大山道
大山道の最新ニュースをまとめて検索!
大山道(おおやまみち・おおやまどう)とは、主に江戸時代に関東地方の各地から相模国(現神奈川県)大山にある大山阿夫利神社(現伊勢原市)への参詣者が通った古道の総称。大山街道とも呼ばれる。代表的なものとして、「田村通り大山道」や「青山通り大山道(矢倉沢往還)」などがある。
目次 |
[編集] 経緯
大山は雨降山(あふりやま)とも呼ばれ、雨乞いに霊験のある山として、昔から農民の間に関心が寄せられていた。そこにある大山阿夫利神社は、農民から五穀豊穣、雨乞いの神として信仰を受け、日照りが続いて飢饉が多くなると、多くの農民が参詣した。江戸時代には関東地方各地で「大山講」が組織され、多くの参詣者を集めることとなった。大山講の中でも江戸日本橋小伝馬町の「お花講」の人たちが夏山祭りの初日に大山頂上への中門を開くのが元禄以前からのしきたりとなっている。
道中の参詣者は、白の行衣、雨具、菅笠、白地の手っ甲、脚絆、着茣蓙という出で立ちで腰に鈴をつけ、「六根清浄」の掛念仏を唱えながら、5~6人、多い時には20~30人が一団となって、7~9月を中心に大山へと向かった。また、盆・暮れの借金の回収時期に「大山参り」をしていれば、借金は半年待ってくれるという恩典もあった。最盛期の宝暦年間には、年間約20万人の参詣者を数えている。
こうしたことから、関東各地から大山への参詣者の通る道が次第に「大山道」と呼ばれて定着化し、道標にも記されるようになっていった。大山道は大山を中心に放射状に広がり、関東地方の四方八方の道はすべて大山に通ずると言っても過言でない状況となった。大山道沿道や相模川の渡船場などでは、宿場として栄える所もあった。大山からの帰路は江ノ島、鎌倉などの観光も行われ、大山参詣は一種のレジャーとしての要素も兼ね備えていた。古典落語の「大山詣り」もそうした背景から成立したものと考えられている。
また、富士講による富士山への参詣者も同じ道筋を通ったことから、一部の道には「ふじ大山道」という名称も見られた。富士山への参詣者も必ず大山にも参詣するのが通例となっていたという。
明治期に入って鉄道が開通すると、次第に大山参詣もそうした交通手段に取って代わられ、それと共に「大山道」という呼称も衰退した。中には道そのものも部分的に消滅したものが現れてきた。現在でも「大山街道」といった呼称で呼ばれているものは矢倉沢往還などわずかであり、多くは地元民に別称としてそう呼ばれている例が散見される程度である。
[編集] 主な大山道
経路の()内は現在の地名及びほぼ比定できる国道・都県道などの名称である。なお、国道・都県道については、完全に一致するものではない点に注意されたい。また経路は時代により変化し、必ずしも記載どおりの一定したものではない。
[編集] 田村通り大山道
[編集] 矢倉沢往還(青山通り大山道)
詳細は「矢倉沢往還」を参照
- 古来より江戸と矢倉沢(現神奈川県南足柄市)との間を結んでいた道であるが、途中で大山付近を通るため、江戸時代に入って大山講が盛んになる享保年間から、江戸から大山へ、あるいは足柄から大山への道としても機能してきたものである。江戸からは途中で青山を通ることから、「青山通り大山道」とも呼ばれた。現在でも神奈川県内で「大山街道」の名が定着している例である。
- 経路(江戸から)
- 経路(矢倉沢側から)
[編集] 柏尾通り大山道
[編集] 八王子通り大山道
- 現在の埼玉県熊谷市から東京都八王子市を経て大山へ向かうものである。
- 経路
- 中山道熊谷宿(埼玉県熊谷市)-(以降、国道407号)-松山(以降、東松山市)-高坂-坂戸(坂戸市)-高萩(日高市)-根岸(狭山市)-扇町屋(以降、入間市)-(以降、国道16号)-二本松-箱根ヶ崎(東京都瑞穂町)-拝島(昭島市)-甲州街道八王子宿(以降、八王子市)-片倉-杉山峠(御殿峠)-境川・両国橋-橋本(以降、神奈川県相模原市)-(以降、神奈川県道63号相模原大磯線)-下九沢-田名
- 江戸時代中期以前:相模川・望地(もうち)の渡し-六倉(以降、愛川町)-
- 江戸時代中期以後:相模川・久所(ぐぞ)の渡し-小沢(以降、愛川町)-
- 中津-三田村-中津川・才戸の渡し-下荻野村新宿(以降、厚木市)-及川村-小野村-富岡村(以降、伊勢原市)-(神奈川県道603号上粕屋厚木線)-石倉村-(神奈川県道611号大山板戸線)-大山
- 武蔵国・相模国の境界にある両国橋では、参詣者が境川の清流に祈願をこめて身を清めたともいわれる。
- 久所の渡しのある田名は、相模川が増水して川留めになると、宿場として栄えた。「久所」の名は、川留めの際に久しく留まる所から来ているといわれている。
- 橋本の棒杭から分かれて上溝、田尻を経て当麻(たいま)の渡しで相模川を越える経路もあった。
[編集] 府中通り大山道
- 現在の埼玉県春日部市から東京都府中市を経て大山へ向かうものである。
- 経路
- 1616年(元和2年)に死去した徳川家康の遺骸を翌年久能山(現静岡市)から日光へ移すことになり、江戸幕府はその一行が通る小野路村(現町田市)に道を整備するように命じた。この時、小野路に一里塚が築かれた。大山講が盛んになると、小野路は宿場として栄えるようになった。幕末期には近藤勇、土方歳三、沖田総司ら後の新選組の浪士が調布からこの小野路村の名主・小島家(現小島資料館)まで剣術の出稽古に通ってきたという。
[編集] ふじ大山道
- 現在の東京都練馬区から大山へ向かうものである。富士山への参詣者も通ったため「ふじ大山道」と呼ばれ、それが明治期に入って「富士街道」の名で呼ばれるようになったものである。
- 経路
- 川越街道下練馬村(東京都練馬区・国道254号北町1丁目付近)-(東京都道311号環状八号線・東京都道441号池袋谷原線・東京都道8号千代田練馬田無線)-田無(西東京市)
- 田無-多摩川間は、現在の東京都道12号調布田無線を通って千川上水を柳橋で渡り武蔵境駅方面へ向かったという説と、この道ができたのは明治以降であり、江戸時代には西武新宿線西武柳沢駅西側にある六角地蔵石幢から南へ向かう榎ノ木通り、深大寺街道、大師道(途中、境浄水場で中断)を通ったのではないかという説がある。また、途中、調布飛行場で道が消滅している部分があるといわれる。
- 多摩川・押立の渡し-長沼(稲城市)-(東京都道・神奈川県道19号町田調布線・神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線)-図師(町田市)-府中通り大山道に合流
- 多摩川の渡しは、押立の他、是政、関戸、一ノ宮、万願寺、日野などが利用され、一定していない。
- 旧川越街道とふじ大山道の分岐点に、1753年(宝暦3年)、下練馬村講中により「ふじ大山道 田なしへ 三里 府中江 五里」と陰刻された道標が建立されている。東京都練馬区北町1丁目に所在。道標は、練馬区指定文化財。
[編集] 武蔵秩父日高・飯能道
[編集] 武蔵秩父大宮道
[編集] 津久井大山道
- 現在の神奈川県相模原市(旧藤野町)から大山へ向かうものである。
- 古くから甲斐国方面から相模国への道として「小田原道」あるいは「甲州道」「信玄道」とも呼ばれ、武田信玄の小田原城進攻からの帰途の三増峠の戦いと関係しているともいわれる。
- 経路
[編集] 甲州街道浅川口大山道
- 現在の東京都八王子市から途中相模川の舟下りを経て大山へ向かうものである。
- 経路
- 甲州街道上椚田(東京都八王子市)-(以降、東京都道47号八王子町田線)-権現谷(以降、町田市)-大戸-(以降、東京都道・神奈川県道48号鍛冶谷相模原線)-小松(以降、神奈川県相模原市)-町屋-川尻村久保沢-相模川・小倉の渡し-(相模川舟下り)-厚木-矢倉沢往還に合流
- 川尻村久保沢から陸路で行く場合は、大島村(相模原市)-田名-八王子通り大山道に合流
[編集] 甲州から大山への道
[編集] 粕屋通り大山道
[編集] 中原豊田通り大山道
[編集] 矢崎通り大山道
[編集] 伊勢原通り大山道
- 現在の神奈川県大磯町から大山へ向かうものである。「伊勢原道」と「波多野道」とがある。
- 経路(伊勢原道)
- 経路(波多野道)
- 万田(以降、平塚市)-出縄-根坂間-公所-(以降、神奈川県道63号相模原大磯線)-広川-片岡-大畑-木津根(以降、伊勢原市)-伊勢原-田村通り大山道に合流
- 波多野道の公所~伊勢原間は「小田原道」とも呼ばれた。
[編集] 六本松通り大山道
[編集] 羽根尾通り大山道
- 現在の神奈川県小田原市から大山へ向かうものである。
- 経路
- 東海道前川村小名向原(以降、神奈川県小田原市)-羽根尾-中村原-(以降、神奈川県道709号中井羽根尾線)-小船-小竹村-遠藤村(以降、中井町)-久所-六本松通り大山道に合流
[編集] 二ノ宮通り大山道
[編集] 蓑毛通り大山道
現在は関東ふれあいの道「大山参り蓑毛のみち」として整備されている。(2006年11月撮影)
[編集] その他
- 東海道程ヶ谷宿(現神奈川県横浜市保土ケ谷区)から二俣川(現横浜市旭区)、海老名(現海老名市)を経て矢倉沢往還に接続するという経路もあった。途中、厚木基地で道が分断されているという。
- 房総半島から海路で武州金沢(現横浜市金沢区)に渡り、鎌倉、江ノ島を経て田村通り大山道から参詣するという経路もあった。
- 伊豆半島から海路で小田原か相模川河口へ渡り、大山へ向かうという経路もあった。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 大山阿夫利神社『相模大山街道』大山阿夫利神社、1987年。
- 小島資料館『小野路・埜津田をあるく 鎌倉街道大山道を訪ねて』小島資料館、1978年。
- 神代武男『練馬のむかし-川と道-』神代武男、1992年。
- 石神井図書館郷土資料室『練馬の道』練馬区教育委員会、1974年。
- 中平龍二郎『ホントに歩く大山街道』風人社、2007年。ISBN 9784938643287


