大崎洋
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大崎 洋(おおさき ひろし、1953年7月28日 - )は吉本興業株式会社社長、プロデューサー。大阪府出身。2009年4月1日付で社長に就任した[1]。
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[編集] 来歴・人物
1978年に関西大学社会学部卒業後、吉本興業に入社。以後エンターテインメントビジネス界において様々なプロジェクトを成功させた。特に1980年に上司であった木村政雄と共に東京支社(当時は東京事務所)に転勤をし、漫才ブームの時代を支えた。
吉本所属タレントの中でも、特にダウンタウンとの関わりが強く、吉本総合芸能学院(NSC)開校時の担当社員となり、無名時代の二人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教える。その後、大阪で人気の頂点に立ったダウンタウンを東京に進出させる(松本人志は「大阪で満足してたが、遠くて近い外国・TOKYOに無理やり移住させられた」とネタにしている)。また、ダウンタウンがメインの番組にはプロデューサー・オーガナイザーなどとして参加、ドッキリの仕掛け役としてテレビ出演した事もあった。松本は大崎に対するエピソードとして「女湯のぞき事件」「メガネに○○事件」「プール潜水事件」などを披露し、当時のお互いの関係の親密さを伺わせている。
「ダウンタウンの初代マネージャー」という肩書が付されることがあるが、正式にマネージャーを担当した事実はなく、初代マネージャーは中井秀範である。
東京支社長就任後は株式会社吉本としての企業の近代化を進め新劇場建設や若手育成に力を注ぐ反面、会社の方針に従わない芸人やタレントを大胆にリストラし、山本圭一の淫行事件で早々に解雇を決めるなど不祥事を起こしたタレントに対し厳格な措置を取る。
1980年代、まだ松本が20歳頃、松本も大崎も仕事が無く、ヒマをもてあました2人で映画館や銭湯によく行っていた。ある日、大崎が広い銭湯で突然「俺が端から端まで息継ぎせんと泳げたら、これから先お前がどんだけ売れても、俺の言うこと1つだけ聞いてくれ」と言った。お互いこの業界で成功しそうにないと思っていた松本は「いいですけど」と答え、大崎は本当に潜水してみせた。その20年後、本当に売れた松本は「1つだけって、なに言われるんやろ?断ったろ思ってんねんけど。」とネタにする[2]。
[編集] 経歴
- 1978年 吉本興業株式会社に入社
- 1980年 吉本興業東京支社(当時は東京事務所)へ上司の木村政雄と共に異動
- 1982年 吉本興業東京支社(当時は東京事務所)から大阪の吉本総合芸能学院の担当社員へ異動
- 2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任
- 2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任
- 2002年 有明スタジオ株式会社の取締役に就任
- 2006年 吉本興業の取締役副社長に就任
- 2009年 吉本興業の取締役社長に就任
[編集] 脚注
- ^ sponichi.co.jp
- ^ 放送室、2004年8月19日放送より
[編集] 関連事項
- ダウンタウン
- 吉本総合芸能学院(NSC)
- ヨシモトファンダンゴTV
- 木村政雄 - かつての上司
- 大谷由里子 - かつての部下

