大阪府立生野高等学校

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大阪府立生野高等学校
過去の名称 大阪府立第十二中学校
大阪府立生野中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪府
学区 第三学区
校訓 五綱領
(剛健・質実・自重・自治・至誠)
設立年月日 1920年4月2日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 27163C
所在地 580-0015
電話番号 072-332-0531
FAX番号 072-332-0739
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

大阪府立生野高等学校(おおさかふりつ いくのこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Ikuno High School)は、大阪府松原市にある公立高等学校。校名は、旧制の大阪府立第十二中学校として創立当初、大阪市生野区に校舎が設置されたことに由来する(1969年に現校地に移転)。

目次

[編集] 概要

ほぼ全ての卒業生が大学進学を志望する。4学区制の「第三学区」(大阪市南部と中・南河内地域)に属する。

70分×5限授業を基本とし、週当たり授業時間数を府立高校で最も多く確保。早朝や放課後、土曜、夏休みなどには希望者講習を実施している。部活動学校行事も盛んで、クラブ加入率は99.8%である(2008年度末の時点)。

校名から、いまだ大阪市生野区にあると誤解されやすい。松原市移転の経緯は、下記「沿革」の項で述べるが、松原市初の公立高校でもある。松原市立松原中学校に隣接している。現校地付近は5世紀前半に反正天皇が都を置いた丹比柴籬宮跡と伝承され、校舎増築の際、珍しい子持ち勾玉が出土した。

制服コシノヒロコのデザイン。男子は白のボタンダウンシャツにネクタイ、チェックのスラックスとベスト(任意)。女子は白ブラウスにリボン、チェックのスカートとベスト。冬は男女ともブレザーを着用する。

2011年度から大阪府教育委員会の進学指導特色校事業の対象校となり、従来の普通科クラス以外に専門学科4クラスを設置する予定。

[編集] 建学の精神

学校の基礎を築いたのは、創立時の校長事務取扱三沢糾旧制高津中学校長)が招聘した初代校長池田多助である。池田は「大阪に魂の道場を作る」と宣言、「精神教育・教養教育・運動教育」を3本柱に掲げた。建学の精神、校訓、校章、校歌は創立時から変わりなく受け継がれている。

建学の精神を示す「サンタマリア丸」の絵と「至誠通神」の書は体育館の舞台左右の壁にかけられ、困難に立ち向かう「開拓者精神」と「まごころ」の重要性をそれぞれ説いている。

校訓の「五綱領(剛健・質実・自重・自治・至誠)」は神戸一中神戸二中の「四綱領(質素剛健、自重自治)」がモデル。正門脇に五綱領を刻んだ大きな石碑がある。同窓会は「至誠会」と称する。

校章は、旧制中学の「中」の字をくずした「六稜」に「白梅」の図柄をあしらっている。旧制中学の校章は、六稜に校名の頭文字か設立番号を入れることが多かったが、高津山桜を入れたのにならい、百花に先駆けて厳冬に香り高く咲く白を学校の花として校章に採用した。白梅は生野高校のシンボルであり、卒業生が進学先や就職先で作る親睦会は「白梅会」の名を冠することが多い。

制帽の2本の白線は「文武両道」を表す。

校歌「登高賦」は、12番目の府立中学校にちなみ、12番まで歌詞がある。メロディーは旧制一高寮歌の一つから一部借用し、古色蒼然としており、作詞は初代校長の池田多助。現在は1番、11番、12番を抜粋して歌い、「古き浪華の夢ならぬ 吾等の歴史いざ書かむ」というフレーズで終わる。

[編集] 沿革

[編集] 略歴

大阪府内で明治期に整備された中等教育機関が大正中期に「入学難」状態となり、その緩和を目的に1920年、12番目の府立中学校として整備された。当初、大阪市内に建設の予定だったが、予算面から用地確保が困難となり、二転三転の末、大阪府東成郡生野村(現・大阪市生野区生野東4、大阪府営南生野住宅付近)に校地を定めた。

開校当初、周辺は校歌にも唄われたような「生駒金剛、遥(はる)に見」える田園風景だったが、大阪市域の拡大と東成郡の編入にともない、わずか半世紀で立地は繁華街と住宅密集地に様変わりした。

喧騒音がひどくなり、プールに不審者が侵入するなどの事件も起きたことから1965年、府教委は校舎新築を兼ねた郊外移転の検討を開始し、羽曳野市などの近鉄沿線で校地を探し始める。翌1966年には松原市議会が「府立高校誘致促進特別委員会」を設置し、誘致へ動き出した。当時、松原市内に公立の高校が存在せず、一方で(当時の通学区)第四学区の高校進学率自体が他学区に比べ6ポイントほど低かった(府内平均は35%)ため、「松原市内の中学生の進路保障」を掲げて市民が熱心に運動を展開。生野高校OBで当時大阪府議会議員の中山太郎らも同窓会を説得し、“生野の名前を残す”条件で移転が決まった。

[編集] 年表

  • 1920年 - 「大阪府立第十二中学校」として大阪府立高津中学校(現大阪府立高津高等学校)内で開校
  • 1921年 - 「大阪府立生野中学校」と改称、東成郡生野村に校舎が完成。校内で「大阪府立第十三中学校」(現大阪府立豊中高等学校)も開校
  • 1948年 - 学制改革に伴い「大阪府立生野高等学校」となり、大阪府立勝山高等学校(大阪府立生野高等女学校)と職員・生徒の「交流」を行い男女共学を実施
  • 1956年 - 勝山高校との間で、部活動の「定期戦」が始まる
  • 1966年 - 学校移転地として大阪府松原市新堂町に校地を買収
  • 1969年 - 新築第1期工事(南棟・中棟・北棟・工芸棟)竣工、旧校舎にて離校式挙行、松原新校舎に移転
  • 1971年 - 松原校舎の竣工式典挙行
  • 1973年 - 勝山高校との「定期戦」を終了(通算成績は8勝9敗1分)
  • 1979年 - 南棟・中棟の増築校舎竣工
  • 1980年 - 創立60周年記念式典(フェスティバルホール)、同窓会より「記念館(クラブハウス)」を受ける
  • 1990年 - 創立70周年記念式典(大阪厚生年金会館大ホール)
  • 2000年 - 創立80周年記念式典(フェスティバルホール)、同窓会館「時習館」建設
  • 2002年 - 北棟、中棟、南棟外壁工事並びに窓枠工事完工
  • 2003年 - 大阪府教育委員会の「エル・ハイスクール」に指定(2007年3月まで)
  • 2007年 - 公立高の新学区制(4学区制)導入に伴い、第三学区となる。
  • 2008年 - 校舎耐震補強工事に着手
  • 2011年 - 進学指導に特色を置く専門学科4クラス設置の予定

[編集] 教育方針

  1. 五綱領(剛健・質実・自重・自治・至誠)に基づく「人間教育」
    剛健とは物事に動じない強くたくましい意志を持つこと、質実とは飾らない素直な心を持つこと、自重とは行動に品位を失わないこと、自治とは自己の信念に基づいて行動し、その行動に責任を持つこと、そして、至誠とはそれらを貫いて持つべき誠実な心と態度を表す。人としての基本的な資質の育成が教育の根本。
  2. 学習・行事・部活動が3本柱、「文武両道」の実践
    勉学・学校行事・部活動を高校生活の3本柱とし、豊かな感性を持った、個性輝く人間を育成する。
    勉学は自然と社会の基本的な仕組みを理解するとともに、知性の広がりと深まりを求め、しなやかな思考力、確かな判断力、ユニークな創造カ、豊かな表現力を高める。
    部活動は物事を成し遂げる意志の養成と深い友情を学ぶ場。
    また、学校行事は皆で協力して一つのことを成し遂げる場であり、互いの個性を知り、尊重しあうことを学ぶとともに、自己実現を図る場。
    これら高校生活の3本柱に積極的に取り組むことで、人としての感性を磨き、個性を伸ばす。
  3. 国際人として社会の様々な分野で活躍するリーダーとなる人材の育成、幅広い教養を身につけるとともに、自ら意欲的に学ぼうとする姿勢の育成
    社会の様々な分野でリーダーとして活躍し、国際人として尊重され、尊敬されるにふさわしい、幅広い教養と豊かな人間性を涵養し、品格を高めることをめざす。
    意欲的に学ぶ姿勢を身につけることで、生涯を通して学び続けていく基礎を得、生きていく中での大きな課題を解決できる人間へと成長する。
  • そのほか、きめ細やかな生活指導(ルールや時間を守らせる▽制服を正しく着る▽染色・脱色・パーマの禁止▽ピアスなどの装飾品、化粧の禁止▽挨拶や身だし指導▽遅刻の度重なる生徒に早朝登校指導)を行っている。

[編集] 学校行事

  • 新入生歓迎会(4月)
自治会主催で、各クラブ紹介やパンフレットを通して行う。また新入生歓迎コンサートや視聴覚ライブ、中庭での寸劇などのイベントが実施される。
  • 遠足(5月)
1年生は学年全体での野外活動が中心。2、3年生になると、クラス委員や学年の委員が中心となり独自の計画を立てる。
  • 卒業生を囲む会(5月)
教育実習期間には、実習生や卒業生を多数招き、希望分野別に大学の話など体験談を聞く。
  • 体育祭(5月)
クラス毎ではなく、全学年を4団に分け、団対抗で競技が行われる。学年ごとにレクリエーションもあり、応援団の工夫を凝らした応援合戦も見物。
  • 1日総合大学(2年次、7月)
  • 芸術鑑賞(7月)
古典芸能、演劇、クラシック音楽など芸術作品を鑑賞する。
  • 文化祭(9月)
1年間でクラスで取り組む最大の行事。夏休みから練習や準備を行う。実行委員が組織され生徒自身が創造する行事。2008年には来場者が2700人を超えた。
  • 修学旅行(宿泊校外学習)(2年次、10月)
行き先の決定から内容にわたり、生徒の手によって、1年生の段階から調査、企画、プレゼンテーション、全員による投票、決定後さらに詳しい企画へと進められる。(しかし、これらのことが行われず教員のみで決めることがある。例 63期生の修学旅行が台湾に決定された。また、64期生の修学旅行は2010年の創立90周年記念式典のため12月に沖縄・宮古島に決定された。)
  • 合唱コンクール(1年次は11月、2年次は2月)
松原市文化会館を会場にして、クラス対抗の合唱コンクールを行う。2年生は自由曲をクラスで作詞作曲する。30年以上も続く伝統の行事。
  • 耐寒登山(1年次、1月)
例年大和葛城山に登る。

[編集] クラブ活動

  • サッカー部は1984年、大阪府代表としてインターハイに出場した。戦前にも全国中等学校蹴球選手権大会(全国高等学校サッカー選手権大会の前身)に出たことがある。
  • 硬式野球部は、夏の甲子園大阪大会で戦前に4回、ベスト4となった。戦後は、1989年のベスト8が最高成績。準々決勝で元木大介らがいた上宮に敗れた。1985年の試合では、大阪府立成城工業高等学校(現「大阪府立成城高等学校」)に完敗、(後に大リーグで活躍する)野茂英雄に完全試合を達成された。
  • 陸上部は駅伝が男女とも近畿大会の常連で、全国大会に出場する年もある。個人種目もハンマー投げ、やり投げなどで全国レベルの大会に出場者を出場させている。
  • 水泳部は飛込男子で全国優勝があり、近年も背泳などで全国大会に出場している。
  • 2006年、2007年に将棋の高校女子チャンピオンを輩出した。

[編集] 主な卒業生

[編集] 政官界

[編集] 経済界

[編集] 学界

[編集] 医学界

[編集] 法曹

[編集] 文化人

[1]

[編集] メディア

[編集] 芸能

[編集] スポーツ


[編集] 創立90周年

平成22年(2010年)の創立90周年に際して、平成18年より「創立90周年記念事業委員会」が発足。 様々な事業に取り組んでいる。

  • 記念式典

 平成22年10月13日(水曜日)  大阪国際会議場(グランキューブ大阪)にて挙行。

  • 記念誌発行

 90周年記念誌は今までの記念誌とは違い、ページ数は抑え、写真を多く取り入れたオールカラー版を予定。

  • 記念事業

 視聴覚教室・書道教室・美術教室に空調設備。

 「生野高校教育支援協議会」の設立。 

至誠会・PTA&生親会・学校という、生徒を取り巻く3者が協力し、これまで個々に行ってきた様々な教育支援事業を一体化し、効率的により強力な支援が出来るようにし、学習・クラブ・学校PR・講演会などを主催する。

 「自学自習支援事業」

記念館2階を改装し、自習室に整備。平日は夜8時まで、休日は、朝9時から夕方の5時まで、自習の出来る環境を整え 平日は、卒業生(大学生)が待機し、生徒の質問に答える。
また改装に伴い記念館周辺の街灯も整備され明るくなる。

[編集] 話題

  • 学区改編に合わせ「生野高校 見に来て! キャンペーン」を展開、中学生対象の学校見学会や夏休み部活動体験、塾対象の説明会を行っている。
  • 校内の食堂は味と価格に定評があり、学校見学会のプログラムに食堂体験が組み込まれている。
  • 2006年6月、サッカーワールドカップ日本代表主将の宮本恒靖選手応援イベントと称し、午前3時から対ブラジル戦のパブリックビューイングを実施。欧州移籍直前の同12月には同選手の講演会を開催した。

[編集] 交通

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ * 評論家の竹村健一は旧制中学24回生だが、在籍したのは1年生のみ。同じ生野の名前を持つ兵庫県立生野中学校へ転校した。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月25日 (水) 20:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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