤山派を経て福田派に所属した。1964年第3次池田内閣改造内閣にて行政管理庁長官兼北海道開発庁長官として初入閣する。1971年第3次佐藤内閣改造内閣にて防衛庁長官に就任するが、就任直後の同年7月30日、自衛隊機と全日空機が衝突し162名の死者を出した全日空機雫石衝突事故が起き引責辞任する。1972年第1次田中角栄内閣にて再び防衛庁長官となるが、増原内奏問題でまたしても引責辞任を余儀なくされた。1977年政界を引退。
1977年に勲一等旭日大綬章を受章した。
1985年10月11日、急性心不全のため逝去。享年83(82歳没)。叙・正三位。
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最終更新 2009年12月2日 (水) 09:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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