大澤善夫
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| おおさわ よしお 大澤 善夫 |
|
| 本名 | 大澤 善夫 |
|---|---|
| 別名 | 大沢 善夫 J.Osawa |
| 生年月日 | 1902年2月2日 |
| 没年月日 | 1966年10月18日(満64歳没) |
| 出生地 | |
| 国籍 | |
| 職業 | 映画プロデューサー、実業家 |
| ジャンル | トーキー |
| 活動期間 | 1932年 - 1966年 |
| 活動内容 | J.O.スタヂオ 太秦発声映画株式会社 東宝映画株式会社 東宝株式会社 大和プロダクション 日本映画海外普及協会 |
| 家族 | 大澤善助 祖父 大澤徳太郎 父 |
大澤 善夫(大沢-、おおさわ よしお、1902年2月2日 - 1966年10月18日)は、日本の映画プロデューサー、実業家である[1]。現在の映画会社東宝の前身の一社、J.O.スタヂオを設立したことで知られる[1]。
目次 |
[編集] 人物・来歴
1902年(明治35年)2月2日、京都市に生まれる[1]。祖父大澤善助は大沢商会(現在の大沢商会グループ)の設立者[1]、その後継者である父大澤徳太郎は貴族院議員であった。アメリカ合衆国に渡り、プリンストン大学を卒業した[1]。
1932年(昭和7年)、京都・太秦蚕ノ社にトーキー専門の先駆的撮影所J.O.スタヂオを設立、日活京都撮影所長を辞任した池永浩久を同社顧問に迎え、池永が同社内に太秦発声映画株式会社を創立した[1]。1934年(昭和9年)、音楽映画『百万人の合唱』を製作した[1]。太秦発声は日活との提携を進めたが、J.O.スタヂオがのちの東宝を形成する企業群と提携したため、太秦発声は1936年(昭和11年)をもって製作を中止した。
1937年(昭和13年)9月10日、大澤のJ.O.スタヂオは、写真化学研究所、ピー・シー・エル映画製作所、東宝映画配給と合併し、東宝映画株式会社となった。
1943年(昭和18年)12月、東宝映画は東京宝塚劇場と合併し東宝となり、大澤は同社の取締役に就任する[1]。
第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)、大和プロダクションを設立、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督による日本映画『アナタハン』を製作[1]、1953年(昭和28年)6月28日に日本で、1954年(昭和29年)5月17日に米国で公開された。
日本映画海外普及協会理事に就任した[1]。
1966年(昭和41年)10月18日、死去した[1]。満64歳没。
[編集] おもなフィルモグラフィ
- 『百万人の合唱』、監督富岡敦夫、1935年1月13日 - 製作
- 『新しき土』、監督アーノルド・ファンク / 伊丹万作、1937年2月4日
/ 同年3月23日
- 製作
- 『アナタハン』、監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ、1953年6月28日
/ 1954年5月17日
- 製作
[編集] 関連書籍
- 荒金義喜『大澤善夫』、大善、1968年
[編集] 註
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月7日 (水) 21:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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