大友康平

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大友康平
基本情報
出生名 大友康平
出生 1956年1月1日(53歳)
血液型 A型
学歴 東北学院大学経済学部
出身地 宮城県塩竈市
ジャンル J-POP
職業 歌手タレント
活動期間 1980年
レーベル インディーズ
事務所 イエホック
共同作業者 HOUND DOG
影響 ザ・タイガース
キャロル
  

大友康平(おおとも こうへい、1956年1月1日 - )は、日本ロックバンドHOUND DOG」(ハウンド・ドッグ)の元ボーカリストタレント俳優

目次

[編集] 来歴・人物

宮城県塩竈市生まれ。その後、青森県弘前市千葉県松戸市埼玉県入間郡越生町と引越しを繰り返す。幼少時代から、街のカラオケ大会等で熱唱し、その片鱗を見せる。本格的に音楽を始めたのはグループサウンズザ・タイガースが好きだった父の影響。一番衝撃を受けたのはキャロルである。高校は埼玉県立川越工業高等学校建築科へ行き、やんちゃしながらも、武者小路実篤等を愛読する読書家でもあった。その時の経験が後の活動の礎となる。東北学院大学経済学部を卒業。

大学時代にサークルのメンバーらとHOUND DOGを結成し、1980年昭和55年)にプロデビュー。1981年昭和56年)にはロックンロールオリンピックを開催。バンドのリーダー及びフロントマンとして活動する一方で、俳優としての仕事も行っていた。出身は宮城県塩釜市で、プロ野球は東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉会員であるが、熱烈な読売ジャイアンツファンである。

2005年平成17年)1月、所属事務所マザーエンタープライズの役員だったにもかかわらず、某企業新年会でのミニライブを事務所に隠れて引き受けたこと・ギャラを事務所を通さず着服した事でマザーとの関係が悪化し、個人事務所イエホックを立ち上げて独立することとなった。さらに、イエホック移籍に消極的であった蓑輪単志鮫島秀樹の2名をHOUND DOGのメンバーから外し、4人編制で活動を開始。翌2006年平成18年)には、待遇に不満を示したという理由により八島順一橋本章司西山毅も1年で解雇(後述の裁判では、もともと雇用契約は1年だった、との発言をしている)、その後は自分一人でHOUND DOGを名乗ることを宣言した。しかし、一方的に辞めさせられた元メンバーは強く反発しており、蓑輪・鮫島からは自らをバンドに戻すことを求める民事訴訟を起こされている。また、マザーエンタープライズからも、前述の「裏営業」および独立で被った損害の賠償を求める民事訴訟を起こされている(大友は「事前に許可を得ていた」と反論し、名誉棄損であるとしてマザーを反訴)。詳しくはHOUND DOGの項を参照。

[編集] ディスコグラフィ

  • HEAVEN1997年6月18日) - ソロデビュー曲。作詞:大友康平、作曲:後藤次利
  • HEAVEN(1997年6月18日) - 上記の曲を含むソロアルバム。全曲作曲・編曲・プロデュースは後藤次利。
  • STARTING OVER(発売中止)- ソロでは、初の自作曲。2006年8月、世界王座に挑戦する亀田興毅の応援ソングとして発売されることが一部サイトで発表されていたが、直前で発売中止となった。ハウンド・ドッグをめぐる一連の騒動が関係しているといわれている。
  • RISE2008年3月26日) - アニメ「メジャー」 第4シリーズオープニング。第3シリーズまではオープニング主題歌は、ロードオブメジャーが担当していたが、解散してしまった為、大友が担当になった。が、第5期のオープニングを歌うまでには至らなかった。

[編集] 主な出演作品

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

- 自身のデビュー25周年を記念しテレビドラマ初主演。

[編集] テレビその他

同じ宮城県出身であるTHE 虎舞竜のヴォーカル、高橋ジョージと共に出演。

[編集] ラジオ

[編集] CM

[編集] エピソード

  • 康平の「康」は徳川家康から、「平」は在原業平からとられている。
  • 大学時代に同級生とお笑いコンビ「コント爆弾」を組み活動していた。ある日、コント中に小学生に石をぶつけられて逆上し、「おまえの親を呼んでこい」と迫った。この一件をきっかけにコンビを解散。
  • 社会科の教員免許状を持つ(教育実習のテーマは「江戸時代の農民と町人の暮らし」)。
  • 直木賞作家の長部日出雄は母方の叔父にあたる。
  • 衆議院議員郡和子とは、東北学院大学の同期生である。
  • 普通自動車免許はAT限定である。
  • 野球プロレスを愛好し、長嶋茂雄を敬愛している。また、東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉創立会員の会員No.1でもある。第2次UWFのファンだった縁で高田延彦と交流があった。
  • あくまでも自身はロックンローラーであり、芸能活動は余技であるという内容の発言(「自分が最も輝くのはステージの上にいるとき」「芸能はアウェー、ライブがホーム」など)を繰り返してきたが、個人事務所設立以後はタレント活動が実質的に本業となっている。
  • 80年代後半、光GENJI男闘呼組などジャニーズ事務所所属のタレント歌手を敵視し、彼らを揶揄するような歌も作詞していたが、近年では、KAT-TUN関ジャニ∞などとバラエティ番組で共演している。
  • 学校側からの依頼を受け、台東区立桜橋中学校(2002年開校)の校歌「永遠の唄 Song of Forever」を作詞した。なお、作曲は当時HOUND DOGのメンバーだった八島順一が担当したが、その4年後に解雇した。
  • HOUND DOGが4人編制になった頃、2005年11月8日付日刊スポーツ紙上で7ヶ月後に現実となるバンドメンバー解雇を示唆した。

「ハウンドドッグは僕のものですから。大学時代にオレがつくった。ぶっちゃけ言っちゃうと、オレだけだっていい。オレが歌えばハウンドドッグですから」。その7ヶ月後、この発言は現実となった。

  • 2006年8月、HOUND DOGの元メンバー八島順一が外傷性くも膜下出血で入院した際、見舞いとして花を送ったが、一般に見舞いには不適切とされるユリの花だったことと、名義が「イエホック 大友康平」だったことが某ジャーナリストのブログで批判的に紹介された[要出典]。これに対し、イエホック側は花の写真をサイトに掲載し、名義は「大友康平」だったと反論した。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月19日 (木) 09:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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