大槻ケンヂ

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大槻 ケンヂ
おおつき ケンヂ
基本情報
出生名 大槻 賢二
(おおつき けんじ)
別名 オーケン
出生 1966年2月6日(43歳)
血液型 B型
学歴 日本
中野区立第四中学校卒
日本
東京都立田柄高等学校卒
日本
東京国際大学中退
出身地 日本東京都中野区野方
ジャンル ロック
職業 ボーカリスト
作詞家
作曲家
著作家
小説家
随筆家
評論家
活動期間 1983年 -
事務所 オーケン企画
公式サイト http://www.okenkikaku.jp/
  

大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 - )は、日本の東京都中野区野方出身のロックミュージシャン作家有限会社オーケン企画所属。身長178cm。本名は大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は「オーケン」。インディーズ時代に使っていた芸名は「おーつきモヨコ」「大槻モヨコ」等。血液型B型

目次

[編集] 概要・来歴

  • 少年時代、中学の同級生内田雄一郎と共に漫画家を目指していたが、YMOヒカシューといった1980年代ニュー・ウェイヴJAGATARAザ・スターリンINUといったロックバンドなどに影響を受け、次第に音楽の世界へと興味を持ち始める。ちなみに最も影響を受けた漫画家蛭子能収、その他にも諸星大二郎らがいる。
  • 1979年、内田の誕生日会での余興の延長線上として、友人数人とバンド「ドテチンズ」(ザ・ドンズ)を結成。当初はエレクトーンを担当していた内田以外に楽器の演奏が出来るメンバーがおらず、大槻は健康器具の青竹を打ち鳴らしたりしていた。ドテチンズは中学卒業と共に解散。
  • 1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)、大槻はボーカルベース作詞を担当。ほぼ同時期、内田の高校の先輩であったケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)がドテチンズの音源を聴いて面白がり、大槻と内田とケラの三人でカラオケユニット「空手バカボン」を結成、1983年にケラの主宰していたナゴムレコードからインディーズデビュー。後に筋肉少女帯もナゴムからリリースを重ね(ごく初期の段階で、大槻がベースを弾きながらだと歌えないことが発覚したため、内田雄一郎にベースのポジションを任せている)、1980年代後半からのバンドブームに乗ってメジャーデビューする。初期の売り文句は「親から革パンツを買ってもらうロッカー」。
  • 筋肉少女帯のフロントマンとして『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを始めとする様々なメディアに露出し、『徹子の部屋』などのテレビ番組にも出演する。『徹子の部屋』初回登場の際は、極度の緊張で聞かれた内容を上手く表現できなかったという。
  • レコード会社を数社移籍しつつ、ソロ活動や「UNDERGROUND SEARCHLIE」「1980年代の筋肉少女帯」といったユニット活動の後、1999年に筋肉少女帯を脱退、新バンド「特撮」を結成して音楽活動を続ける。また、ソロ活動時に大槻のバックバンドを務めていた石塚BERA伯広(qyb、元筋肉少女帯)や小畑ポンプすかんち)、佐藤研二(元マルコシアス・バンプ)と共にアングラロマンバンド「電車」を組んだ他、「オーケン&ニセ特撮」「大槻ケンヂ&ヤングス」「大槻ケンヂと名前は何でもいい」といった企画バンドで各種イベントにも多数出演。現在も、アンプラグドユニットや、バンド形式ながら大槻以外のメンバーを固定しない「大槻ケンヂス」、ジャズアニメ・特撮ソングといったイベントへのゲスト参加などで、積極的にソロでのライブ活動を行っている。
  • 縁のあるミュージシャンやサブカル系のゲストを招いて新宿ロフトプラスワンにて行われるトークイベント「のほほん学校」も、1998年から現在まで定期的に行われている。
  • 筋肉少女帯時代の一部のメンバーとは一時決別状態であったが、近年イベントなどを通じ「仲直り」し、2006年7月に復帰。12月に筋肉少女帯復活ライブを行った。同年12月25日付で『大槻ケンヂと特撮ファンクラブ』より特撮のバンド活動休止が発表されるが、後に新しい所属事務所・オーケン企画より、活動休止ではなく、あくまで充電期間である、との説明が行われる。特撮としてのバンド活動は行われていないが、大槻ソロでの音源録音やライブでは、特撮メンバーと共に行われる事がある。
  • 1990年代前半から筋肉少女帯として活躍する傍ら文筆活動も始めている。小説に『新興宗教オモイデ教』『グミ・チョコレート・パイン』『ステーシー』などがある他、『オーケンののほほん日記』など複数のエッセイを著している。大槻のエッセイは、フランス文学者の鹿島茂や評論家の坪内祐三松岡正剛も絶賛している。また、「「SFマガジン」(早川書房)にて執筆していた「くるぐる使い」と「のの子の復讐ジグジグ」は日本SF大会において星雲賞日本短編部門(各25、26回)に選ばれている。作家活動における文体は、昭和軽薄体を意識しているとの事。日本SF作家クラブの会員でもあるが、本人によれば幽霊部員状態が続いているという。
  • 2007年現在、筋肉少女帯への復帰以降から小説執筆は止まっているが、対談やエッセイの連載は続けている。
  • 2008年6月21日で筋肉少女帯デビュー20周年を迎えた。

[編集] 人物

  • 東京都立田柄高等学校出身(1期生)、日本デザイナー学院中退、(実質二浪で)東京国際大学へ進学、その後中退。
  • 父、母、兄の4人家族。父は信用金庫の支店長をしていた[1]。兄はTVカメラマンの大槻慎一(1964年 - )[1][2]。父方の伯父は松竹を経てフリーとなった映画監督の大槻義一(おおつき よしかず、1927年7月26日 - )[3][4]
  • アーティスト名の表記を大槻ケンとしたのはKENZI&THE TRIPSのケンヂを真似たものである[5]
  • 辛辣かつ、相手を容赦なく徹底的に論破するなどの一面も持っている。例としては、1990年頃、伊集院光のラジオ番組にゲストで呼ばれた際、当時伊集院が心酔していた催眠術に対して生放送中に激しい疑問を呈し、当時の深夜放送界での盟友であった伊集院と数年間の絶縁関係に陥った事などが挙げられる(後に伊集院とは和解している)。また、大槻は今でこそ自身もオタクの一員ということを否定しないが、「オタク」という言葉が確立する以前、『オールナイトニッポン』のパーソナリティ時代に、今で言うところのアニメオタク達を「アニマー」と名付けて批評したところ、リスナーとの間で激しい論争となった。
  • メジャーデビューの際、アポロンに『文化放送のレコード室にあるの全部ダビングしていいから』と口説かれたと語る[6]
  • 26歳からの3年間、タイで食べたオムレツに入っていたマジックマッシュルームがきっかけで心的外傷後ストレス障害に悩まされる[7]。その後、森田療法と出会い復活する[要出典]
  • ライブパフォーマンスで、「〜だと問うならばー!」と客に振り、客が「問うならばー!」と返し、「〜したいですよねー!?」というフレーズを使う(例:この曲が聴きたいと問うならば→問うならば→聴きたいですよね→当該曲の演奏開始)。また、小道具として人形を登場させることがあるが、近年では下記のブースカを使用して一人芝居をする。また、ライブのクライマックス(アンコール後)の楽曲が終盤にかかると、ヌンチャクを取り出して振り回すことが多い。
  • 快獣ブースカのぬいぐるみを我が子と称して多数所持しており、寝食を共にするほど。特撮ではブースカをモデルにした「文豪ボースカ」という曲を制作、ライブのMCにもボースカ(ブースカ人形)を参加させている。
  • 本人もエッセイのネタにしているが「インディーズで話題になるまで」まったくモテなかった。また「初体験の相手はデビューしてから彼を取り巻きはじめた『ナゴムギャル』(ナゴムレコードファンの女の子)」とのこと。
  • 1990年代のバンドブームの最中を第一線で過ごした人物として、バンドブーム時代の追っかけギャル達の生態やヴィジュアル系と言われるバンド群に関して、小説やエッセイ、対談などで多く言及している。また自分自身(筋肉少女帯)をヴィジュアル系の元祖であることも自書やエッセイでほのめかしている。
  • 井上陽水奥田民生を引き合わせたのは大槻。井上から「君も含めて奥田とデーモン小暮を交えて飲みたい」と頼まれたことが始まり[8]
  • 様々なサブカルチャーに精通しており、それらに関する多くの著作の他に、歌詞や小説にアイディアとして取り入れられている。特にUFOに関しては本人もマニアを自称するほど詳しい。
  • 筋肉少女帯が売れ出した頃、ライブに出かける際、母親に「ケンちゃんコロッケ揚げたてだから、食べていきなさい!」と呼び止められたり、感謝の意も込め収入からまとまったお金を渡すも、父親は息子が仕事にあぶれても収入が得られるようにとそれを元手に賃貸アパートを購入するなど、家人のおよそロックとはかけ離れた庶民臭さを嘆いている。
  • 19701980年代にヒットしたサブカル誌「ビックリハウス」の常連投稿者(ハウサー)だった。当時の年齢は13歳。「ビッグムーン大槻」というペンネームで、「ジャパベン共和国」というコーナーでは外務大臣の地位を得ていた。
  • プロレス古武道を中心とした格闘技ファンでもあり、興行や大会などに足を運ぶ事もある。日米レスリングサミット1990年4月13日)では、当時の恋人と思われる女性との2ショットを写真週刊誌に掲載されたことがある。不安神経症を患ったことをきっかけに心身のリハビリとして[9]実際に極真会館(大山派。当時)で空手を習っていた時期もあるが、上達する事はなかったという。ただ、極真会館に在籍したままグローブ着用顔面殴打有りの新空手の試合にチャレンジするなどして、習い事としての格闘技の敷居を下げる活動を福昌堂の雑誌ムックで行っていた。
  • 小学5年生から読書に目覚め、この時から江戸川乱歩作品に精通しており、アルバム名や歌詞の中に作品のフレーズを引用している他、自らが乱歩に向けた手紙を歌詞の中に入れるなど、大の乱歩ファンとして知られている。自身のファンに向けて、乱歩の短編小説「二銭銅貨」で用いられた暗号を使用してメッセージを書いた事などもある。作家業においても、エッセイでは怪人二十面相明智小五郎に、明智の妻・文代、小林少年といった、乱歩の代表作『少年探偵団シリーズ』の人物関係などの考察や、それを基にした短編小説を発表している。過去には『世界・ふしぎ発見!』の乱歩特集でミステリーハンターとして出演した他、近年ではNHKの江戸川乱歩作品考察番組への出演(2005年)や、同局『名作平積み大作戦』にてプレゼン(2006年)を行ったりしている。
  • 他に文学関係では、中原中也寺山修司などの影響も強く受けている。特に中原に関しては、筋肉少女帯のシングル「リルカの葬列」などの歌詞の中に詩や散文を引用したり、筋肉少女帯のアルバム『キラキラと輝くもの』に収録されている「サーチライト」では自ら「中也のパクリ」と自虐的な表現として用いた事がある。
  • シャーロック・ホームズに没頭した時期もあり、ホームズが体得していた謎の東洋格闘技・バリツとは、当時のイギリスで教えられていた柔術を取り入れた護身術・バーティツなのではないかという仮説をエッセイ中で述べ、ホームズの子孫とモリアーティ教授の子孫がバリツを駆使して戦う短編小説の発表もしている。
  • 本人も公言するほどファンに手を出すことで有名。近年でも度々写真週刊誌に女性とラブホテルでの密会現場などが掲載されている。こういった女性達を題材にした著書『愛の履歴書』というエッセイや「バンドマンの恋人になる方法」という本も出版されている。
  • 今までは大槻ケンヂは「千人斬り」とされてきたが、テレビ番組『美しき青木・ド・ナウ』にゲスト出演した際、大槻ケンヂ本人から「千人も斬ってないから300人くらいに直しておいて」と呼びかけ、訂正されたことがある。
  • 2008年になって「(有)オーケン企画」の社歌を作ろうと目論んでいる。アンプラグドライブの打ち上げの際、「我が社は御社〜♪へりくだって弊社〜♪」や「ゆーげん ゆーげん オーケン企画〜♪」というフレーズを作って自分だけが大ウケしていた。
  • 「物販も大事」と悟り、バンド活動と共に販促に勤しんでいる。
  • ミュージシャンとしての活動歴は長いが、スタジオの仕組みについては未だに解っていないことを2007年4月6日放送の『MUSIC JAPAN』第1回に筋肉少女帯で出演した際に自他共に認めた。橘高文彦がレコーディング作業をし、ボーカル録り以外完成していたとある曲をインストゥルメンタルにすることを他のメンバーと同意してたところ、大槻が詩の朗読を入れたいと言い出した。当時のスタジオは48チャンネル使え、更にもうひとつのスタジオとも繋いでいたため、96チャンネル使えたが、今更収録するのを面倒臭かったため「スタジオで使えるチャンネルは限られていて、君の歌を入れる場所はない」と嘘をつき、大槻を納得させたことを明かした。

[編集] 大槻ケンヂの影響

  • 筒井康隆は『リンウッド・テラスの心霊フィルム―大槻ケンジ詩集』に収録されている散文詩を高く評価し[要出典]、アンソロジーの中に大槻の散文詩の一つ「屋上」を収録。後に同じテーマを扱った短編小説「二度死んだ少年の記録」を発表した際には、作中冒頭で大槻について言及している。
  • 新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクター・綾波レイのデザインは筋肉少女帯の「何処へでも行ける切手」の歌詞をイメージソースにしてデザインした、とキャラクターデザインを担当した貞本義行本人がインタビューや自身が手がける漫画版『新世紀エヴァンゲリオン』の単行本2巻巻末で語っている。また、綾波レイの話し方も「福耳の子供」が参考にされている。
  • ビジュアルノベルというジャンル名の由来にもなったアダルトゲーム『』では、シナリオ担当の高橋龍也が大槻の処女小説『新興宗教オモイデ教』を脚本を考える際の下敷きにしたと発言している。
  • 荒木飛呂彦の長編作品『ジョジョの奇妙な冒険』第四部「ダイヤモンドは砕けない」には、筋肉少女帯の曲の歌詞からの引用や、当時の大槻のルックスを参考にしたキャラクター・音石明が登場している。
  • 他に、作家では滝本竜彦遠藤徹、漫画家では山田花子和月伸宏奥瀬サキなどが大きく影響を受けたと公言している。
  • JASRACによる音楽独占管理が批判に上がる際、よく引き合いに出されるのが通称「オーケン事件」であった。自身が作詞した「高円寺心中」をエッセイに載せたところ、JASRACに歌詞の使用料を求められ[10]、しかも印税として還元されなかったという話である。しかし大槻本人は「使用料を徴収されたことはない。都市伝説だと思う」と公式に否定している[11]

[編集] 作品

筋肉少女帯の作品に関しては筋肉少女帯の当該項目を、特撮の作品に関しては特撮の当該項目を参照。

[編集] シングル

  • オンリー・ユー (1995年2月22日)
  • あのさぁ (1995年6月21日)
  • プカプカ (1996年8月7日)

[編集] アルバム

  • ONLY YOU(1995年3月8日)
  • I STAND HERE FOR YOU(1995年8月23日)
  • わたくしだから(1996年8月21日)
  • スケキヨ(1998年4月22日) - UNDERGROUND SEARCHLIE 名義
  • アオヌマシズマ(1998年5月21日) - UNDERGROUND SEARCHLIE 名義
  • THE BEST OF KENJI OHTSUKI(1998年) - ベスト盤
    (オンリー・ユー/ジェロニモ/ワインライダー・フォーエバー/プカプカ/あのさぁ/海千山千/ののの唄/天プラ/モンブランケーキ/もうがまんできない/君は千手観音/タンゴ/天使/がんばったがダメ/Guru)
  • 猫対犬〜オーケン・ソロベストR(1999年) - ライブ盤
    (とん平のヘイ・ユー・ブルース/未青年/僕の宗教へようこそ!/私はみまちゃん/横隔膜節/猫見に行ったら犬がいた/
    オンリー・ユー/恋人よ逃げよう世界はこわれたおもちゃだから/高円寺心中/パヤパヤ/とん平のヘイ・ユー・ブルース)
  • 対自核自己カヴァー(2002年) - セルフカバー盤
    (Guru/ボヨヨン伝説〜ボヨヨンロック〜日本印度化計画〜元祖高木ブー伝説〜これでいいのだ〜踊るダメ人間/
    カーネーション・リインカネーション/風車男ルリヲ/詩人オウムの世界/あのさぁ/モンブランケーキ/少年、グリグリメガネを拾う/
    孤島の鬼/夢見るショック!仏小僧/サボテンとバントライン/蜘蛛の糸/天使/Guru return/
    初回版 Bonus Track:機械/オッパイマンの唄(オリジナル盤))
  • プライベート・アンプラグド(2004年)
    (猫のリンナ/町のスケッチ/犬を手離す/青ヒゲの兄弟の店/香菜、頭をよくしてあげよう/妖怪にご用心/おやすみ)
  • ミッドナイト プラグレス カフェ(2009年) - セルフカバー盤

[編集] 参加作品

  • ウッドストック、S伝説(1985年) - 巻上公一プロデュース『都に雨の降る如くII』(東芝EMI)に大槻モヨコ名義で田口トモロヲとのデュオ「チワワ」として参加。作曲は上野耕路巻上公一
  • BRAIN BREAKERS - 大槻モヨコ名義で作詞、ヴォーカルで参加。「SHI-TA-I!! HOT MENUS-TEIYU CONNECTION'87」(capten records)収録
  • シティロマンス(1987年) - ナゴム時代の盟友人生のシングル『LOVE』にゲストボーカルで参加。石野卓球との唯一の音源上の共演である。
  • ボヨヨンロック(1989年) - 内田雄一郎とのユニット「まんが道」として。
  • 神智学無き戦い(1993年) - アニメ『剣勇伝説YAIBA』のED。(作詞:大槻ケンヂ/作曲:網倉一也/編曲・歌:カブキロックス
  • コボちゃんグルー(1993年) - アニメ『コボちゃん』のOP。「おーつきけんじとエマニエル5」(筋肉少女帯と同一構成)として。
  • METAL DRAGON(1998年) - カンフー映画の曲のメタル・カバー・アルバムにアルバム内唯一のオリジナル曲「メタル・ドラゴン」にボーカルとして。
  • 鞄(2003年) - RIDER CHIPSのフィーチャリングボーカリストとして。
  • 踊る赤ちゃん人間(2006年) - アニメ『NHKにようこそ!』のED。橘高文彦とのユニット「大槻ケンヂと橘高文彦」として。
  • GO! リュウケンドー(2006年) - 特撮テレビ番組『魔弾戦記リュウケンドー』のOP(30話より)にボーカルとして。
  • 人として軸がぶれている(2007年) - アニメ『さよなら絶望先生』のOP。野中藍井上麻里奈小林ゆう沢城みゆき新谷良子とのユニット「大槻ケンヂと絶望少女達」として(ただし、声優以外の録音メンバーは特撮と同一の構成である)。「絶望先生」OPに関しては同一メンバー。
  • 空想ルンバ(2008年) - アニメ『俗・さよなら絶望先生』のOP。「大槻ケンヂと絶望少女達」として。元々は「俺の値段を誰が決めた」というタイトルだった、と本人が語っている[12]
  • 豚のご飯(2008年) - アルバム『絶望大殺界』収録。小林ゆうとのユニット「大槻ケンヂと木村カエレ」として。プロデュースはNARASAKI。
  • プライド オブ アンダーグラウンド(2008年) - 『ポアロのあと何分あるの?』放送300回記念で作成された番組のテーマソング。「ポアロ feat.大槻ケンヂ」として。
  • あくびの戦士がふぁー(2008年) - パソコンゲーム『スマガ』の挿入歌。プロデュースはNARASAKI。同ゲームのサウンドトラック『Sumaga Music Galaxy』にフルサイズ収録。
  • かくれんぼか鬼ごっこよ(2008年) - 「大槻ケンヂと絶望少女達」として。
  • GO!!俺ら(2009年) - パソコンゲーム『スマガスペシャル』の挿入歌。
  • 林檎もぎれビーム!(2009年) - アニメ『懺・さよなら絶望先生』のOP。「大槻ケンヂと絶望少女達」として。

[編集] 出演

[編集] テレビ

[編集] TVアニメーション

[編集] CM

[編集] 映画

  • ファンシィダンス
  •  !(アイオー) 主演(1990年)
  • RAMPO ゲスト出演(1994年、タクシー運転手役)
  • 無頼平野 ゲスト出演(奇術師役)
  • ステーシー 原作、特別出演
  • シベリア超特急5
  • ワンルーム・ストーリー(1991年、路上詩人役)

[編集] オリジナルビデオ

  • 空想科学任侠伝 極道忍者ドス竜 主演

[編集] ラジオ

[編集] 書籍

[編集] 小説

  • 新興宗教オモイデ教(1992年)
  • くるぐる使い(1994年)
    • 短編集。文庫化もされたが現在は絶版。
    • 表題作「くるぐる使い」が第25回星雲賞日本短編部門受賞。吉川英治文学新人賞の候補にも。2006年「ネムキ」にて大橋薫により漫画化。
    • 収録作の一つ「のの子の復讐ジグジグ」は「くるぐる使い」に続き第26回星雲賞日本短編部門受賞。
    • 筋肉少女帯のアルバム『UFOと恋人』に、収録短編と同じモチーフの楽曲が多数収録されている。
  • ステーシー ―少女ゾンビ再殺談(1997年)
    • 単行本のイラストを担当した長田ノオトによって1998年に漫画化。
    • 友松直之監督により『STACY』の題で2001年に映画化。主演は加藤夏希。作者である大槻も特別出演。
    • 月蝕歌劇団により2004年に舞台化。
    • 作者である大槻自身の手による外伝短編が複数存在している。それら全てを収録した完全版として『ステーシーズ ―少女再殺全談』が2008年に角川文庫より発売。
    • 筋肉少女帯のアルバム『ステーシーの美術』に、本作と同じモチーフの楽曲が多数収録されている他、特撮でも同じ世界観を共有している楽曲がある。
  • リンダリンダラバーソール ―いかす!バンドブーム天国(2002年)
    • バンドブームを描いた、エッセイの要素が強い自伝的小説。
    • 喜安浩平の脚本・演出により2008年に舞台化。主演はAAA西島隆弘
  • グミ・チョコレート・パイン(1993年〜2003年)
  • ロッキン・ホース・バレリーナ(2004年)
    • 特撮のミニアルバム『夏盤』に、本作のイメージソングが多数収録されている。
  • 大槻ケンヂ短編集「ゴスロリ幻想劇場」(2005年)
  • ロコ!思うままに(2006年)
    • 短編集。特撮のベスト・アルバム(及び、その表題楽曲)と同じタイトル。表紙イラストもアルバム・ジャケットと同じものを使用。
  • 縫製人間ヌイグルマー(2006年)
    • 特撮の楽曲「戦え!ヌイグルマー」の歌詞を基にしている。イラストも「戦え!ヌイグルマー」が収録されているアルバム『ヌイグルマー』のジャケットを担当したD[di:]
  • 筋肉少女帯物語
    • 未完作品。1990年代の筋肉少女帯における出来事を綴った自伝小説。

[編集] エッセイ

  • オーケンののほほんと熱い国へ行く(1991年)
    • 生まれて初めて書き下ろした著書。
    • テレビの企画で訪れた初めてのインド旅行記とタイへの初めての一人旅の体験記。インド編とタイ編の2編で構成される。
  • のほほん雑記帳(1992年)
  • 行きそで行かないとこへ行こう(1992年)
  • ボクはこんなことを考えている(1993年)
    • 超常現象、プロレス、少女の心理に対する考えや、自身の体験談からなるエッセイ。
  • のほほん人間革命(1995年)
  • オーケンののほほん日記1992-1995(1996年)
  • エッセイ・SR311(1996年)
    • 文庫版では『猫を背負って街へ出ろ!』に改題。
  • 大槻ケンヂのお蔵だし(1997年)
  • わたくしだから(1998年)
    • 文庫版では『わたくしだから・改』に改題。
  • オーケンののほほん日記ソリッド(1999年)
  • オーケンの散歩マン旅マン(1999年)
  • のほほんだけじゃだめかしら?(1999年)
  • 90くん(2000年)
    • 文庫版では『90くんところがったあの頃』に改題。
  • 大槻ケンヂの読みだおれ ―大槻ケンヂのお蔵だしPart2(2001年)
    • 文庫版では『我が名は青春のエッセイドラゴン!』に改題。
  • オーケンのめくるめく脱力旅の世界(2001年)
  • 神菜、頭をよくしてあげよう(2003年)
  • オーケンの、私は変な映画を観た!!(2004年)
    • 文庫版では『変な映画を観た!!』に改題。
  • 綿いっぱいの愛を!(2005年)
  • 愛の履歴書(2005年)
  • 暴いておやりよドルバッキー(2007年)
  • 人として軸がブレている(2009年)

[編集] 詩集

  • リンウッド・テラスの心霊フィルム ―大槻ケンジ詩集(1990年)
    • 筋肉少女帯の楽曲の歌詞と、書き下ろしの掌編を収録。
    • 当時は詩人として活動する際は「大槻ケン」名義になる事を表明していた為、著者表記は誤植ではなく意図的な物である。文庫版では『リンウッド・テラスの心霊フィルム』に改題、新装文庫版からは著者表記も「大槻ケンヂ」となっている。
    • 書き下ろされた散文詩の一つ「なつみさん」は清水厚監督により『NATSUMISAN』の題で2005年に映画化。主演は香奈
  • 大槻ケンヂ全詩歌集「花火」(2003年)
    • デビュー15周年記念。インディーズ最初期から本作付属CDまで、今まで楽曲として使用された全詩歌を収録。
    • ただし特撮の楽曲「あの娘が遊びに来る前に」「やってんだかわからない美術館」の二作の歌詞は未収録となっている。

[編集] 対談集

  • 人生いろいろ 大槻ケンヂ人生対談集(1991年)
  • 超常事件簿(1995年)
  • 直撃!強くなりたい道!こんな経験、ボク初めてなんです(1996年)
    • 武道家との対談集。
  • トンパチ(1997年)
  • 偶像(アイドル)列伝 オーケンの私はあなたが好きでした(2000年)
  • 大槻ケンヂのザ・対談猫対犬(2002年)
    • 音楽雑誌「uv」に連載されたミュージシャンとの対談集。
  • オーケンのほほん学校(2005年)
    • 大槻が主宰しているイベント「のほほん学校」のベスト・トーク集。
  • 激突!大槻ケンヂ対美女軍団(2007年)
    • 映画雑誌「映画秘宝」で連載された映画女優との対談集。

[編集] その他

  • デーモン・オーケンのラジオ巌流島(1994年)
  • 大槻ケンヂのプロレス・格闘技世紀の大凡戦(2005年)
  • 筋肉少女帯自伝(2007年)
    • 活動再開後の筋肉少女帯メンバーとの共著。インタビュー形式。
  • 女王様ナナカ(2008年)
    • 原作:大槻ケンヂ、漫画:西炯子
    • 1993年「別冊少女コミック」特別増刊号「花林」に掲載。1996年に西炯子の同人誌として出版された。同人誌では、原作者である大槻の表記は「カレーライス師匠」となっていた。
    • 2007年に「月刊COMICリュウ」で連載再開。単行本が発売される。単行本では原作者表記は元に戻っている。
  • 大槻ケンヂ20年間わりと全作品(2008年)

[編集] 関連人物

ナゴム出身者

影響を受けた漫画家

[編集] 外部リンク

[編集] 出典・脚注

  1. ^ 週刊新潮」1990年1月11日号 より
  2. ^ 日本テレビ系『メレンゲの気持ち』出演時のトーク より
  3. ^キネマ旬報2006年6月下旬号「オーケンの映画と私 第14回 僕の映画のルーツは、親父と伯父と時々、木下恵介!?」 より
  4. ^ 『日本映画人名事典 監督篇』(キネマ旬報社)より
  5. ^ TBS系『はなまるマーケット』出演時のトークより
  6. ^ 文化放送A&Gメディアステーション こむちゃっとカウントダウン2006年8月19日放送分など
  7. ^ 絶望に効くクスリ Vol.7 (ISBN 4-09-151092-2)第63夜 武装解除の野原(後編)。自身のエッセイによると、この一件以来キノコ類が食べられなくなってしまったらしい。
  8. ^ 『リンダリンダラバーソール』2002年3月(メディアファクトリー)P158-165
  9. ^ 『直撃!強くなりたい道』(福昌堂)による。
  10. ^ 岡田斗司夫田中公平山本弘『史上最強のオタク座談会2 回収』音楽専科社、2000年、p.123など。
  11. ^ 2008年11月20日に発売された雑誌「ぴあ」の連載にて。大槻ケンヂ『人として軸がブレている』ぴあ社、2009年に所収。
  12. ^ オーケンブログ:1/23 不定期日記より
  13. ^ 番組最後のコーナー、『絶望先生絵描き歌』に本人役の声で出演・歌唱、同時に絵描き歌に合わせて、自筆のイラストも披露している。

最終更新 2009年11月19日 (木) 19:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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