大船
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大船(おおふな)は、神奈川県鎌倉市北部の大船駅東口(商店街)を中心とする地域を云う。正式地名としては大船駅東側の大船一~六丁目および大字大船があるが、より広い範囲も大船と呼ぶこともある。
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[編集] 大船の由来・範囲
古来湿地帯に丘が点在する地域であり、語源としては大きな船が入ったため「大船」、また粟を積んだ船が出入りしたため「粟船」(大船五丁目にある常楽寺の山号が粟船山[ぞくせんざん]でその裏の丘が[あわふねやま]と呼ばれる)から転じた、あるいは丘の形が船のような形をしていたから、などの説がある。
大船と呼ばれる地域については上記の正式地名のほか、鎌倉市の行政区分ではより広く鎌倉市北西部の大船駅東側から山ノ内(北鎌倉駅周辺)などを含めて大船地域とよぶ。西に隣接する玉縄地区も含む旧大船町の範囲全体(現在大船警察署管内)を大船と呼ぶこともある。 さらに大船駅は隣接する横浜市栄区笠間にもかかっていることから通称としてはこのあたりも大船と呼ぶことがあり、栄区のより広い範囲についても根岸線開業以前は大船と呼ぶことがあった(根岸線本郷台駅の計画段階の仮称は「新大船駅」であり、横浜栄共済病院も「大船共済病院」から改名した)。
[編集] 地理
鎌倉市の北西部に位置し、北は横浜市(栄区・戸塚区)、西は藤沢市と隣接する。鎌倉市の中心部(いわゆる「鎌倉」)と市外を結ぶ交通の要衝である。
周辺では大船駅付近の市街地が最も低く、その周囲を小高い丘陵に囲まれている。 低地部分には柏尾川が丘陵を避ける形で蛇行しつつ南北に流れ、大船周辺で複数の河川(小袋谷川、砂押川、いたち川など)が合流する。このことから、かつては頻繁に水害を起こしていた。
柏尾川に並行し東海道線が走り、大船駅からは小袋谷川に沿って横須賀線が走る。 大船は古来から各地から鎌倉に向かって伸びる街道が合流する場所であり、現在も複数の県道が通っているが、整備が進んでいない県道が多く県道同士の交差・合流もほとんどが平面交差であり、鉄道も東海道線・横須賀線で複数の踏切交差を行っていることから地域内各所で渋滞が発生する。
[編集] 地域
- 大船地域
- 玉縄地域
[編集] 歴史
もと鎌倉郡小坂村(柏尾川東側、ほぼ現在の大船地域)といい、1933年に大船町となりまもなく玉縄村(柏尾川西側)を合併した。1948年に鎌倉市に編入。
もともと大船駅周辺は柏尾川の氾濫に起源する湿地帯であり、近世までこの地区の中心は玉縄地区側にあったが、1888年に大船駅が開業すると駅の東側が開発され商業地として発展した。
関東大震災直前、大船駅東側で田園調布を真似た「大船田園都市計画」が立てられたがその後中止になった。この付近には大船競馬場があったが、その跡地に1936年、松竹の撮影所が蒲田から移り(松竹大船撮影所)、数々の名画がここで作られた。また俳優や映画関係者が付近に住んだことから人気が出て開発が進められた。
鉄道開業から戦後にかけて三菱電機、資生堂、また大船駅そばの栄区内にある芝浦メカトロニクス、三井東圧化学(現在は廃止、大規模マンションであるガーデンアソシエになった)などの工場が造られ工業地帯ともなった。 また戦前には横須賀線、神奈川県道23号原宿六ツ浦線など海軍の施策により作られた交通網に関連して、横須賀海軍工廠深沢分工場(深沢地区)、第一海軍燃料廠(横浜市栄区)など、海軍関連の施設が作られた。
戦後は1960年代頃から東京・横浜のベッドタウンとして丘陵地帯にも住宅が開発され人口が増加した。
1995年、松竹大船撮影所の一部にテーマパーク「鎌倉シネマワールド」が開設されたが1998年に閉鎖され、撮影所自体も2000年に閉鎖され鎌倉女子大学大船キャンパスになった。
[編集] おもな施設
大船駅周辺施設については当該項目も参照のこと
[編集] 行政機関
[編集] 教育機関
- 鎌倉女子大学:岩瀬キャンパスと大船キャンパス(松竹跡地)からなる。
- 大船高等学校
- 栄光学園中学校・高等学校
- 清泉女学院中学高等学校
[編集] 名所・旧跡
大船地域
玉縄地域
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 神奈川県道21号横浜鎌倉線
- 神奈川県道23号原宿六ツ浦線
- 神奈川県道203号大船停車場矢部線
- 神奈川県道301号大船停車場線
- 神奈川県道302号小袋谷藤沢線
- 神奈川県道304号腰越大船線
- 神奈川県道312号田谷藤沢線
- 神奈川県道402号阿久和鎌倉線
[編集] バス
[編集] 河川
- 柏尾川
- 台川・倉久保川(山崎川)
- 小袋谷川
- 西瓜川・明月川・梅田川
- 砂押川(岩瀬川)
- 関谷川(大面川)
[編集] 大船音頭
大船音頭は、大船を唄いこんだ音頭。松竹撮影所が大船に移転した1936年以後に、松竹関係者により作成されたと言われる。その後、演技されなくなり、歌詞が振り付けもわからない状態になっていた。しかし、2007年に歌詞が発見された為[1]、町おこしの一環として新たな振り付けで復興が検討されている。
[編集] 関連項目
[編集] 脚註
- ^ “大船音頭”見つかるタウンニュース【鎌倉版】2007年8月24日号閲覧


