大倉財閥
大倉財閥の最新ニュースをまとめて検索!
大倉財閥(おおくらざいばつ)は、大倉喜八郎によって設立された日本の中堅財閥。十五大財閥の1つに数えられていた。
大倉喜八郎は天保八年(1837年)に越後国新発田に生まれ、18歳で江戸に出た。21歳で独立、大倉屋という乾物店を開き、その後鉄砲屋を開業。幕末に命を賭した彰義隊との交渉は大倉の商人魂を物語る逸話として有名。その後貿易事業へと乗り出した彼は、大久保利通、伊藤博文、山形有朋らとの親交を深め、一代にして大財閥を築き上げた。
進取の気性に富む大倉は、明治五年に自費で海外視察を敢行。ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、そしてイギリスのロンドンへと足を伸ばし、後から来た岩倉使節団をロンドンで出迎えビックリさせたという。明治六年に帰国し大倉組商会を東京銀座二丁目に創立し、翌年には我が国企業として初めての海外支店をロンドンに開設。明治十四年には土木事業(現大成建設)に進出、日清戦争では軍需品輸入会社の内外用達会社(後の大倉組へ統合)、三十一年には学校(現、東京経済大学)を創立。以後、鉱業、商社、林業、製鉄業、鉄道、ガスなどに進出し巨大化した。但し、大倉の商人へのこだわりから、銀行業には手を染めなかった。
大正六年、土木建設部門を大倉組土木(大成建設)に、石炭採掘、鉄鋼販売を大倉鉱業に、残りの主力商事部門を大倉商事として発足。戦後は財閥解体により、昭和二十一年、内外通商と改称して出発。三井、三菱などは195,000円の会社に細分化されたが、内外通商は1,000万円のまま残され、当時としては巨大商社だった。大倉商事は世界各地に事務所網を張り巡らし、RCAやキャタピラー等欧米の一流会社の日本代理店に指名されていた。
日本貿易会を構成する17社の一員として準大手総合商社であった大倉商事であるが、1998年8月に自己破産を申請し倒産・解散した。当時の大倉商事は過去の遺産を食いつぶす古い体質の企業となり、バブル崩壊後の失われた10年を生き抜く体力はすでに失われていたのであった。また、大倉商事の危機に瀕して、かつて200社を超えた旧大倉財閥ゆかりの企業もすでに葵会を構成する直系八社(大成建設、日本無線、東海パルプ、ニッピ、大倉事業、中央建物、ホテルオークラ)に減ってしまっており、大倉商事に救いの手を差し伸べることはできなかった。大倉商事がその125年の歴史に幕を引いたことで、大倉財閥グループは実質的に解消された。
[編集] 関係の深い企業
- 大成建設(旧大倉土木)
- ホテルオークラ(現在は三菱地所や大成建設等が支援)
- 三和電氣興業(その後合併し、三和大榮電氣興業から三和エレックを経て、現在のサンワコムシスエンジニアリングとなる)
- 帝国ホテル(2007年10月に三井不動産と提携、同社の関係会社。)
- 川奈ホテル(経営破綻でコクドが買収。)
- 大倉火災海上保険(千代田大倉火災海上保険から千代田火災海上保険を経て、現在のあいおい損害保険)
- 日清製油(現日清オイリオグループ)
- 東海パルプ
- 帝国繊維(旧安田財閥系でもある。日本油脂(芙蓉・春光(旧日産)系)とは同根)
- 日本無線
- サッポロビール(旧根津財閥系でもある。現在は芙蓉グループ色)
- リーガルコーポレーション
- ニッピ(旧日本皮革、リーガルコーポレーションの兄弟会社)
- 太陽生命保険(T&Dフィナンシャルグループ)
- 太陽火災海上保険(日本興亜損害保険に合併)など
- キッズステーション(大倉商事の100%子会社ネオサテライトビジョンにより開局)
- AVNET JAPAN (旧大倉エレクトロニクス株式会社)
また、東京電燈(現東京電力)の創立にも手を貸している。 教育分野にも進出し、大倉高等商業学校(現 東京経済大学)や大阪大倉商業学校 (現関西大倉高等学校)を設立した。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月8日 (日) 13:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【大倉財閥】変更履歴


