大阪府立天王寺高等学校
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| 過去の名称 | 大阪府第五尋常中学校 大阪府第五中学校 大阪府立天王寺中学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 大阪府 |
| 学区 | 普通科=第三学区 理数科=府内全域 |
| 校訓 | 自由闊達・質実剛健 |
| 設立年月日 | 1896年2月1日 |
| 創立記念日 | 4月24日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 理数科 |
| 高校コード | 27156A |
| 所在地 | 〒545-0005 |
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大阪市阿倍野区三明町2-4-23
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| 電話番号 | 06-6629-6801 |
| FAX番号 | 06-6629-4889 |
| 外部リンク | 公式サイト(全日制) |
大阪府立天王寺高等学校(おおさかふりつ てんのうじこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Tennoji High School)は、大阪市阿倍野区に所在する府立高等学校。天高の通称で呼ばれている。
目次 |
[編集] 概要
1896年に創立したナンバースクール。大阪府内の公立高校の中でも古い歴史を持つ学校のひとつである。大阪市内の旧制中学校としては二番目の創立であり、現在も校章の左右には“市内第二中学”を示す“二本線”が入る。
文部科学省から『スーパーサイエンスハイスクール(SSH)』に指定されており、学力の伸長、進路指導に重点をおく。希望する生徒への勉強合宿なども実施されている。卒業生のほとんどが4年制国公立大学への進学を希望する。
全国高等学校ラグビーフットボール大会で2度の優勝経験がある。
[編集] 沿革
[編集] 略歴
大阪府第一尋常中学校(現在の大阪府立北野高等学校)の過密を解消する目的で、1896年に同校を分割する形で大阪府第五尋常中学校として開校した。
当時、大阪市内で唯一の府立中学校(旧制中学校)だった第一尋常中学校は、小学校制度の変更により3学年が同時に入学資格を得たことなどから志願者・入学者が急増し、学校が過密化し生徒収容が困難な状況だった。このため第一尋常中学校の学区を分割する形で、大阪市内に中学校を増設することになった。
1896年2月1日付で設置の大阪府第五尋常中学校は、初年度の入学試験を第一尋常中学校と合同で実施した。受験生の住所によって、市内北部在住者は第一尋常中学校に、南部在住者は第五尋常中学校へと振り分けた。また第一尋常中の在籍者についても、南部在住188人を第五尋常中へ転校させている。同年4月、東成郡西高津村(現在の天王寺区下寺町1丁目)の大蓮寺境内で授業を開始した。
翌1897年には東区東平野町大字南平野(現在の天王寺区上本町8丁目、現大阪国際交流センター所在地)へと移転した。さらに1919年、東成郡天王寺村大字天王寺字三明(現在の阿倍野区三明町2丁目4番23号)の現校地に移転している。
1927年1月22日には失火により校舎を焼失し、西区江之子島の旧大阪府庁舎、次いで天王寺区北山町の旧大阪府女子師範学校跡(現在の大阪府立夕陽丘高等学校の敷地)を使用して授業を継続した。1929年6月には校舎が復旧し、元の場所に復帰している。
第二次世界大戦の際には、戦時体制として4年制への短縮(旧制中学校は5年制)や勤労動員などが実施された。1945年3月13日の大阪大空襲では、食堂や倉庫など学校の一部を焼失している。
1947年には学制改革により新制中学校が発足したことに伴い、旧制中学校としての新入生募集はおこなわなかった。1947年時点の旧制中学校の第2学年・第3学年については新制中学校に移行し、過渡的に併設中学校を設置。空き教室の一部を、新制大阪市立東住吉第一中学校(現在の大阪市立東住吉中学校)と大阪市立東住吉第三中学校(現在の大阪市立田辺中学校)に貸し出した。
翌1948年に新制の高等学校制度が発足し、大阪府立天王寺高等学校となった。高校1年と併設中学校3年の2学年について、大阪府立夕陽丘高等学校(旧制夕陽丘高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して男女共学になった。両校とも原則として関西本線線路を境に、北部在住者は夕陽丘高校・南部在住者は天王寺高校へ振り分けられることになった。しかし生徒の居住地分布に偏りがあったことなどから、例外もかなりあったという[1]。同年5月には、校舎を新制東住吉第一中学校・東住吉第三中学校の2校に全面転用するようGHQの指令があり、大阪府立夕陽丘高等学校内に移転して同校と同居する形になった。その後新制中学校が独立校舎を設置して退去したため、1950年から1951年にかけて段階的に元の校地に復帰している。
1960年代後半には学生運動の影響を受け、受験偏重への教育課程への批判も高まった。受験偏重の教育課程を組んだために必修科目の履修漏れがあったなどと1970年2月に新聞で全国報道され、4月より教育課程を是正している[1]。旧制中学校時代より制服制度を導入していたが、1971年になり服装自由化を求める声が高まった。私服で登校する生徒も現れ、また自由化を求めて生徒自治会役員に当選した生徒もいた。生徒・教職員代表による協議会での合意を経て職員会議で承認され、同年11月22日より服装自由化を実施している[1]。
1991年12月には創立100周年を控えて「将来構想委員会」が設置され、学校の将来像や特色づくりが検討された[1]。「将来構想委員会」は1992年、特色づくりの一つとして「理数科」の設置を提言、それを受け1993年に実現の運びとなった。同年、「将来構想委員会」は「学校週5日制」への対応と学力向上を掲げ、2学期制の導入を提言、翌1994年度より実施されている。2学期制の導入は大阪府立の高校としては初めてだった。
[編集] 定時制
1951年、「大阪市南部における全日制課程の高等学校教育を受けることの出来ない好学の者[1]」を対象に、普通科2学級・100名で発足した。2005年、大阪府の定時制高校再編方針により募集を停止し、2008年3月に閉課程となった。
[編集] 年表
- 1896年2月1日 - 大阪府第五尋常中学校として創立。
- 1896年4月13日 - 東成郡西高津村(現天王寺区下寺町1丁目)の大蓮寺境内で授業を開始。
- 1897年12月22日 - 東区東平野町大字南平野(現天王寺区上本町8丁目)に移転。
- 1899年 - 大阪府第五中学校に改称。
- 1901年6月3日 - 大阪府立天王寺中学校に改称。
- 1919年 - 東成郡天王寺村三明(現・阿倍野区三明町2丁目4番23号)の現校地に校舎が完成し、移転。
- 1927年1月22日 - 失火により1棟を残し校舎が焼失。旧大阪府庁舎で授業継続。3月13日、旧大阪女子師範学校跡に仮校舎を設置。
- 1929年6月5日 - 新校舎が完成し、現在地に復帰。
- 1945年3月13日 - 第1回大阪大空襲により、校舎の一部が焼失。
- 1948年4月1日 - 学制改革により大阪府立天王寺高等学校に改称。
- 1948年4月24日 - 大阪府立夕陽丘高等学校(旧制夕陽丘高等女学校)と教職員・生徒を半分ずつ交換して男女共学となる。
- 1948年5月 - 校舎を新制中学校(東住吉中学校・田辺中学校)へ全面転用するため、夕陽丘高校内に仮移転。
- 1950年4月15日 - 1年生・3年生が現在地に復帰。
- 1951年4月1日 - 定時制課程(普通科)を併設。全日制課程に女子コース(家庭科コース)を併置。
- 1951年4月8日 - 全学年が現在地に復帰。
- 1952年4月8日 - 東住吉中学校が独立校舎に完全移転。これに伴い校舎は全面返還される。
- 1953年 - 交流先の夕陽丘高校との間で、体育系クラブの親善スポ-ツ大会「夕陽戦」(天高戦)が始まる(1985年まで毎年開催)。
- 1964年 - 全日制課程の女子コース(家庭科コース)を廃止。
- 1971年11月22日 - 服装自由化実施。
- 1992年 - 新校舎(現校舎)完成。
- 1993年 - 全日制課程に「理数科」を設置。
- 1994年 - 2学期制を実施。
- 1996年 - 創立100周年記念式典。記念誌「桃陰百年」刊行。
- 1998年 - 台風により『あしび山荘』が損壊、2000年に新『あしび山荘』完成。
- 2002年 - 大阪府教育委員会よりエル・ハイスクール事業の指定を受ける(2003年度から2007年度までの5年間)。
- 2004年 - スーパーサイエンスハイスクールに指定。
- 2006年 - 創立110周年、夕陽丘高校創立100周年を記念し、「夕陽戦」(天高戦)が21年ぶりに復活(以後、毎年開催)。
- 2007年4月 - 公立高の新4学区制導入に伴い、通学区が拡大。第三学区となる。スーパーサイエンスハイスクールに再び指定(指定期間は5年間)。
- 2008年3月 - 定時制課程が閉課程。
[編集] 設置課程
[編集] 教育方針
校訓に『自由闊達 質実剛健』、生徒指導方針として『授業第一主義 鍛錬主義』を掲げる。2学期制で、完全学校週5日制(週休2日制)への対応として2002年より45分×7限という授業スタイルをとっている。
[編集] 学校行事
「自由闊達」「質実剛健」をモットーに授業と同じく学校行事も重視しており、個性的な行事が多く存在する。
[編集] 運動会
毎年5月末に実施。『祭(遊び)ではない』という考えから、体育祭ではなく「運動会」と呼ぶ。開始直後、当校独自の体操である『天高体操』を行う(通常の体育の授業でも行われている)。目玉種目はプログラム後半で、2年男子の『マスゲーム(高校生体操、組体操、棒倒し)』と3年男子の『陸上ボート』。地元では一種の名物となっている。2009年より2年生の創作物が在学生テントの上に設置されることになった。
[編集] 水泳訓練
『臨海(学校)』とも呼ぶ。大阪のほとんどの学校で廃止されている伝統的行事。1年生のみ、泳力に応じて訓練する。1班になった者には最終日にシンクロが課される。
[編集] 野外生活体験学習
『林間(学校)』とも呼ぶ。1年生のみの行事で、同校山岳会(OB会)が奈良県の山中に所有している『あしび山荘』にクラス単位で1泊する。同山荘には電気、水道、ガスが通っておらず風呂もない。飲み水も生徒たちで汲みに行かなければならず、料理には薪を使う。毎年、台風のため中止となるクラスが多い。また雨天、霧の発生も多いが、晴天であれば鹿の群れなどに遭遇できる喜びもある。
[編集] 文化展示発表会
略して『文展』と呼ぶ。上記運動会と同じ理由で『文化祭』とは呼ばない。毎年9月の初〜中旬に1日だけ行われ、舞台発表、飲食店、研究発表などを開く。生徒自治会や文化展示発表会実行委員会(文実)が中心となり、計画を立てる。
[編集] 海外交流
年に2、3度、海外(韓国・中国中心)から来日した高校生との交流を持つ。1998年から、春休み前後にオーストラリアの『ホーランドハイスクール』への海外留学も行っている。小論文や面接で選考された1年生3名、2年生2名の計5名が約2週間、派遣される。
[編集] その他
- 入学式
- 遠足
- 修学旅行(2年)
- 文楽鑑賞会(2年)
- 能楽鑑賞会(1年)
- 長距離走大会(1・2年)
- 合唱コンクール(1年)
- 金剛登山(1年)
- 徒歩訓練(2年)
- 卒業式
- 球技大会(1・2年)
- 挌技大会(2年男子)
- 水泳大会(1・2年)
- 校内作品展
- 音楽祭(天高唯一の「祭」である)
- 勉強合宿(1・2年)
[編集] 出身者
[編集] 学者
- 南博方(東京大学法学博士、筑波大学名誉教授、一橋大学名誉教授、成城大学学長)1947年卒
- 首藤勝(大阪大学工学博士、大阪大学大学院基礎工学研究科元教授)1953年卒
- 上野俊樹(立命館大学経済学博士、立命館大学名誉教授)1961年卒
- 上林彌彦(京都大学工学博士、京都大学名誉教授)1961年卒
- 土居靖範(博士(経営学)(立命館大学)、立命館大学教授)1962年卒
- 徳永宗雄(京都大学名誉教授)1963年卒
- 平野俊夫(医学博士(大阪大学)、大阪大学医学部長)1966年卒
- 湊博昭(医師、社会精神医学、一橋大学教授)1966年卒
- 上原鳴夫(東北大学大学院医学系研究科教授)1966年卒
- 川喜多喬(法政大学教授)1966年卒
- 西本清一(京都大学工学博士、京都大学大学院工学研究科教授)1966年卒
- 小牧省三(大阪大学工学博士、大阪大学大学院工学研究科教授)1966年卒
- 竹田晴見(大阪府立大学工学博士、大阪電気通信大学教授)1967年卒
- 山下彰彦(博士(工学)(東京大学)、日本文理大学教授)1967年卒
- 北井礼三郎(京都大学理学博士、京都大学大学院理学研究科准教授)1967年卒
- 奥乃博(博士(工学)(東京大学)、京都大学大学院情報学研究科教授)1968年卒
- 木田章義(京都大学文学修士、京都大学大学院文学研究科教授)1968年卒
- 笹尾勤(大阪大学工学博士、九州工業大学情報工学部教授)1968年卒
- 白川友紀(大阪大学工学博士、筑波大学大学院システム情報工学研究科教授)1968年卒
- 高田時雄(フランス社会科学高等研究院第三課程言語学博士、京都大學人文科學研究所教授)1968年卒
- 丹司敬義(大阪大学工学博士、名古屋大学エコトピア科学研究所教授)1968年卒
- 牧野哲(京都大学理学博士、山口大学大学院理工学研究科教授)1968年卒
- 水田啓子(京都大学理学博士、広島大学大学院生物圏科学研究科教授)1968年卒
- 谷野哲三(京都大学工学博士、大阪大学大学院工学研究科教授)1969年卒
- 馬野元秀(大阪大学工学博士、大阪府立大学大学院理学系研究科教授)1970年卒
- 山田良治(京都大学農学博士、京都大学経済学博士、和歌山大学教授)1970年卒
- 萩原兼一(大阪大学工学博士、大阪大学大学院情報科学研究科教授)1970年卒
- 福井康雄(東京大学理学博士、名古屋大学大学院理学研究科教授天文学者)1970年卒
- 高橋豊(京都大学工学博士、京都大学大学院情報学研究科教授)1971年卒
- 宮本和明(東京大学工学博士、東北大学名誉教授)1971年卒
- 中村祐輔(大阪大学医学博士、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長)1971年卒
- 藤田和生(京都大学理学博士、京都大学大学院文学研究科教授)1971年卒
- 市川伸一(東京大学文学博士、東京大学大学院教育学研究科教授)
- 尺長健(京都大学工学博士、岡山大学工学部教授)1972年卒
- 仲谷達也(大阪市立大学医学博士、大阪市立大学大学院医学研究科教授)1973年卒
- 正高信男(学術博士(大阪大学)、京都大学霊長類研究所教授)1973年卒
- 青谷正妥(Ph.D(UCB)、京都大学国際交流センター准教授)1973年卒
- 前一廣(博士(工学)(京都大学)、京都大学大学院地球環境学堂教授)1975年卒
- 前田陽一郎(博士(工学)(法政大学)、福井大学大学院工学研究科教授)1976年卒
- 岡田悦治(神戸大学理学博士、神戸大学大学院工学研究科准教授)1976年卒
- 加藤俊一(京都大学工学博士、中央大学理工学部教授)1978年卒
- 遠藤隆(京都大学理学博士、佐賀大学教授)1976年卒
- 村井利昭(大阪大学工学博士、岐阜大学教授)1976年卒
- 崎山高明(東京海洋大学教授)1977年卒
- 内野隆司(博士(工学)(京都大学)、神戸大学大学院理学研究科准教授)1981年卒
- 三好哲也(博士(工学)(大阪府立大学)、豊橋創造大学教授)1982年卒
- 杉田米行(大阪大学大学院言語文化研究科准教授)1982年卒
- 阪井丘芳(博士(歯学)(大阪大学)、大阪大学大学院歯学研究科教授)1983年卒
- 藤原徹(博士(農学)(東京大学)、東京大学生物生産工学研究センター准教授)1983年卒
- 笹本幸祐(関西大学法学部教授、日本空法学会理事)1985年卒
- 道野真弘(近畿大学法学部教授)1985年卒
- 大橋俊介(博士(工学)(東京大学)、関西大学准教授)1988年卒
- 上田隆雄(博士(工学)(京都大学)、徳島大学准教授)1988年卒
- 折口信夫(民俗学者)
- 西田直二郎(史学者、日本史)
- 金森順次郎(大阪大学理学博士、大阪大学総長・名誉教授)
- 広原盛明(京都大学工学博士、京都府立大学学長・龍谷大学教授)
- 阪野智一(政治学者、神戸大学教授)
- ?谷信三(京都大学名誉教授)
- 上田高弘(美術評論家、立命館大学文学部教授)
- 益澤秀明(東京大学医学博士、脳神経外科医、コメンテーター、元NTT東日本関東病院脳外科部長)
- 益澤学(大阪大学医学博士、肝臓医、元大阪警察病院副院長)
- 山下範久(歴史社会学者、世界システム論、立命館大学准教授)
- 宅田裕彦(京都大学工学博士、京都大学大学院エネルギー科学研究科教授)
- 畑山満則(博士(工学)(東京工業大学)、京都大学防災研究所准教授)
- 嶋好博(京都大学工学博士、明星大学教授)
- 藤原元典(京都大学薬学博士、京都大学薬学部名誉教授)
[編集] 文化人
- 宇野浩二(作家)
- 折口信夫(歌人、釈迢空)
- 小野十三郎(詩人、旧制中学時の生徒。現在の校歌の作詞者でもある)
- 開高健(小説家)
- 谷沢永一(書誌学者、関西大学名誉教授)
- 北康利(作家、山本七平賞受賞)
- 萩原遼(ジャーナリスト)
- 森下佳子(脚本家)
[編集] 経済界
- 川北禎一(日本興業銀行総裁・初代頭取、日銀副総裁)
- 町田勝彦(シャープ会長)
- 池原年昭(飛島建設社長)
- 阪田晃(USJ社長)
- 田中宏(クレハ(旧呉羽化学工業)会長)
- 上山善紀(近畿日本鉄道会長、本願寺門徒総代)
- 増倉一郎(高島屋社長)
- 浅井光昭(住友ゴム工業社長)
- 石本恵一(デサント会長)
- 泉谷裕(村田製作所副社長)
- 鈴木博之(丸一鋼管社長)
- 小野恵造(積水化成品工業社長)
[編集] 政界・官界
- 泉井純一(政官(主に通商産業省)を巻き込んだ泉井石油商事件)
- 鶴保庸介(参議院議員)
- 柳本卓治(自民党・衆議院議員)
- 豊田貞次郎(海軍大将、商工相・外相など、貴族院議員)
- 奥村勝蔵(外務事務次官)
- 藤田国之助(内閣調査官、商工省官僚、中央大学法学部教授)
- 東龍太郎(東京都知事)
- 關淳一(医学博士(大阪市立大学)、医師、元大阪市長)
- 土肥孝治(検事総長)
- 小倉正三(裁判官)
- 浅見敏彦(日本酒造組合中央会副会長、元大蔵省印刷局長)
- 池川博士(総務省九州管区行政評価局長、旧郵政省出身)
- 高橋伸和(首都圏新都市鉄道社長、元運輸省自動車交通局長)
- 長田太(国土交通省総合政策局次長)
- 合田隆文(文部科学省官房審議官、高等教育局大学課長 / 国立大学法人法案に関わる)
[編集] 芸能
[編集] スポーツ
- 岡田武史(サッカー日本代表監督)
- 橋本英郎(ガンバ大阪MF)
- 東武雄(東大野球部投手 / 法大戦で六大学野球初本塁打放つ)
- 井上佳明(元プロ野球選手)
- 今井洋行(元プロ野球選手)
- 井石礼司(元プロ野球選手)
- 生山裕人(千葉ロッテマリーンズ育成選手)
- 岡仁詩(同大ラグビー部・ラグビー日本代表元監督)
- 松永敏弘(慶大ラグビー部前監督)
- 福本正幸(神戸製鋼コベルコスティーラーズ元PR / 元京大ラグビー部)
- 見先恒郎(大阪ガス在籍 / 元同大ラグビー部SH)
- 大錦卯一郎(大相撲元横綱)
[編集] その他
[編集] 交通
- 地下鉄谷町線 文の里駅 北へ約700m
- JR阪和線 美章園駅 東へ約300m
- JR大阪環状線 寺田町駅南へ約1km
- 近鉄南大阪線 河堀口駅 南西へ約400m
- 大阪市営地下鉄御堂筋線 昭和町駅 北へ約1km
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 大阪府立天王寺高等学校創立100周年記念事業委員会記念誌委員会 『桃陰百年:大阪府立天王寺高等学校創立100周年記念誌』1996年。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月25日 (水) 20:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【大阪府立天王寺高等学校】変更履歴


