大島めぐみ

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大島 めぐみ(おおしま めぐみ、1975年9月4日 - )は埼玉県熊谷市出身の日本女子陸上競技トラック長距離走)&マラソンランナー。旧姓は田中 めぐみ(たなか めぐみ)。愛称は「めぐ」「めぐめぐ」「めぐたん」。

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[編集] 来歴

熊谷東中学、埼玉栄高校卒業。1994年あさひ銀行(現・埼玉りそな銀行)に入社、その後埼玉りそな銀行の陸上部廃部に伴い、2003年しまむらへ移籍する。2004年にくろしお通信所属(当時、現日清食品)で4歳年下の大島健太と結婚、それを機に姓を田中から大島へ変更。現在も現役のミセス・ランナーである。

五輪初代表は2000年9月のシドニーオリンピックだった。女子5000mに選出されての出場となるも、予選レースで9着に終わり決勝進出はならなかった(他、市川良子志水見千子共に予選で落選)。

2002年3月名古屋国際女子マラソンで初マラソンに挑戦。26Km付近で同じく初マラソンながら初優勝を果たした野口みずきのスパートについていけず、30Kmを過ぎてからは2位の大南博美にも追い抜かれたものの、3位の好成績を残した。これを機に、長距離トラック種目からフルマラソンまでこなせるランナーへと成長する。

2度目のフルマラソンだった2003年1月大阪国際女子マラソンは、中間点辺りまで先頭集団のハイペースについていったが、中間点を過ぎてから徐々に遅れて後退し、結局7位に終わった。

アテネオリンピック女子マラソン代表選考レースだった、2004年3月の名古屋国際女子マラソンでは、32km辺りからじわじわ土佐礼子を引き離して先頭に立ち、35km地点では11秒の差をつけ勝負あったかに見えた。しかし35kmを過ぎてからペースダウンとなり、追い上げられた土佐に37km地点で逆転を許して2位でゴール。惜しくも女子マラソンでの五輪代表を逃した。

その後、2004年6月の日本選手権女子10000mでは2位に入り、トラック種目で2大会連続2回目の五輪代表入りを果たした。同年8月のアテネ五輪女子10000mでは、残りトラック1周手前で優勝争いの先頭集団に周回遅れにされてしまい、メダルも入賞争いにも加わることは出来なかったが、日本人ではトップの13位だった(他、弘山晴美は18位、福士加代子は26位)。

2005年3月に、再び名古屋国際女子マラソンで優勝を狙うものの、初マラソンの原裕美子にわずか6秒差で敗れ、またしても2位に甘んじる。しかしながら、この成績で世界陸上選手権ヘルシンキ大会の女子マラソン代表に選ばれた(世界陸上代表は通算3回目)。2005年8月の世界陸上女子マラソン本番では、序盤から冷静なレース運びを展開し、8位入賞にはあと一歩届かなかったものの、10位に入る健闘をみせた。なお、女子マラソン団体戦では日本代表として銀メダルを獲得している。

2006年2007年はフルマラソンへはケガの為に欠場が続き、トラック競技や駅伝の方に重点を置いていた。また、2006年9月の一関国際ハーフマラソンでは大会新記録で優勝している。

フルマラソンは約2年半ぶりの出走となる、2008年3月9日開催の名古屋国際女子マラソンに一般参加選手としてエントリー。同年開催の北京オリンピックの女子マラソン代表を目指したが、30km手前で優勝争いから脱落、終盤に追い上げたものの6位に留まった。その後同年6月の日本選手権は欠場したため、トラック種目での北京五輪代表入りも断念。日本女子陸上選手としては弘山晴美らに続く、3大会連続の五輪代表はならなかった。

2008年10月15日、所属先のしまむらを退社。その後も新たな環境で現役選手として活動していたが、翌2009年2月23日妊娠4か月を迎え、2009年9月14日長男出産した事をそれぞれ自身のブログにて公表した。現在競技者としては育児休業中である。

[編集] 主な成績

[編集] エピソード

  • 趣味はサッカー観戦。地元埼玉の浦和レッズを応援、時間が有れば実際に試合観戦に行く事も有るという。ちなみに夫の大島健太も、高知商業高校時代まではサッカー部に所属し、Jリーグを目指していたらしい。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月23日 (月) 13:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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