大丸

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株式会社 大丸
The Daimaru, Inc.

大丸心斎橋店:設計ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。重厚な近代建築で、日本の百貨店建築の最高傑作として名高い。日本におけるDOCOMOMO100選に選定されている。写真の「DAIMARU」の縦書き看板は、現在撤去された。

種類 株式会社
市場情報 非上場。以下は過去のデータ。
大証1部 8234 2007年8月28日上場廃止
東証1部 8234 2007年8月28日上場廃止
本社所在地 (大阪・心斎橋店)〒542-8501 大阪市中央区心斎橋筋一丁目7番1号
(本社ビル)〒542-8551 大阪市中央区南船場四丁目4番10号
設立 1920年(大正9年)4月16日
業種 小売業
事業内容 百貨店事業
代表者 代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO) 奥田務
代表取締役社長兼最高執行責任者(COO) 山本良一
資本金 20,283,044,920円
売上高 4,670億円
(2009年2月期中間予想・単独)
総資産 2,839億200万円
(2009年2月期中間・単独)
従業員数 3,292人
(2007年8月31日現在・単独)
決算期 2月末日
主要株主 J.フロント リテイリング 100%
主要子会社 博多大丸、高知大丸、下関大丸、今治大丸
関係する人物 下村彦右衛門正啓
北沢敬二郎
下村正太郎
井狩彌治郎
里見純吉
外部リンク www.daimaru.co.jp
  
大丸心斎橋店北館(2009年11月14日開店)
大丸心斎橋店北館
2009年11月14日開店)
大丸梅田店
大丸梅田店
大丸東京店(2007年10月31日閉店)
大丸東京店(2007年10月31日閉店)
大丸東京新店
大丸東京新店
大丸京都店
大丸京都店
大丸神戸店
大丸神戸店
大丸札幌店
大丸札幌店

株式会社大丸(だいまる、英称The Daimaru, Inc.)は、日本の大手百貨店の一つ。近畿地盤の老舗百貨店で、大阪(心斎橋梅田)・京都・神戸・東京・札幌に主力店舗を構えており、この6店舗だけで単体の91%の売り上げを占めている。

営業利益率(2009年2月期中間)は2.2%。

目次

[編集] 沿革・概要

1717年に下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区京町北八丁目77に呉服店 大文字屋を開業し、呉服商を出発点として両替商を兼営していた。1726年大阪心斎橋に進出。1728年に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。

大塩平八郎の乱では、「大丸は義商なり」と焼き打ちを免れたという。これは往時の豪商が施餓鬼(せがき)として毎年貧しい人に食料や衣服等を、今日の援助物資やボランティア的な活動を行って利益の再分配をしていたことへの庶民感情を汲みした表れでもある。また幕末には幕府軍に物資を調達した[1]。これら『先義後利』の精神は現在も大丸の企業理念として継承されている。

1908年11月、個人商店「大丸呉服店」を株式合資会社に転換。その際、下村家当主が早稲田出身であった縁から大隈重信の配慮で、早稲田出身の銀行家杉山義雄を専務理事として迎え入れ改革に乗り出した。杉山は急激な改革を実施して、古い店員や別家たちの反感をかった。

このとき杉山は資本金50万円のうち3万円を出資していたが、株式の譲渡については無限責任社員(出資者全7人)の同意を必要としたので、下村一族以外に株式が流れる心配はなく、資本金のうち、20万円は従業員や別家に割り当てられた。
ところが、約40軒の別家が旧式であるところに杉山が急激な改革を実施し、それが不況と重なりついに杉山は退任に追い込まれる。
その後、1910年に東京信託会社の岩崎一が改革案を作成し、ついで大隈重信の斡旋で日本生命社長片岡直温が改革に乗り出し、同年秋には東京店と名古屋店とを閉店し、京都、大阪、神戸店を拡張して再建に乗り出した。下村家は秘蔵の書画骨董を売りたて、約30万円を調達して資力を増強し、1911年1月22日に別宅会を解散し、積立金を割り戻す決定をした。
しかし1914年には大阪店が不渡りの手形を出して、京阪二店が休業するなど問題が続発した。

このように呉服店から百貨店への転換過程において幾度の多難を乗り越え、1928年大丸と改称し近代化に成功した。

大丸のマークは、当初は「大」の字を丸で囲んだ意匠[2]だったが、1983年の梅田店開店の際に現在の孔雀の羽根を図案化[3]したCIマークに改められた。但し正式な社章は現在も旧来のもので、心斎橋店・南館屋上のネオンサインや、一部店舗(下関大丸など)の外装にも健在である。

高度成長期は三越と並び「西の横綱」といわれたが、バブル崩壊後業績は低迷。奥田務が社長就任後、他の百貨店よりも一足早く1998年より事業構造改革に乗り出し、国内不採算店舗の閉鎖や海外店舗の全面撤退、人員削減に取り組んだ。その一方、2003年には札幌店を開店し軌道に乗せている。結果として改革は成功し、収益力を業界首位級に押し上げた。

2007年3月14日松坂屋(正確には松坂屋ホールディングス)との経営統合を決定。2007年9月3日に新たに株式移転方式で共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立し、その傘下に入った。

2010年3月に松坂屋と合併し、百貨店事業を一社体制に統一、商号を「大丸松坂屋百貨店(仮称)」とする予定。既存店の名称は変更しない。

[編集] 店舗

[編集] 直営店

心斎橋店、梅田店、京都店、神戸店等関西各店の「店」は「てん」と音読みせず「みせ」と訓読みする。それぞれ「しんさいばしみせ」、「うめだみせ」、「きょうとみせ」、「こうべみせ」となる。東京店、札幌店は対外的には「とうきょうてん」、「さっぽろてん」と読む(札幌市営地下鉄南北線さっぽろ駅到着時の車内放送でも「だいまるさっぽろてんにおこしのかたは…」と放送されている)が、大丸社内では「とうきょうみせ」、「さっぽろみせ」と呼ぶことが多い。「みせ」と呼ぶのは大丸特有のものではなく、京都・大阪では昔はそれが通常であった。

[編集] 関連会社の店舗

[編集] 連結子会社運営店舗

  • 高知大丸(1947年開店) - 店舗面積16,068m²
  • 下関大丸(1950年開店後1977年現在地に移転) - JR下関駅前「シーモール下関」、店舗面積23,912m²
  • 博多大丸(1953年開店後1975年現在地に移転:福岡市中央区) - 店舗は福岡・天神店、西館は西日本新聞社本社ビル地下2階~8階、店舗面積44,192m²。法人としては本体に次ぐ規模にあり、J.フロントグループにおいても九州地区の重要拠点と位置づける
    • 博多大丸長崎店 - 元々は地元の老舗百貨店「岡政」であった。1988年に「岡政」から「長崎大丸」となった後、2003年に博多大丸に吸収合併。店舗面積9,176m²

[編集] 持分法適用会社運営店舗

  • 鳥取大丸(1949年開店後1975年現在地に移転) - 店舗面積13,637m²

[編集] 自主編集売場

  • サロン・ド・グゥ・ブランシェ

 特選ブランド・インポート雑貨のセレクトショップ 心斎橋店、神戸店、福岡天神店

  • サロン・ド・グゥ 

 特選ブランドウェアのセレクトコーナー 神戸店、京都店、札幌店

  • サロン・ド・グゥ・オム

 メンズ特選ブランド・インポート雑貨のセレクトコーナー 心斎橋店、神戸店、東京店

[編集] 過去に存在した店舗

[編集] 日本国内旧店舗

  • 八王子大丸 - 1972年開店。八王子そごうとの熾烈な売り上げ競争を演じた末、1985年閉店。跡地は忠実屋がファッションビルFAMを開店するが94年に撤退。現在は高層マンション。
  • 米子大丸 - 1990年に現「米子しんまち天満屋」に営業譲渡。
  • 大丸和歌山店 - 1998年閉店。心斎橋店の分店で、売り場面積は4000平方mの小型であった。その後、和光デンキのアウトレット店、ダイソーなどを経て、現在はドンキホーテ和歌山店となっている。
  • 町田大丸 - 1971年大丸町田店として開店。1980年ごろ町田大丸として分社し「プラザビーミー」としてリニューアルしたが、2000年に閉店、撤退。旧店舗は既に向かいにも店舗を持っている丸井が買い取り、建物の内外装をリニューアル。「マルイビィ」を経て現在は丸井の子会社が運営する「モディ」の第一号店として、町田モディになっている。
  • 新居浜大丸 - 1951年に別子大丸として開店。1975年新居浜大丸に社名変更。2001年イオン新居浜ショッピングセンター開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパー「ママイ」の店舗が建っている。
  • 大丸東京旧店 - 店舗面積31,500m²。1954年に鉄道会館ビルとして開店。2007年10月31日に閉店、その後、グラントウキョウノースタワー内に、同店の新店舗(第1期分)が開業。
  • 今治大丸 - 2008年12月31日閉店。

[編集] 日本国外旧店舗

  • 香港大丸 - 1960年開店。1998年撤退。
  • 大丸フランス - 1998年撤退。
  • タイ大丸 - 1964年開店。1999年撤退。
  • 大丸オーストラリア - 2002年撤退。
  • 大丸シンガポール - 2003年撤退。
  • 台湾建台大丸 - 台中市、高雄市。1998年開店。技術提携のみで資本関係は無し。現在は提携解消。

[編集] 今後出店を予定している店舗

  • 心斎橋店隣のそごう心斎橋本店(2009年8月31日閉店)の土地、建物を購入し改装後、2009年11月14日に大丸の経営で、心斎橋店北館として営業開始する予定。

[編集] 出店を断念した店舗(店名は仮称)

  • 浜松店 - 静岡県浜松市にあった松菱百貨店跡地の再開発で、地元不動産業者のアサヒコーポレーション・浜松市・大丸の三者で出店基本協定を締結。営業面積約34,000m²、地下4階地上9階建の規模で2010年開店予定であった。その後、多量の地下水による難工事を理由に開店の一年延期を発表。だが実際は、一部の地権者が交渉を強硬に拒否し着工の見通しが立たないのが理由であり、後日一部マスメディアでも報道された。これにより大丸は基本合意を解除した。浜松市長も2008年9月の市議会答弁に於いて用地取得の難航を認め、2011年秋の開店は不可能という見解を示した[8]。その後、急激な景気後退による消費不振が表面化する中、2009年1月26日、大丸側も正式に出店断念を発表した[9]

[編集] 関連会社

  • ピーコックストア(旧大丸ピーコック、現在は持株会社傘下)
  • 大丸興業
  • J.フロント建装
  • ディンプル(人材派遣業
  • 大丸情報センター
  • 大丸ホームショッピング

[編集] 無関係な類似の店名

「大丸」を冠した企業・店舗等は全国各地に多数存在するが、その多くは資本・人材など一切関係がない。以下にその一例を記す。

[編集] 補足

  1. ^ 新選組の制服は1863年に前身の大文字屋が受注して作成したものである。
  2. ^ なお、他社商標との混同を避けるため、大の字の下部と横棒の左端に「七・五・三」本の「ヒゲ」が付けられている(本数は七五三にちなむ)。
  3. ^ クジャクが象徴とされており、心斎橋店、京都店にレリーフが飾られている。系列スーパー「大丸ピーコック」の名称もクジャクに由来する。
  4. ^ 心斎橋店、京都店は著名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの作品で、ことに心斎橋店は日本の百貨店建築の最高傑作として名高い。 また、下村家の邸宅であった京都・烏丸丸太町上ルの大丸ヴィラ「中道軒」はチューダー・ゴシック様式の豪壮な建築として知られている。神戸店の南一号別館「旧居留地38番館」もヴォーリズ作品「旧ナショナルシティバンクオブニューヨーク神戸支店ビル」である。
  5. ^ 名物は白餡のカステラ饅頭に「大」の焼き印が押された「大丸饅頭」。現在は梅田店と博多大丸福岡天神店で販売している。かつては神戸店でも販売していたが、1995年の阪神・淡路大震災で製造機械が壊れ販売中止となった(2005年に1週間だけ再現された)。
  6. ^ 東京店は2011年までに2段階に分けて建替える予定。
  7. ^ 札幌店はパート・アルバイトの活用によって正社員を最小限に抑えるなどの合理化を図ったため、出店後半年で営業黒字を達成した(この成功を受け、同様の合理化は他店舗でも行われることとなった)。また、その立地環境の良さも手伝い、地元メディアからは道内一人勝ちとの評を得ている。2009年からは老舗の丸井今井を抜き地域一番店となっている。
  8. ^ 2008年9月13日付日本経済新聞紙面より
  9. ^ J.フロント リテイリング株式会社の2009年1月26日付プレスリリース「浜松市鍛冶町地区再生事業への出店の断念について」より

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年9月16日 (水) 11:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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