大石大二郎
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| 福岡ソフトバンクホークス コーチ #80 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 静岡県静岡市駿河区 |
| 生年月日 | 1958年10月20日(51歳) |
| 身長 体重 |
166cm 71kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 二塁手 |
| プロ入り | 1980年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1981年4月8日 |
| 最終出場 | 1997年9月11日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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監督・コーチ歴
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この表について
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大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。1987年から1990年までの登録名は「大石 第二朗」。現役時代は「さわやか大ちゃん」として親しまれた。
2008年8月から2009年までオリックス・バファローズの監督を歴任し、2010年からは福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチに就任予定。
目次 |
[編集] 経歴
静岡商業高校で2回甲子園に出場。久保寺雄二(後に南海に入団)は同級生。
高校卒業後は亜細亜大学に進学。東都大学リーグ通算91試合出場、344打数99安打、打率.288、4本塁打、25打点、44盗塁。ベストナイン2回。1979年春季のリーグでは17盗塁をマークし当時のリーグ新記録を樹立(1987年春季のリーグで野村謙二郎が18盗塁を記録してリーグ記録を更新する)。
[編集] 選手時代
1980年にドラフト2位で近鉄バファローズに入団した。1年目の1981年は代走や守備固めの出場が多く、77試合の出場で打数はわずか19であった。翌1982年に打率.274、12本塁打、47盗塁の成績で新人王を獲得。1983年には60盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、福本豊の連続盗塁王記録を13年で止めた。通算では盗塁王のタイトルを4度獲得。34歳で開幕迎えた1993年に盗塁王を獲得し、パリーグ史上最年長記録樹立し1978年柴田勲と並び日本プロ野球最年長記録に並んだ。大阪ドームが完成した1997年限りで引退。
身長166センチと体格には恵まれなかったが、優れた守備、走塁の技術と、1984年には29本塁打を記録などの長打も期待できる打撃で、近鉄の一番打者として長く活躍した。その活躍ぶりから、ファンからは「近鉄史上最高の一番打者」「近鉄史上最高の二塁手」と称えられている。性格は折り目正しく礼儀を重んじる。打席に立った際には「だーいちゃーん!」コールが3回行われた後、鉄腕アトムが原曲の応援歌が流されるなど、ファンに親しまれた選手だった。
1984年のオールスターゲーム第3戦で、それまで8連続奪三振を続けていた江川卓と対戦し、セカンドゴロを打って9連続奪三振の記録を阻止した。
1989年の日本シリーズで同年の沢村賞投手斎藤雅樹から同シリーズ史上唯一度の第1戦初回先頭打者ホームラン(同試合は大石の亜大の後輩で同僚阿波野秀幸が3失点完投勝利)を放った。
[編集] コーチ・監督時代
引退後はフジテレビ、関西テレビ、日刊スポーツの野球解説者を経て、2003年から近鉄の守備走塁コーチ。
2005年、サーパス(オリックス・バファローズ2軍)の総合チーフコーチに就任。加藤英司監督が腰痛のため休養した間には監督代行。2006年、サーパス監督に就任。例年下位に沈んでいたチームを上位争いに食い込ませた。2007年からは一軍のヘッドコーチに就任。2008年5月にはシーズン途中でのテリー・コリンズ監督辞任により、一軍監督代行に就任した。
そして就任後にオリックスが息を吹き返し、クライマックスシリーズ争いに加わったことから8月2日には監督に昇格し、それと共に2009年も続けて指揮を執ることが発表された。これにより大石は近鉄OBとして初めてオリックス・バファローズの監督となった。そしてチームは大石が監督就任する直前の7月後半に自力1位は消滅しながらも調子をあげ、9月上旬に2位へ浮上するとそのままクライマックスシリーズ進出を決めたが、クライマックスシリーズは日本ハムに連敗して敗退した。初戦に先発が予想されていた小松聖を2戦目に先発させるなどの奇策を取ったがエラーなども重ねて敗退した。2008年の秋のキャンプでは野茂英雄を臨時投手コーチとして招聘し、選手の間でも好評だった。特に加藤大輔は「今までの3年(の練習)を、ものの5分で超えてしまった」と発言して野茂の指導に感謝していた。
2009年は前年から投手コーチを務めている清川栄治、赤堀元之に加え、大石が現役時代が長年の付き合いがある佐々木修を投手チーフコーチに迎え投手コーチ3人制としたが、投手陣不振のため佐々木は6月8日で2軍投手コーチに降格。清川が投手チーフコーチに昇格。それでも6月は4勝14敗と大きく負け越した。結局、シーズン終了まで再浮上のきっかけをつかむことはできず2年ぶりの最下位に逆戻りとなりその責任を取らされる形で解任となった。
2009年11月25日に福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチ就任が決まった[1]。
[編集] エピソード
- 現役時代から競輪が好きでシーズン中でも熱中していたが、監督に就任してからは、競輪の予想をするまで神経が回らず、競輪を止めたと語っている。選手名鑑の趣味の欄のところに競輪観戦と書いていた。
- 現役時代の応援歌の原曲は鉄腕アトムのテーマだった。
- 大石は息子が二人いて(週刊ベースボール選手名鑑より)長男が競輪選手を目指している。
- フジテレビ・関西テレビの野球解説者時代に慎吾ママのおはロックのPVに出演したことがある。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
順 位 |
失 策 |
長 打 率 |
出 塁 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981 | 近鉄 | 77 | 19 | 14 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .316 | - | 0 | .316 | .350 | .666 |
| 1982 | 129 | 492 | 86 | 135 | 16 | 1 | 12 | 189 | 41 | 47 | 12 | 23 | 2 | 55 | 1 | 42 | 7 | .274 | 17 | 10 | .384 | .349 | .733 | |
| 1983 | 130 | 506 | 90 | 145 | 23 | 6 | 10 | 210 | 46 | 60 | 14 | 14 | 2 | 62 | 8 | 64 | 4 | .287 | 18 | 11 | .415 | .373 | .788 | |
| 1984 | 130 | 528 | 97 | 149 | 22 | 5 | 29 | 268 | 65 | 46 | 19 | 10 | 0 | 58 | 2 | 58 | 5 | .282 | 16 | 18 | .508 | .355 | .863 | |
| 1985 | 83 | 321 | 62 | 99 | 21 | 4 | 11 | 161 | 45 | 19 | 4 | 12 | 2 | 35 | 5 | 32 | 3 | .308 | - | 8 | .502 | .385 | .887 | |
| 1986 | 130 | 538 | 95 | 156 | 16 | 12 | 16 | 244 | 55 | 24 | 14 | 12 | 6 | 33 | 6 | 47 | 5 | .290 | 15 | 15 | .454 | .338 | .792 | |
| 1987 | 130 | 532 | 75 | 141 | 26 | 4 | 5 | 190 | 42 | 41 | 9 | 10 | 3 | 39 | 2 | 58 | 6 | .265 | 14 | 8 | .357 | .318 | .675 | |
| 1988 | 128 | 488 | 65 | 123 | 13 | 9 | 5 | 169 | 34 | 16 | 9 | 18 | 1 | 51 | 0 | 55 | 4 | .252 | 26 | 11 | .346 | .323 | .669 | |
| 1989 | 109 | 401 | 70 | 111 | 22 | 1 | 8 | 159 | 33 | 14 | 4 | 21 | 0 | 48 | 1 | 46 | 4 | .277 | 20 | 7 | .397 | .356 | .753 | |
| 1990 | 125 | 471 | 93 | 148 | 25 | 6 | 20 | 245 | 69 | 20 | 4 | 15 | 4 | 49 | 2 | 51 | 8 | .314 | 2 | 16 | .520 | .381 | .901 | |
| 1991 | 125 | 459 | 77 | 123 | 22 | 3 | 6 | 169 | 42 | 12 | 7 | 18 | 4 | 62 | 5 | 65 | 7 | .268 | 22 | 6 | .368 | .361 | .729 | |
| 1992 | 130 | 487 | 76 | 131 | 24 | 6 | 6 | 185 | 47 | 39 | 13 | 23 | 1 | 62 | 3 | 56 | 4 | .269 | 22 | 7 | .380 | .355 | .735 | |
| 1993 | 127 | 470 | 69 | 121 | 10 | 2 | 10 | 165 | 49 | 31 | 7 | 23 | 0 | 51 | 3 | 65 | 6 | .257 | 16 | 16 | .351 | .334 | .685 | |
| 1994 | 84 | 274 | 44 | 74 | 15 | 0 | 2 | 95 | 33 | 11 | 1 | 12 | 1 | 31 | 2 | 37 | 7 | .270 | - | 8 | .347 | .349 | .696 | |
| 1995 | 102 | 303 | 43 | 73 | 13 | 1 | 4 | 100 | 21 | 11 | 6 | 9 | 2 | 38 | 2 | 52 | 5 | .241 | - | 5 | .330 | .329 | .659 | |
| 1996 | 80 | 224 | 36 | 49 | 7 | 3 | 2 | 68 | 19 | 11 | 1 | 10 | 5 | 29 | 3 | 44 | 4 | .219 | - | 5 | .304 | .316 | .620 | |
| 1997 | 73 | 151 | 24 | 40 | 6 | 0 | 2 | 52 | 13 | 2 | 2 | 6 | 3 | 22 | 1 | 22 | 2 | .265 | - | 4 | .344 | .342 | .686 | |
| 通算:17年 | 1892 | 6664 | 1116 | 1824 | 281 | 63 | 148 | 2675 | 654 | 415 | 131 | 236 | 36 | 725 | 47 | 798 | 81 | .274 | - | 159 | .401 | .349 | .750 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 背番号
- 43 (1981年 - 1982年)
- 4 (1983年 - 1997年)
- 81 (2003年 - 2009年)
- 80 (2010年 - )
[編集] タイトル・表彰
- 新人王 (1982年)
- 盗塁王:4回 (1983年、1984年、1987年、1993年)
- ベストナイン(二塁手):3回 (1983年、1984年、1990年)
- ゴールデングラブ賞:3回 (1982年~1984年)
- オールスターゲーム出場:9回 (1982年~1984年、1986年、1987年、1989年、1990年、1992年、1993年)
[編集] 個人記録
- 初出場 1981年4月8日南海戦(日生) 7回有田修三の代走
- 初盗塁 1981年4月11日西武戦(西武) 7回有田修三の代走、二盗
- 初安打 1981年4月26日日本ハム戦(後楽園) 8回岡部憲章から単打
- 初打点 1982年4月12日ロッテ戦(日生) 2回奥江英幸から適時打
- 初本塁打 1982年5月5日西武戦(西武) 9回永射保からソロ
- 通算1000試合出場 1989年7月16日(287人目)
[編集] 監督成績
| 年度 | チーム | 順位 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008年[2] | オリックス | 2位[3] | 95 | 54 | 40 | 1 | .574 |
| 2009年 | 6位 | 144 | 56 | 86 | 2 | .394 | |
| 通算2年 | 239 | 110 | 126 | 3 | .466 | ||
[編集] 脚注
- ^ 大石大二郎ヘッドコーチ入団のお知らせ
- ^ 5月21日からシーズン終了まで
- ^ シーズン終了時成績
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年12月2日 (水) 23:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【大石大二郎】変更履歴

