多賀英典
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| 多賀 英典 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 多賀 英典(同じ) |
| 学歴 | 横浜市立大学卒業 |
| 出身地 | |
| ジャンル | フォーク J-POP |
| 職業 | プロデューサー |
| 活動期間 | 1970年代 - 現在 |
| レーベル | キティ ポリドール |
| 共同作業者 | 該当項目を参照 |
多賀 英典(たが ひでのり)は、日本の音楽プロデューサー。小椋佳や井上陽水の作品を手がけ、黒盤(アナログレコード)総生産数1位から5位中3枚のアルバムを叩き込んだ日本音楽界屈指の伝説のプロデューサーである。キティ・レコードやキティ・フィルムをグループ会社としてもつキティ・グループの創業者でもありキティ・フィルムの社長でもある。横浜市立大学卒業。
目次 |
[編集] 来歴・人物
レコード会社ポリドールの音楽ディレクター・プロデューサーとして、小椋佳[1]や井上陽水を手がけ[2]、黒盤(アナログレコード)総生産数1位から5位中3枚のアルバムを叩き込んだ伝説のプロデューサー。特に井上陽水に対する影響は大きく、楽曲「心もよう」の曲名は多賀が命名したものである[3]。後にキティ・ミュージック・コーポレーションを設立[4]。音楽だけでなく『限りなく透明に近いブルー』を皮切りに多数の映画や、『マルコポーロの冒険』『うる星やつら』『らんま1/2』『めぞん一刻』『銀河英雄伝説』などのアニメ、『翔んだカップル』などのテレビドラマも手掛けた。キティを去った後、我那覇美奈[5]や松たか子も手がけている[6]。1992年4月に起きた賭博事件により社長を辞任し、経営から手を引いていたが2008年5月にYOZANが保有していたキティライツ&エンターテイメントの株式を多賀に譲渡し、再びキティの経営に関わり社長に復帰した。
[編集] 会社
小椋佳と井上陽水の成功によりポリドールから独立して1972年10月「キティ・ミュージック・コーポレーション」を設立。後に「キティ・エンタープライズ」、さらに「キティ・グループ」に社名変更した。
その子会社として以下の会社を持つ形となっていた。
- キティレコード株式会社(レコード原盤制作・製造会社)
- 株式会社キティ・フィルム(映像製作会社)
- 株式会社キティアーティスト(芸能プロダクション)
- 株式会社キティビデオ(映像販売)
- KRS Studio(レコーディングスタジオ。現・青葉台スタジオ)
- スタジオキーストーン
- キティ伊豆スタジオ(日本初のリゾートスタジオ)
- 株式会社MIX(録音エンジニアリング会社)
- 株式会社コマーシャル・ギャング・オブ・キティ(アニメ制作プロモート)
- 旗亭(きてい・焼鳥屋)
ちなみにKittyは設立5人の頭文字を取ったと言われている。
1992年4月に起きた賭博事件により社長を辞任。その後会社が低迷し、キティレコードはマーキュリー・ミュージックエンタテインメントと合併しキティMMEとなった。最終的にポリドールと同じポリグラム(後のユニバーサルミュージック)系列の外資のユニバーサルミュージックにポリドール、トーラスレコード、ユニバーサルビクターと共に買収され統合されてしまう。ちなみに「キティMME」は多賀がキティを去った後の会社で、南佳孝などのプロデューサーだった高久光雄が社長に就任し、ユニバーサルミュージックの傘下になった。統合された後もユニバーサルのレーベルとして数年存在し、2004年頃には新たに設けられた邦楽レーベルのユニバーサルシグマの内部レーベルとなったのに合わせKitty Mercuryというレーベル名となりロゴマークも一新されたものの、所属アーティストのほとんどが同じユニバーサルシグマ内のA&M RECORDSへ移籍したのを受けて消滅。日本の音楽市場から完全にキティの名前はなくなった。
2008年5月に通信会社であるYOZANは保有していたキティライツ&エンターテイメント(キティフィルムの議決権を持つ会社)の株式を多賀に譲渡し、多賀が再びキティの経営に戻ることとなった。
[編集] 手掛けたアーティスト
- 加藤登紀子
- 小椋佳
- 井上陽水
- カルメン・マキ
- RCサクセション
- 来生たかお
- 高中正義
- 上田正樹
- センチメンタル・シティ・ロマンス
- 安全地帯
- H2O
- 薬師丸ひろ子
- 原田知世
- 高田真樹子
- 原江梨子
- 我那覇美奈
- 松たか子
[編集] 手掛けた映画
- 限りなく透明に近いブルー
- 太陽を盗んだ男
- 翔んだカップル
- セーラー服と機関銃
- みゆき
- だいじょうぶマイフレンド
- うる星やつらシリーズ
- プルシアンブルーの肖像 (初監督作品)
[編集] 受賞歴
- エランドール協会賞(1987年)
[編集] 参考文献
- ^ 富澤一誠「小椋佳」 Ongen、2006年2月8日。
- ^ 西日本新聞編集部「九州歌謡地図 第5部・井上陽水の世界<10>ミリオンセラー 大ヒットに戸惑い始めて」『西日本新聞』、2006年11月28日。
- ^ 川瀬泰雄「井上陽水のヒット曲「心もよう」は故郷の博多へ帰ったとき作った曲、彼自身が付けた題ではなかった!」『川瀬泰雄のmy chronicle』、1997年初出。
- ^ 高田真樹子「Maiko Takada」 高田真樹子ウェブサイト、2007年
- ^ TERA@moment(インタビュアー)「talk & interview 我那覇美奈」 moment、2005年3月29日。
- ^ 遠藤千香子「プロモーションビデオ完成! たくさんの松たか子に出会える。」 松たか子オフィシャルウェブサイト、1999年9月。
最終更新 2009年11月2日 (月) 02:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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