大日本航空

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大日本航空
IATA
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ICAO
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コールサイン
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設立日 1938年(昭和13年)
ハブ空港 羽田飛行場
焦点空港 福岡京城台北など
  

大日本航空(だいにっぽんこうくう)とは、かつて存在した日本航空会社である。名称からすれば現在の日本航空インターナショナルなどの前身の企業の様にもみえるが、法的には別の会社である。

目次

[編集] 創設

1938年12月から1939年3月の大日本航空の時刻表。
大日本航空でも運航された九七式輸送飛行艇の同型機。

第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争)で敗北するまで、日本は世界的な航空技術先進国であった。これは民間航空も同様であり、1929年(昭和4年)に設立された日本航空輸送株式会社(現在の日本航空とは直接のつながりはない)が、日本本土と大陸を結ぶ航空路を運航しており、中心的存在であった、

しかし日本政府は中華民国との間の日中戦争の勃発により中国大陸と日本本土との航空路による連絡が戦略的に重要になったため、1938年に日本航空輸送は国策会社へと改組され、満州航空傘下の国際航空を合併させて新たに発足したのが「大日本航空株式会社」であった。

[編集] 運航

航空路線としては、大日本航空輸送や国際航空から継承した路線が大半で、後世日本の傀儡国とされた満州国の首都新京(現在の長春)を結ぶ航空路も開設されていたが、大日本帝国海軍で用いられていた九七式飛行艇の民間輸送機型によってサイパン島コロールといった南洋群島への長距離路線が新規に運航された。またタイバンコク線によって欧州系航空会社の極東線との連絡が可能となり、日本と欧州を結ぶ航空路が連結されていた。運航機材も、前身の2社から継いだ一五式水上偵察機フォッカー スーパーユニバーサルなどの羽布張り機に加え、当時世界最新鋭の全金属製単葉機であったDC-3ロ式輸送機、そして三菱MC-20が旅客輸送に用いられていた。

だが、太平洋戦争の開戦とともに、大日本航空が運航する路線は軍の管理下に置かれ、さらにマニラ昭南など新たに占領した東南アジアにおけるネットワークを拡大し、戦争中は軍事的に重要な輸送手段となっていた。大日本航空の機材や乗員の多くは開戦直前に陸軍が編成した「特設第十三輸送飛行隊」に編入され南方地域をへの運航を担い、さらには「南方航空輸送部」に組織改変された。

[編集] 終焉

日本が1945年(昭和20年)8月14日ポツダム宣言受諾を決定したため、軍隊は即日武装解除されることになった。民間航空についても飛行機の所有・運用も一切禁止され、飛行活動に従事する組織も廃止・解散させられることになった。そのため大日本航空も解散させられることになり、戦後処理のために日本国内で運航されていた緑十字飛行も10月7日に終了し、11月18日にGHQが布告した 「民間航空廃止ニ関スル連合軍最高司令官指令覚書」(SCAPIN-301)によって日本人による航空活動は一切禁止され、1952年に再開が認められ日本航空の初号機が飛行するまで日の丸を付けた航空機が日本の空に飛ぶことは無かった。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月7日 (月) 16:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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