大前研一
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大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、日本の経営コンサルタント、経済評論家、社会起業家。
世界的な経営コンサルタントとして知られ、平成維新の会後の特定非営利法人「一新塾」創立者。株式会社大前・アンド・アソシエーツ代表取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役、ビジネス・ブレークスルー大学院大学学長。アメリカ合衆国マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科博士課程修了。学位は工学博士(マサチューセッツ工科大学)。
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[編集] 略歴
[編集] 生い立ち
北九州市若松区に生まれ、第二次世界大戦時の山口県富田(とんだ)への疎開と大阪の親類宅への寄留を経て、1951年から横浜市神奈川区反町に育つ。父親は対馬出身で、元陸軍大尉。母親は横浜出身。横浜市立白幡小学校から横浜市立栗田谷中学校を経て神奈川県立横浜翠嵐高等学校へ進学するが、高校時代は遅刻と欠席を繰り返し、演奏部でのクラリネットの練習のためだけに学校へ通う。
[編集] 大学、大学院時代
当時は東京藝術大学音楽学部を志望していたが、父の意見で音楽家への道を断念。東京大学文科一類を受験するが体調不良のため二次試験で不合格となり、早稲田大学理工学部へ進学し応用化学を専攻する。在学中は外国人を相手にした観光ガイドで英語の力を磨く。
大学卒業後は、東京工業大学大学院原子核工学科修士課程にて修士号を取得。奨学金を得て、アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科博士課程に留学し博士号を取得した。ちなみに、「マンハッタン計画に携わった指導教授に学んだため、核爆弾の作り方を知っていることになっている(実際は忘れたらしい)ことを知ったオウム真理教(現アレフ)が、大前を拉致しようと計画したことがある」と報道された。
[編集] 経営コンサルタント
米国から帰国後は、日立製作所へ入社し高速増殖炉の設計技師として勤務。2年後に退職し、原子力の世界から引退する。同年新設されたばかりの米国系経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーへ転職。同社入社後より経営の勉強を始め、その勉強過程をノートにまとめた著書『企業参謀(1975年)』を出版する。『企業参謀』は、ビジネス初心者にもわかりやすいビジネス書としてベストセラーになる。
経営コンサルタントとして活動を始め、中曽根康弘に経済政策提言・助言をしたことで広くマスメディアに知られるようになる。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長、アジア太平洋支局長、日本法人会長を歴任し独立する。
[編集] 政界進出
1992年11月、新自由主義的な政策市民集団として「平成維新の会」を設立し、同会の代表に就任。江田五月(シリウス)、細川護煕(日本新党)、小沢一郎(改革フォーラム21)と並び、「日本4大改革派」と言われた。当初は直接政界進出せず政策の合致する他党派の議員・候補者を推薦・支持する格付けという形を取っていた。
月刊誌「文藝春秋」3月号で「新・薩長連合結成宣言」を発表。知事連盟構想を掲げ、1995年東京都知事選挙に政策を中心にすえ立候補するも、「都政から隠し事をなくす」ということを中心に訴えた青島幸男に敗れた(当時都議会新進党松原仁や古賀俊昭の支援も受けた。同月の北海道知事選では、同構想に呼応した友人の三浦雄一郎も出馬し落選)。
[編集] 参院選出馬
時を置かずして行われた参院選に比例区から、自身と三浦雄一郎ら10人で出馬するも全員落選。この時の選挙戦の体験を元に『大前研一 敗戦記』(1995年、文藝春秋)を出版し、その中で、「この一件によって知己のあった財界人達から一時期疎んじられるようになり、選挙資金として私財6億円を失った」と告白している。都知事選ではマスコミにも有力候補として扱われたが、参議院選挙では泡沫候補扱いされたことを述懐している。
また、ユダヤの手先説を始め、フリーメイソン、統一教会、勝共連合、半島出身説などの流言を流されたという。統一教会説の発信源が石原慎太郎であることを知ると抗議したが、「いや、そういう噂があるから調べとけ、と言っただけだ。自分がそう思っているわけではない。自分も最初の(選挙の)ときは世話になったことがある」といわれたという。
[編集] 大学院開校
平成維新の会は参院選直後に事実上解散するが、その後、政策学校一新塾(2003年1月より特定非営利活動法人化)を主宰し、政治家や起業家の養成に乗り出す。更に教育関連事業会社「ビジネス・ブレークスルー」を設立、起業家養成学校「アタッカーズ・ビジネススクール」・管理者養成プログラム・大前経営塾・スカイパーフェクTV!によるビジネス番組放送サービス・e-ラーニングによるMBAコースを運営する。MBAコースは米国の南カリフォルニア大学との提携で始めるが、その後オーストラリアのボンド大学とも提携を開始する。
2004年には構造改革特区制度を活用し、株式会社運営による大学院大学・ビジネス・ブレークスルー大学院大学を開校し、自ら学長・指導教授を務める。ビジネス・ブレークスルーは2005年12月に東証マザーズ上場を果たした。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院公共政策学部教授、オーストラリアボンド大学客員教授も兼任する。
[編集] 評価
日本国内はもとより海外での評価も高い経営コンサルタントであり、1994年のイギリスの経済誌「エコノミスト」にて、現代社会の5人のグル(世界を動かす教祖)に選ばれる。
イギリスの新聞「フィナンシャルタイムズ」の選ぶ「歴史上の経営書トップ50」にも著作が2冊選ばれる(『企業参謀』を元にした英訳版『マインド・オブ・ザ・ストラテジスト』と『ボーダレス・ワールド』)。ちなみに二冊選ばれているのは大前研一とピーター・ドラッカーのみ(ダイヤモンド社 の「世界で最も重要なビジネス書」なども参考)。
[編集] 著作
- 『企業参謀』
- 『続・企業参謀』
- 『平成維新』
- 『平成維新パートⅡ』
- 『ボーダレス・ワールド』
- 『マッキンゼー・ボーダレス時代の経営戦略』
- 『サラリーマン・サバイバル』
- 『サラリーマン・リカバリー』
- 『新・資本論』
- 『ザ・プロフェショナル』(ダイヤモンド社 2005年)
- 『考える技術』
- 『ドットコム仕事術』(小学館 2003年)
- 『ロウアーミドルの衝撃』
- 『新・経済原論』
- 『大前流心理経済学 貯めるな使え!』(講談社 2007年11月9日発売 ISBN 9784062141260)
- 『大前研一 サラリーマン「再起動」マニュアル』(小学館 2008年)
- 『ロシア・ショック』(講談社 2008年)
- 『マネー力 資産運用力を磨くのはいまがチャンス!』(PHPビジネス新書 2009年1月17日発売 ISBN 9784569702568)
- 『「知の衰退」からいかに脱出するか?』(光文社 2009年1月23日発売 ISBN:978-4334975609)
- 『さらばアメリカ』(小学館 2009年2月7日発売 ISBN 9784093896085)
- 『グローバルリーダーの条件』大前 研一/船川 淳志著(PHP研究所 2009年4月21日発売 ISBN 9784569709406)
- 『最強国家ニッポンの設計図』(小学館 2009年5月29日発売 ISBN 9784093897167)
- 『大前の頭脳 「産業突然死」時代を生き抜く知恵』(日経BP社 2009年7月9日発売 ISBN 9784822247348)
[編集] 訳書
- 『エクセレント・カンパニー』(トム・ピーターズ、ロバート・ウォーターマン共著)
- 『ハイ・コンセプト』(ダニエル・ピンク著)(三笠書房 2006年)
[編集] プライベート
趣味はオートバイとクラリネット。大学時代は、クラリネットを買うために「儲かる」と聞いた通訳案内業をやっていた。ただし、以前から英語が特技であったわけではなく、通訳案内業の免許を得るためだけに(つまりクラリネットを買うためだけに)大学にも行かず、一日中FENを聞いている時期があったという[1]。
MIT留学時代に演奏部で知り合ったアメリカ人のジャネット夫人との間に2男をもつ。長男の大前創希は株式会社クリエイティブホープ社長。二男の大前広樹は株式会社フロムソフトウェア技術部テクニカルディレクター。
[編集] エピソード
- かつて頻繁に地上波テレビ番組に出演していたが、近年ではCS放送のビジネス・ブレークスルー以外の放送番組にほとんど出演していない。2007年12月雑誌SAPIOの中でテレビに出ない理由を、プロデューサーといった番組制作者が「これを言ってくれ」と干渉してきて番組が偏向するのが嫌だからと述べている。
- Windows の開発によって新しい時代を招いたビル・ゲイツに敬意を払い、Windows バージョン 1 が出た 1985 年を「新時代の元年」とし、それ以前を「ビフォー・ゲイツ (BG)」、それ以後を「アフター・ゲイツ (AG) 」と呼ぶ造語を作ったと述べている。
[編集] 関連項目
- 道州制
- 地域国家
- 一新塾
- 福岡県出身の人物一覧
- トム・ピーターズ
- ボンド大学大学院 - ビジネス・ブレークスルー オーストラリア版MBAプログラム
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月29日 (木) 15:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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