大村崑

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おおむら こん
大村 崑
本名 岡村 睦治
別名 コンちゃん
生年月日 1931年11月1日(78歳)
国籍 日本
職業 コメディアン俳優
活動期間 1950年代 -
主な作品
やりくりアパート
番頭はんと丁稚どん
頓馬天狗
細うで繁盛記
赤い霊柩車シリーズ ほか

大村 崑(おおむら こん、1931年11月1日 - )は、日本のコメディアン俳優。本名、岡村 睦治

目次

[編集] 来歴・人物

兵庫県神戸市出身。昭和30年代を中心に、黎明期のテレビの軽演劇で爆発的な人気を得た、日本の喜劇界の大御所である。愛称は「コンちゃん」。2000年日本喜劇人協会8代目会長に就任した。

スラップスティック喜劇を得意とし、ズレ落ちたメガネ(三木のり平からヒントを得たと言われている)とトボけた芸風で、『やりくりアパート』(1958年、大阪テレビ朝日放送)の学生役で人気を得る。その後、茶川一郎、佐々十郎、芦屋小雁芦屋雁之助らとによる『番頭はんと丁稚どん』(1959年、毎日放送)、『頓馬天狗』(1960年、読売テレビ)を中心に人気が爆発。元々大阪梅田の映画館「北野劇場」の幕間コントの演者に過ぎなかったが、(東京出身である)茶川らとの共演により大阪のコテコテさが緩和され、全国区の人気を得るようになった。
上方のお笑いを横山エンタツ花菱アチャコ藤田まことと共に全国に波及させるきっかけを作った。

大塚製薬とは切っても切れないほど縁が深い。きっかけになった『頓馬天狗』は大塚製薬の提供で、役名もズバリ「尾呂内南公」(おろない なんこう)。その後もオロナミンC(1965年から放映)やオロナイン軟膏などの大塚製薬の各CMに出演。「姓はオロナイン 名は軟膏」「うれしいとメガネが落ちるんですよ」「オロナミンCは小さな巨人です」など各種フレーズは有名。創業者の大塚家とは親戚同様の付き合いであるという。さらに、毎年夏に行われる徳島県阿波踊りには大塚関連企業の連に所属し、夫婦で踊りを踊っている。大村はこれを30年以上続けている。

チャーリー浜は無名時代『頓馬天狗』の殺陣のシーンで一部代役(大村と浜の顔が似ているため)を行った経験があり、それが縁で後に大村と舞台で共演した事もある。浜自身、大村を師匠と呼んで慕っており、その際に大村から受けた『下品なネタはするな・シモネタはするな・舞台で弱者を苛めて笑いを取るな』の教えを現在も頑なに守っている。

ダイハツ工業提供の『やりくりアパート』では三輪自動車ミゼットの生CMで車名を連呼し、ミゼットの売り上げに貢献した。その上、「コンちゃん、ミゼット倒れているよ」と声をかけられ、しばしばミゼットを起こしに行くこともあったと言っている。

オロナミンC ホーロー看板篠山市

昭和40年代を中心に、街中では帽子にズレ落ちたメガネでオロナミンCを宣伝している大村崑のホーロー看板が飾り、そのユニークな看板のインパクトは抜群で、大人から子どもまで知らないものはいないまでのものとなった。現在でも、山間部などでその看板を見ることができる。

現在も、日本テレビ系の『午後は○○おもいッきりテレビ』やフジテレビ系の『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』に1992年の開始から出演するなど各種ドラマの俳優として活躍しているほか、1999年から兵庫県篠山市「崑の村」と呼ばれる資料館兼芝居小屋を経営している(2009年9月閉館)。また、知る人は少ないが日本でも有数のメガネのコレクターである。

芸能界随一の好角家としても知られ、東京場所においては国技館でかならず彼の顔を見ることができる。

[編集] その他

  • 売れるまでは収入も乏しく、所得税の年末調整に伴う還付金を「ボーナス」代わりに楽しみにしていた。しかし急激に売れたため、当然ながら還付金も発生せず、年末のささやかな楽しみが消えることで人気を実感したという。
  • 絶頂期には、真っ直ぐ家に帰れなかった。ファン達が自宅を取り囲んでいたのがその理由。
  • 大村崑の台頭で、三木のり平は眼鏡をずらして掛けるのを止めたという。ただし、大村は三木のり平の追悼番組において、のり平からメガネのキャラクターを貰った旨の発言をしている。事実、「とんま天狗」では、父親役でゲスト出演をしてもらった。
  • 毎日放送開局時の名番組『番頭はんと丁稚どん』で崑松を演じた際にかぶった「横っパゲヅラ」は、実は大村自身の考案によるもので、このヅラは後のザ・ドリフターズとんねるずから最近のW(ダブルユー)(『ハロモニ。』における「頑固ひとすじ・ふたすじ」)に至るまで、コントバラエティーの必須アイテムとして今日まで受け継がれている。
  • 初期の吉本新喜劇に見られた、老人や子供等弱い立場の人物を弄って笑いを取るブラックユーモア的なネタやシモネタに対して批判的な立場を取っていた。笑いとはあくまでも芸人が考えたギャグで笑いを取るべきと云う考えがある様で、最近の若手芸人に対しても自虐ネタや素人弄りで笑いを取ろうとする傾向には批判的である。(大村自身、昭和初期からの伝統的な『笑い』の伝承者とも云え、今日のどんな手段を使っても笑いを取れれば良いと云う傾向には批判的である)
  • 元々プロ野球は阪神タイガースを応援していた。オロナミンCのCM出演も、巨人編の次は阪神編を制作するという約束で引き受けた。しかし、CMは一向に巨人編しか制作されず、また当時は巨人の全盛期でもあり、大村も大塚製薬の絡みで巨人の優勝旅行に帯同する機会が多くなった。これで情が移ったのか、現在では完全な巨人ファンとなっている。
  • 生年月日はザ・ドリフターズのリーダー、いかりや長介と同じであった。いかりやの追悼番組には必ず大村のコメントが流れ、「実はお互い兄弟ゆうてましたんや」と接点を語っていた。
  • 以前、野沢直子が大村の名前を連呼する『おーわだばく』というコミックソングを作った(1番目は曲名の通り大和田獏の名前を、2番目は菅井きんの名前を連呼しており、大村は3番目に連呼されている)。
  • 街角で会う子供からは、「ああ!秋山さんだ!」と「赤い霊柩車」の役で呼ばれることもある。
  • 1960年代前半から1970後半にかけては、「ちびっこのアイドル」と言われており、子供番組にも多数出演した。中でも、フジテレビちびっこのどじまん」の司会者としても有名。
  • かつてアマチュア無線に凝っていた時期があり、自宅は電波がよく飛ぶ小高い丘の上にある。
  • 大阪ミナミ道頓堀の「くいだおれ太郎」のモデルとよく間違われた。2008年の閉店のニュースには大村自身も悲しんでいた。

[編集] テレビドラマ

[編集] 司会

[編集] その他

[編集] CM

[編集] レコード

  • サーカスがやってくる/丁稚マンボNo.カックン(1960年9月)※A面の歌唱は和田弘とマヒナスターズ、B面の歌唱が大村昆、芦屋雁之助、芦屋小雁‐松竹映画「番頭はんと丁稚どん」主題歌
  • ゴッツイ節/こぼんちゃん(1964年11月)※A面共演かしまし娘、佐々十郎、佐山俊二由利徹、B面共演かしまし娘‐日活映画「大日本シリーズ」主題歌
  • とんとんとんまの天狗さん/らーめん親子(1960年11月)B面の歌唱は芦屋小雁‐NTV「鞍馬天狗」主題歌
  • こんちゃんのトンカチうたじまん/ちょっとモンダイだ!(1972年7月)‐NTV「おはよう!こどもショー」より
  • キン・コン・カン(1970年2月)※共演谷幹一石井均東京12チャンネル放映「〈爆笑愚連隊〉キン・コン・カン」主題歌 
    • テレビ主題歌集のコンパクト盤に収録
  • 細うで繁盛記/伊豆どんと節※A面は新珠三千代の語り、B面の歌唱が大村昆、高島忠夫、谷幹一‐YTV細腕繁盛記」より

[編集] 関連項目

[編集] 外部サイト

最終更新 2009年11月15日 (日) 23:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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