大日本印刷

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大日本印刷株式会社
Dai Nippon Printing Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7912
大証1部 7912
本社所在地 日本
東京都新宿区市谷加賀町1-1-1
設立 1894年1月19日
業種 その他製品
事業内容 エレクトロニクス建材ICデータベースパッケージコンサルティングほか
代表者 北島義俊(代表取締役社長
資本金 1,144億64百万円
売上高 単体:1兆1,622億円
連結:1兆5,578億円
(2007年3月期)
決算期 3月31日
主要子会社 北海道コカ・コーラボトリング
丸善
関係する人物 佐久間貞一
外部リンク http://www.dnp.co.jp/
  

大日本印刷だいにっぽんいんさつ、英語表記Dai Nippon Printing Co., Ltd., 通称DNP)は、日本の印刷会社

目次

[編集] 概要

本社は東京都凸版印刷と並んで、日本の印刷業界二強の一角。過去には活字供給も手がけていた。

1950年代より印刷技術を元手にして他分野進出を図り、建材分野へ進出したのに始って、情報産業や生活産業、エレクトロニクス分野へ進出している。拠点は日本を中心にニューヨークやロンドン、上海、シドニーなど全世界に広がる。

2006年10月、コニカミノルタホールディングス写真フィルム印画紙事業から撤退したのに伴い、これらの事業を譲り受けた[1]

2008年に丸善ジュンク堂、図書流通センターを次々に子会社化した。また、2009年には長きに渡って出版業界の目の敵だった新古書店最大手・ブックオフへの出資を決定した[2]

2009年3月期決算において、上場以来初の最終赤字に転落した。

[編集] 前身

前身は1876年10月9日に創立した秀英舎である。1935年2月26日日清印刷と合併し、大日本印刷となった。その後も日本精版(現・大阪工場)、弘益印刷(現・DNP東海)、北日本印刷(現・DNP北海道)などと合併して全国規模に拡大した。

秀英舎は佐久間貞一を中心に宏仏海、大内青巒、保田久成が共同出資して、活版での印刷会社として東京京橋の弥左衛門町に創立した。佐久間が大教院の教会新聞発行を引継ぎ、その印刷のために活版所を買い取ったのが由来である。秀英舎は主に新聞印刷や、中村正直の「西国立志編」の活版による再版などに代表する書物の印刷会社として発展した。

その頃活字の供給は印刷局と築地活版のみが行っており、創立当初は活字を購入していたが、1881年、保田の創案のもと、字母(父型)を購入し活字の自家鋳造を開始、更に1882年、山下町に製文堂を設置、それを本格化させた。築地活版や印刷局の書体を受け継ぐ五号系統と、筆跡新しい初号系統のニ書体はここで形成された。明治30年代は中葉のことである。後に秀英体(秀英型とも。特に初号系統をいう)と呼ばれた書体群で、活版印刷減衰の後も、写植書体やディジタル・タイプとして覆刻され、また、大日本印刷の書体としてポイント制活字、ベントン母型を経ながらも使用され続けている。

日清印刷は東京専門学校(後の早稲田大学)の印刷所として創立した。しかし、一般の印刷も引き受けるようになり、1907年に会社組織をつくり、工場も設置したのである。創立に関わったのは高田早苗らであった。1913年のオフセット印刷など、積極的な技術開発も試みた。

[編集] 沿革

  • 1876年 前身の秀英舎が創立
  • 1935年 秀英舎と日清印刷が合併、社名を大日本印刷へ変更
  • 2009年 3月期決算において、上場以来初の赤字決算

[編集] 秀英体

秀英体という呼称には製文堂が整備した号数活字の書体に加えてポイント活字として新規開発された数種の書体、戦後ベントン向けに開発された書体の二種が該当する。前者は、更に初から四、六号の系と五号の系とに分類でき、前者は製文堂で開発された書体、後者は築地活版の明治10-20年代の五号活字を享け、印刷局のかなを混合するなどして調整した書体であった。

最初活字を購入していたのが、母型を買い自家鋳造するようになり、そして父型の開発を始めたのが1890年代中葉であった。まず四号の開発から始まり、明治30年中葉に大体の完成を見せるが、開発は大正にまで及んだ。五号以外の初号から六号は、築地活版の活字を享けつつも、自社独自の風の書体であった。五号の系は1902年ごろ、新活字に改まった。

号数活字はサイズ毎に書体が全て異なっていた。また、二号から六号までには太かながあった。秀英舎の活字書体は、明朝体のラインナップがよく知られるが、そのほかにも、電気版などの図版、罫、ゴシックや隷行草などから髭文字などの雑書体の開発もなされていた。電気版は日露戦争の号外などで用いられたし、雑書体は明治後期から第二次世界大戦前まで盛んに開発されていた。

明治終期に築地活版がポイント活字を提唱したのを享け、ポイント活字の開発を行った同社は、外注などで号数を相当するサイズにほぼそのまま鋳込んだほかに、新設のサイズに書体を新しく作ったが、1948年から60年後半に、A1書体と呼ばれるベントンやパンチなどの機械式活字母型彫刻機向けの書体が新作され、その後の写植書体や電子書体の開発に使われた。

写植書体として、写研より初号活字を覆刻した「秀英明朝 (SHM)」が発売されたほか(1981年)、モリサワより「秀英三号」、「秀英五号」のファミリーが発売された(モリサワの書体はコンピュータ・フォントとしても発売されている)。戦後のベントン書体は大日本印刷の印刷物に幅広く用いられ、大日本で印刷を続けていた印刷物を電子化する際に書体も大日本のものを合わせた。慣れた書体を使いたいという要望から電子書籍のソフトウェアに搭載したりするなどの展開が見られる。また、ディスプレイむけに低解像度用の書体も開発されている。

2007年に「平成の大改刻」と称して、本文用の明朝3書体のリニューアル、見出し用書体「秀英初号明朝」のデジタル化に取り組む。2007年から2009年にかけて完成の予定。一般販売も予定されている。

[編集] 不祥事

  • 首都高速の回数券、領収書の印刷について 事前に受注予定者を決める等の方法で談合を行った。(平成4年5月15日審決)[要出典]
  • 1992年11月04日、平成04社会保険庁が発注した「目隠しシール」の入札に談合があったとして、大日本印刷とトッパンムーアの幹部ら11人が逮捕。[要出典]
  • 2007年2月21日、同社が扱うJACCSカード会員の個人情報15万件が流出していたことが明らかとなった。警視庁は同社がソフト開発を委託した企業に勤務していた元プログラマを窃盗の容疑で逮捕している。
    • 2007年3月12日、同容疑者により、同社が販促用ダイレクトメール業務委託を受けて預かっていた個人情報の一部、43社分の個人情報863万件以上が流出していたことが明らかとなった[3]
  • 2008年10月31日、大手食品加工メーカー伊藤ハムは、東京工場(千葉県柏市)にて製造された商品(ソーセージ)の一部からトルエンが検出された問題で、大日本印刷の関連会社DNPテクノパック 狭山工場が製造した包装用フィルムにトルエンが残留していたことが原因と発表した[4]

[編集] 主な工場

[編集] 主な関連会社

その他多くの子会社・孫会社関連会社を抱える。

[編集] 参考文献

  • 片塩二朗『秀英体研究』大日本印刷、2004
  • 大日本印刷『P&I Solutions for your life』2004
  • 内田明「秀英舎(製文堂)の五号平仮名は明治30年代半ばに急激なモデルチェンジを遂げる」『引き続き日本語練習中』2005
  • 府川充男撰輯『聚珍録–圖説=近世・近代日本〈文字-文化〉文化史』第三篇、三省堂、2005

[編集] 脚注

  1. ^ "小田原サイトの譲渡について". 大日本印刷 (2006-07-10). 2009-09-30 閲覧。
  2. ^ "印刷業界はもうダメだ!?近頃大日本印刷がお盛んなワケ". 日刊サイゾー (2009-08-03). 2009-09-30 閲覧。
  3. ^ "個人情報の流出に関するお詫びとお知らせ". 大日本印刷 (2007-03-12). 2009-09-30 閲覧。
  4. ^ "検出トルエン、お詫びとお知らせ". 大日本印刷 (2008-11-02). 2009-09-30 閲覧。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月30日 (水) 01:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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