大阪港

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大阪港(おおさかこう)は、大阪府大阪市にある港湾。日本の主要な国際貿易港(五大港)のひとつで、スーパー中枢港湾の指定を神戸港と共に受けている。

築港・天保山エリア

目次

[編集] 概要

停泊するクルーズ客船と天保山大観覧車

1868年開港。主に、港区大正区此花区住之江区に位置しており、一部西区を含む。明治以降、国営の国際貿易港として建設された神戸港とは対照的に、大阪市自身が建設・運営に関わった都市港湾の伝統を有する。

日本最大のフェリーターミナルを擁する国際・国内航路の拠点港で、外航クルーズ客船が多数寄航する。阪神・淡路大震災の神戸港被災を契機に近畿圏の国際コンテナ拠点としての比重も高まり、2006年現在、外貿コンテナ取扱個数は191万TEUで国内第5位(2006年速報値)。震災後、国内首位から4位に後退した神戸港(198万TEU)とほぼ肩を並べるまでに成長した。

港則法・関税法上は神戸港尼崎西宮芦屋港とあわせて阪神港と称されている。

[編集] 港勢

此花区側から天保山岸壁を望む。
  • 貨物取扱量(平成16年)
    • 外貨 3,462万トン(うち、コンテナ2,664万トン)
    • 内貨5,853万トン(うち、コンテナ3,780万トン)
  • 係留施設(平成16年)
    • 外航 70バース
    • 内航 111バース
  • 面積
    • 臨港地区 1,892ヘクタール
    • 港湾地区 4,774ヘクタール
※これらのうち、埋め立て面積は1,867ヘクタール。

[編集] 歴史

6世紀頃に 難波津(なにわのつ)、住吉津(すみのえのつ)として成立し、国際港として栄えた。平安時代から鎌倉時代には、 渡辺津(わたなべのつ)が淀川河口、船場付近で栄えた。 安土桃山時代に、豊臣秀吉によって 大坂の町割が作られ都市の基盤が築かれた。江戸時代にかけては北前船菱垣廻船などの寄航地として栄え、日本最大級の港となった。

大坂の市街地は淀川を数kmさかのぼった場所にあったため、大型船は市内まで入らず木津川や淀川などの下流部や河口に停泊し、そこから小型船で貨物を運搬している。船が大阪へ上れるよう、また洪水を防ぐため、河川の改修や浚渫は江戸時代を通じて行われた。1683年天和3年)には河村瑞賢が、曲がりくねって浅い淀川の水運と治水のため、安治川を開削。1704年宝永元年)には大坂城の北で淀川に合流していた大和川が、の北で大阪湾に出るよう付け替えられ、安治川などへの土砂流入が減る。しかしなおも土砂で川が浅くなり続けたため、1831年天保2年)には再度安治川の浚渫が行われた。この時に出た土砂により、天保山が築かれている。

1868年慶応4年)に大坂は開港した。安治川をさかのぼった西区川口外国人居留地が開設され、隣接する富島に港湾が築造された。しかし安治川の狭さと浅さにより大型船が入れず、国際港機能は次第に神戸港へ移り、1876年(明治9年)を最後に外国船は大阪に入港しなくなった。

1873年明治6年)、オランダ人技師G.A.エッセルヨハニス・デ・レーケが来日し、大阪入りした。彼らは日本政府から、長年悩みの種であった淀川の治水および港湾機能回復の案を出すよう望まれ、現地調査のうえ淀川に放水路を開削し、天保山付近へ新港を建設するという解を出し、改修計画を作った。しかしこれらは政府の財政難のため実現していない。

1885年(明治18年)には大阪市内で淀川が大洪水を起こし、衛生状態が悪化した。外国船が入港しなくなったこともあり、大阪市民の間から淀川付け替えと国際貿易港の建設の声が高まるが、財政難の政府はデ・レーケ案のうち新淀川開削を優先して着工した。これに対して、大阪市は、独自にデ・レーケらと天保山付近での築港調査を開始する。特に、西風に起因する波に直面する淀川河口付近に港湾を作るため、河口を南北から挟み込むように大きな防波堤が構想された。1894年には築港計画が策定され、1897年(明治30年)、政府ではなく大阪市営のプロジェクトとして「大阪港第1次修築工事」が開始された。これは大阪港の復活を期する、当時の市予算の30倍の予算という大きな計画であった。

天保山付近(築港地区)の埋め立てと防波堤工事が進み、1903年(明治36年)には築港大桟橋と、花園橋から築港への市電が開通した(公営電気鉄道では日本初)。しかし当初大桟橋の利用が伸びず、大型船が来ない代わりに夕涼みと魚釣りの市民でにぎわう有様であった。1916年大正5年)、市の財政難と、西風にあおられ地盤も弱い河口付近の難工事により、築港事業は中断してしまう。

しかし第一次世界大戦景気で大阪港の利用が増え、築港の完成を望む声が高まったため、市に代わり民間企業の資金協力・工事代行(完成後は出資業者が優先使用)により事業が続行された。1929年昭和4年)にはついに築港事業(大阪港第1次修築工事)が完成し、続いて南港などを構想した「大阪港第2次修築工事」が開始された。1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)には貨物取扱量等が日本で最大となり、神戸・横浜と並ぶ日本三大港湾のひとつとなった。しかし戦争の激化で第2次修築工事は中断してしまう。

1944年(昭和19年)には中央突堤が完成したが、1945年(昭和20年)、大阪大空襲により大阪港一帯は壊滅的な被害を受けた。さらに同年9月、枕崎台風で高潮と浸水が起こった。大阪港周辺では戦前から地下水のくみ上げによる地盤沈下が問題となっており、これに対して戦前の大阪港第2次修築工事を改め、大阪港に注ぐ河川を拡幅して内港を作り、その土砂で海抜0メートル以下の此花区港区大正区を全面的に盛り土して区画整理するという大阪港復興計画が策定され、1947年(昭和22年)に開始された。1960年代までに、安治川、尻無川、大正区の運河地帯などは拡幅されて内港(弁天埠頭や大正内港)となり、盛り土や家屋の移築も完成する。また南港の埋め立ても開始され、大阪港の拡大が続いた。

[編集] おもな施設

[編集] 築港

築港よりの夕日眺め。
天保山岸壁に接岸するクルーズ客船

最初に完成した港。現在は一部の定期客船・クルーズ客船や在来貨物船を除き、船の出入りは少ない。港湾関係の庁舎や税関などはほとんどが築港にある。安治川を横断する大阪市営渡船の乗り場が天保山公園脇にある。天保山埠頭に隣接してショッピングゾーン「天保山ハーバービレッジ」がある。

利用する施設にもよるが、アクセスは鉄道なら大阪市営地下鉄中央線大阪港駅、道路なら阪神高速道路16号大阪港線天保山出入口が近い。

現在は一帯の再開発が計画されており、高層マンション商業施設建設の計画が予定されている。

[編集] 築港の主な施設

  • 天保山客船ターミナル
    • 外航クルーズ客船が寄航する岸壁
  • 天保山西岸壁(海遊館西はとば)
  • 天保山桟橋
  • 第1突堤・第2突堤・第3突堤
    • 在来貨物船用の埠頭、倉庫や工場等

[編集] 北港

北港付近の安治川

付近は大正時代から重化学工業地帯として開発され、工業港として整備された。現在は倉庫などが並ぶほか、沖に舞洲夢洲の埋立地が建設されコンテナ港となっている。また舞洲はスポーツ施設やキャンプ場も人気がある。かつて誘致活動が行われた「大阪オリンピック」はこの二つの埋立地が会場・選手村となる予定だった。

主なアクセスは、鉄道ならJR西日本桜島線(JRゆめ咲線)桜島駅阪神本線野田駅(大阪市営地下鉄千日前線野田阪神駅JR東西線海老江駅と隣接)およびJR西日本大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)西九条駅から大阪市営バス81系統。道路なら阪神高速道路5号湾岸線北港西出入口

[編集] 北港の主な施設

[編集] 南港

国際フェリーターミナルを遠望(日中国際フェリーの「新鑑真」(左)と、パンスターラインの「パンスター ドリーム」が停泊中)
ATCオズ岸壁
大阪南港フェリーターミナル
停泊中の名門大洋フェリー - 大阪南港フェリーターミナル
関西汽船「さんふらわあこがね」 - 大阪南港フェリーターミナル
マルエーフェリー「琉球エキスプレス」 - 沖縄定航埠頭
入港する関西汽船「さんふらわあ にしき」(中央)と、ダイヤモンドフェリー「さんふらわあ きりしま」。左は停泊中の宮崎カーフェリー。
大阪南港かもめフェリーターミナル

咲洲も参照のこと。

昭和初期に住之江沖に計画された埋立地には国際空港を作る構想もあった。[1]埋め立ては戦後本格化し、大阪市が何度も誘致を試みた日本万国博覧会の会場に選定された。[要出典]大阪市の万博誘致計画は「海上の未来都市」がテーマ[要出典](後に神戸市ポートピア'81で踏襲)で、無人運転の電車などが想定されていた(ニュートラムはこの計画の名残である[要出典])。その後、万博の誘致には成功したものの、会場は大阪府が推す千里丘陵との争いに敗れ、港湾施設の拠点へと方針を変更[要出典]。弁天埠頭に代わるフェリーターミナルやコンテナ埠頭を設けた。その後、「ポートタウン」の名称のもとで団地建設が進み、相愛大学などの学校、商業施設、公園、なにわの海の時空館がオープンした。

しかし、新たに追加された埋立地に計画された「コスモスクエア」の整備計画(大阪ワールドトレードセンタービルディングなど)は、バブル期に過大な規模にまで拡大された結果、テナントの撤退や土地の分譲不能など思惑がはずれ、その事業費が事業者である大阪市(港湾局)の大きな負担となっている。また橋下徹大阪府知事はワールドトレードセンタービルに大阪府庁の機能を移転することを示唆しており、そのことに関する可否が議論されている。現在は大規模マンション建設や森ノ宮医療大学の進出、法務局の移転など開発が進んでおり、天保山ハーバービレッジ等と合わせて再注目されている。

主なアクセスは、鉄道なら大阪市交通局地下鉄中央線またはニュートラム南港ポートタウン線。道路なら阪神高速道路4号湾岸線南港中出入口または南港南出入口。また築港方面からは大阪港咲洲トンネル、住之江方面からは南港大橋が利用できる。

[編集] 南港の主な施設

国際フェリーターミナル
交通:最寄り駅はコスモスクエア駅
  • KF-1 上海フェリー・中日国際輪渡有限公司(日中国際フェリー「新鑑真」)
    • - 上海港(上海フェリー「蘇州號」)
  • KF-2 パンスターライン
コスモフェリーターミナル
交通:最寄り駅はトレードセンター前駅
コンテナ埠頭をフェリー埠頭に転換し、2008年7月8日から一部供用開始された。南港に従来からある各ターミナル周辺には商業施設が少ない(または皆無)のに対し、このターミナルはアジア太平洋トレードセンター(ATC)やワールドトレードセンター(WTC)などと直結しており、各施設の利用増などとの相乗効果を狙うものである[要出典]
また、今後3バースを整備し、主に「かもめフェリーターミナル」(下記)に発着している航路が新ターミナルに移転する予定である[1]
大阪南港フェリーターミナル
交通:最寄り駅はフェリーターミナル駅
愛媛県および九州各地へのフェリー航路が乗り入れており、その船舶数は日本一である。ニュートラム南港ポートタウン線フェリーターミナル駅に直結している(ただし、「かもめフェリーターミナル」へは大阪市営バス16系統利用。沖縄定航埠頭へは船会社が無料のシャトルバスを運行している)。

[編集] 脚注

  1. ^ 大阪南港コスモフェリーターミナル/一部供用を開始 - LNEWS(株式会社ロジスティクス・パートナー、2008年7月9日)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
官公庁など
旅客船関連
その他

最終更新 2009年11月17日 (火) 12:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【大阪港】変更履歴

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