大韓民国の政党
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| 政党 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 정당 |
| 漢字: | 政黨 |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
チョンダン |
大韓民国の政党(かんこくのせいとう)では、大韓民国における政党に説明していく、個々の政党について調べたい場合は「韓国の政党一覧」を参照されたい。
目次 |
[編集] 概要
韓国における政党制度は、1948年の建国以来、大韓民国憲法に規定された複数政党制に基づいたものであるが、離合集散が激しく、その体制は目まぐるしく変遷してきた。第五共和国まで平和的政権交代がなされなかったため、政権を掌握した権力者が権力の維持手段として与党を創党し、権力者が失脚すると与党も解党されるパターンが繰り返されてきた。それに対し、野党勢力は、解放直後に結成された韓国民主党(韓民党)の流れを一定の範囲内で受け継ぐ勢力が離合集散を繰り返しつつも、正統保守野党としての歴史が形成されてきた。その結果、第六共和国以前の政党体制は「政府党[1]」と「保守野党」が政治体制の民主化を巡って対立する構図となったが、行政機構と一体化した政府党が常に優位に立っていた。
[編集] 「地域主義」と政党
1987年6月に最高潮に達した民主化闘争の結果、大統領直選制を軸とした民主化が実現した。これによって、第五共和国(全斗煥政権)から第六共和国(盧泰愚政権)への平和的政権移譲が行われ、全斗煥政権与党の民主正義党(民正党)も盧泰愚政権与党としてそのまま受け継ぐことができた。また民主化によって、それまでの「政府党-保守野党」の構図が崩れ、有力な大統領候補である金泳三や金大中、金鍾泌のいわゆる三金は、支持者を動員する手段として地縁に依拠し、候補者自身の出身地域を排他的な支持基盤とした政党を結成した。その結果、特定地域を排他的支持基盤とする政党が、各種選挙で当該地域出身者の票を、有権者の政治的立場とは関係なく集める「地域主義」が韓国の政党体制を支配するようになった。
第六共和国初期においてはTK(大邱・慶尚北道)、PK(釜山・慶尚南道)、湖南(光州・全羅道)、忠清道(大田・忠清南道)の四地域それぞれを地盤とした四政党(民主正義党、統一民主党、平和民主党、新民主共和党)が存在したが、少数与党で政権運営に苦労した盧泰愚大統領が1990年に金泳三、金鍾泌と連合し、三党(民主正義党、統一民主党、新民主共和党)が合同して結成された民主自由党の流れを受け継ぎ嶺南地方[2]を支持基盤とする政党(嶺南政党[3][4])と、金大中を領袖として結成された平和民主党の流れを受け継ぎ湖南地方[5]を支持基盤とする政党(湖南政党[3])からなる二大政党に、民自党と袂を分かって1995年に結成された自由民主連合の流れを受け継ぎ忠清道[6]を支持基盤とする中規模政党(忠清道政党[3])を加えた三政党[7]に再編された。主要政党における党名変更や離合集散はあるが、現在もこの構図に基本的変化はない[8]。
嶺南と湖南、忠清道の地域政党[9]による三党体制の下で、嶺南地域の居住者と出身者は基本的に嶺南政党を、湖南地域は湖南政党が有権者の絶対的支持を集めるという有権者の投票行動パターンも、1988年時より極端ではないものの現在まで続いている[10][11][12]。1997年の大統領選挙で、野党・新政治国民会議(湖南政党)の金大中候補が与党ハンナラ党(嶺南政党)の李会昌候補に勝利し、韓国憲政史上初めて与野党間での平和的政権交代が実現したが、この時は忠清道政党の自由民主連合との選挙協力(湖南+忠清道)が勝利に大きく貢献している。
各政党は、それぞれの地盤とする地域で強い支持を集めるが、全国からの出身者が多く混在する首都圏においては、嶺南政党と湖南政党が票と議席を競い合う状況が、2000年の選挙以降、強まっている。ちなみにソウル市は、湖南地域からの出身者が相対的に多数を占めているため、湖南政党の勢力が強いとされてきた。しかし、2002年と2006年の地方選挙、2008年の国会議員選挙では、嶺南政党のハンナラ党が多数派を占めた。
[編集] 主要政党の性格
韓国の主要政党は近年まで、選挙における国会議員候補の公薦権を握ってきた大統領や大統領候補者である領袖(具体的には金泳三、金大中、金鍾泌の三金)の影響力を最近まで強く受けてきた。これは、1988年の選挙以降、特定地域における排他的支持基盤を持つ政党公薦の有無、つまり領袖の支持の有無が候補者の当落を左右し、仮に公薦を得ずに無所属や群小政党から出馬しても当選するのが困難となった。そのため、多くの議員や候補者達は政党領袖の意向に従うようになったためである[13]。しかし近年、総裁職の廃止、大統領と党代表職の兼任禁止、最高委員会を中心とする集団指導体制導入、大統領候補や国会議員候補の選出過程における一般有権者参加型の制度導入など、大統領(候補)の影響力を弱め、より党の自立性を強化する改革が行われている[14]。
また、民主労働党(民労党)や進歩新党などの左派政党を別として、国会議員を主要構成員とする議会政党としての性格が強く、院外組織は貧弱である[13]。政治的立場については、嶺南政党が中道保守、湖南政党は進歩主義、忠清道政党が保守という違いはあるが、対北朝鮮や外交政策を別として、政策に余り大きな違いは見られない。社会主義や社会民主主義を提唱する左派政党は、南北分断と朝鮮戦争で強化された反共主義体制の下で、その活動が制約されてきた。しかし、金大中政権の下で推進された太陽政策等によって政界や国民の政治意識における反共主義が緩和され、2004年の国会議員選挙において労働組合(民主労総)が主体となって結成された民労党(2000年結成)が院内進出に成功した[15][16]。
[編集] 主要政党の沿革
離合集散が激しく、数多くの政党が作られたため、韓国における政党の沿革について全てを把握するのは困難であるが、大まかに見た場合、以下のような区分ができる[17]。
| 区分 | 政党名 | |
|---|---|---|
| ① | 権威主義政権(第一共和国)、開発独裁政権時代(第三共和国・第四共和国・第五共和国)において、政権を掌握した権力者が政権維持の手段として創党した与党。 | 自由党(李承晩政権与党、1952年~1960年) 民主共和党(朴正熙政権与党、1963年~1980年) 民主正義党(全斗煥政権・盧泰愚政権前半期の与党、1981年~1990年)→統一民主党及び新民主共和党と合同して民主自由党を結成(→③) |
| ② | 解放直後、保守系民族主義者を中心として結成された韓国民主党(韓民党)を淵源とする保守野党(第二共和国時代は与党) | 民主国民党(韓民党から党名を改称。1950年~1955年)→民主党(1955年~1965年[18])→民政党(1963年~1965年)→民衆党(民政党と民主党が統合、1965年~1967年)→新民党(民衆党と新韓党が統合、1967年~1980年)→民主韓国党(旧新民党内の穏健派議員が結成。1981年~1988年)→新韓民主党(政治活動を解禁された旧新民党政治家が結成。1985年~1988年)→統一民主党(新民党を離党した上道洞[19]・東橋洞系[20]の政治家が結成。1987年~1990年) |
| ③ | 開発独裁政権時代の与党(民主正義党)と保守野党(統一民主党)の一部が合流し、慶尚道を強固な支持基盤とする第六共和国時代の中道保守政党(嶺南政党。盧泰愚・金泳三、李明博政権与党) | 民主自由党(民主正義党・統一民主党・新民主共和党の三党が合同して結成。1990年~1995年)→新韓国党(民自党から党名変更、1995年~1997年)→ハンナラ党(新韓国党と統合民主党が合同して結成、1997年~) |
| ④ | 権威主義・開発独裁時代の保守野党勢力の流れを受け継ぎ、全羅道を強固な地盤とする第六共和国時代の中道改革[21]政党(湖南政党。金大中・盧武鉉政権与党) | 平和民主党(統一民主党から袂を分かった金大中支持勢力が結成。1987年~1991年)→民主党(新民主連合党[22]と民主党[23]が統合して結成。1991年~1995年)→新政治国民会議(民主党を脱党した東橋洞系議員が結成。1995年~2000年)→新千年民主党(国民会議が党名改称。2000年~2005年、後に民主党に改称)→開かれたウリ党(民主党内の親盧武鉉派が結成。2004年~2007年)→大統合民主新党(2007年~2008年)→民主党(2008年~) |
| ⑤ | 開発独裁時代の与党(共和党)の流れを受け継ぎ、忠清道を支持基盤とする保守政党(忠清道政党。途中、③の中道保守政党に合流していた時期あり。金大中政権初期は与党) | 新民主共和党(1987年、1990年に民主正義党、民主党と合同して民主自由党を結成) 自由民主連合(1995年に民自党から分裂して結成、旧・統一国民党[24]の勢力も吸収、1995年~2006年)→国民中心党(2006年~2008年)→自由先進党(2008年~) |
| ⑥ | 政治的自由が保障されるようになった民主化以降、活発化した労働運動や社会運動を基盤とする左派政党 | 民衆党(1990年)、民主労働党(2000年~)、進歩新党(民主労働党から分裂して結成、2008年~) |
[編集] 政党法制
韓国における政党に関する法規は、1946年2月に米軍政庁が公布した米軍政法令第55号「政党に関する布告」が最初であり、「政治活動に従事する者を3人以上有している団体」を政党として規定していた。その後、1961年5月の5・16軍事クーデターで政権を握った軍部(国家再建最高会議)が政党の成立要件について細かく規定した「政党法」(정당법)を初めて制定し、1962年12月26日の第三共和国憲法公布に続く、31日に公布した。以後、1969年、1972年、1973年、1980年、1988年、1989年、1993年、1997年、2000年、2004年に部分改正が行なわれ現在に至っている。
[編集] 政党活動の自由
大韓民国憲法第八条において複数政党制と政党設立の自由が定められているが、二項において政党の目的・組織・活動については民主的でなければならないと規定されており、これに反した場合には政府が憲法裁判所に提訴して、憲法裁判所の審判で当該政党を解散できることを四項で規定している。このように韓国の基本体制である自由民主主義体制に反する政党(具体的には共産主義政党)の存在を認めない法的根拠を示している。
- 大韓民国憲法第八条
- 一項「政党の設立は自由で、複数政党制が保障される」
- 二項「政党は、その目的、組織及び活動が民主的でなければならず、国民の政治的意思形成に参与するのに必要な組織を有しなければならない」
- 四項「政党の目的又は活動が、民主的基本秩序に違反する場合するときは、政府は、憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は、憲法裁判所の審判により解散される」
[編集] 政党の成立と解散
政党の成立要件について定めている政党法では、政党成立要件について「中央党(党本部)が中央選挙管理委員会に登録することで成立する」と第四条一項で規定されているが、登録にあたっては、二十五条・二十七条で「国会議員地域選挙区総数の10分の1以上の地区党を置き、地区党の法定党員数は一地区あたり30名以上でなければならない」と規定しており、政党登録の要件を厳しくすることで政党乱立を抑え、政治的な混乱を最小限にしようとしている。また二十六条で「地区党は特別市・広域市・道中の五以上に分散しなければならない。地区党の数は、一つの市や道に四分の一以上を超えて設置することが出来ない」旨が規定されており、地域分裂を招きかねない地域政党の出現を防ごうとしている。
- 政党法第四条
- 一項「政党は、中央党が中央選挙管理委員会に登録することで成立する」
- 二項「一項の登録には第二十五条から二十七条までの要件を具備しなければならない」
- 政党法第二十五条
- 「政党は、国会議員地域選挙区総数の十分の一以上に該当する数の地区党を持たなければならない」
- 政党法第二十六条
- 一項「二十五条の規定による地区党は、特別市・広域市・道中五以上に分散しなければならない」
- 二項「政党が特別市・広域市・道中に置く地区党数は、その政党の地区党総数の四分の一を超えることは出来ない」
- 政党法第二十七条
- 「地区党は、三十人以上の党員を持たなければならない」」
政党解散要件については、憲法の規定(第八条四項)以外に、設立から4年間一度も国会や地方の議会・首長選挙に参加しない、国会議員選挙で議席を獲得できなかった場合と、獲得有効投票数が有効得票総数の100分の2(2%)未満の場合に、選挙管理委員会が登録を取り消すことが出来るとしている[25]。
- 政党法第三十八条
- 一項「第二十五条から二十七条までの要件を具備することが出来なくなった時(以下省略)」
- 二項「最近4年間国会議員総選挙又は任期満了による地方自治団体の長の選挙又は市・道議会議員選挙に参加しないとき」
- 三項「国会議員総選挙に参加して議席を得られず、有効投票総数の100分の2以上を得票することが出来ない時」
[編集] 政治資金
現行の政治資金法では、政治資金は党費・後援金(後援会の会員が後援会に納入する金銭など)・寄託金(政治資金を政党に寄付しようとする個人・法人・団体が選挙管理委員会に寄託した金銭など)・国庫補助金・後援会(中央党・市道支部・個人)による集金から成り立っている。政党に対する国庫補助金は、国会議員選挙で有効投票総数の2%以上の得票を得た政党に支給され、金額はその政党の議席数・得票率などの基準によって決定されている。一方で、政治資金については公開の原則に基づいて中央党と地区党や後援会は、政治資金の支出入を会計帳簿に記録して毎年選挙管理委員会に報告することが義務づけられており、その内容は国民に公開されることも定められている。
[編集] 政党史
韓国における本格的な政党政治は、1945年8月に日本の植民地支配から解放(光復)されたことで、始まった。それ以降、米ソ両国の冷戦激化による南北の分断と朝鮮戦争、戦争後の長きにわたる権威主義独裁、開発独裁の政治体制が続く中で、政党体制も大きく左右された。権威主義・開発独裁時代の第一共和国~第五共和国においては、各共和国ごとに与党が権力者(李承晩・朴正熙・全斗煥)によって急造され、野党はクーデターで権力を掌握した権力者(朴正熙・全斗煥)によって解体された後で、新しく創党されるパターンが続いてきた。1987年の民主化で発足した第六共和国においても、大統領選挙や国会議員選挙の前後において、分党、合併、党名改称といった離合集散が繰り返された。そのため、制憲議会選挙(1948年)から直近の18代総選挙(2008年)迄の国会議員選挙において、2回以上候補者を擁立し、且つ当選者を出した政党は20[26]にも満たず、選挙直前に多数の政党が結成されたが、それらの政党の多くは選挙直後に解党されている[27]。一番寿命が長かった朴正熙政権与党の民主共和党でも17年余り(1963年~1980年)と先進国の主要政党に比べ、寿命がとても短い事も特徴である[28]。
詳細は韓国における政党史を参照せよ
[編集] 脚注
- ^ 政府党は「行政機構と一体化した政党」で、政治学者である藤原帰一によって提起された概念である。厳密には「組織・人員・財政支出において、行政機構のソースを排他的に利用し、行政機構との区別がつかなくなった政党」と定義されている。李承晩政権与党の自由党や朴政権与党の共和党も、行政機構をフル活用して農村部を支持基盤に野党に対して圧倒的優位な立場を占めることができた。
- ^ 慶尚道地域の別称
- ^ a b c 冒頭でも記述したように韓国では、政党の離合集散が激しく党名も頻繁に変わるため、各政党が支持基盤としている地域に由来して、ここでは便宜上、嶺南政党・湖南政党・忠清道政党と呼ぶこととする。参照:梅津實・森脇俊雄・坪郷實・後房雄・大西裕・山田真裕共著『新版 比較・選挙政治 21世紀初頭における先進6カ国の選挙』(ミネルヴァ書房)の第5章「韓国の場合 【地域主義とその行方】」(大西裕)の“1「地域主義」と選挙政治”(175頁)
- ^ 第六共和国初期の嶺南政党は、TK地域(大邱・慶尚北道)を支持基盤とする与党勢力(民主正義党)と、PK地域(釜山・慶尚南道)を支持基盤とする野党勢力(統一民主党)に分かれていたが、1990年の3党合同で一本化された。但し、李基澤や盧武鉉など統一民主党の一部議員は3党合同を拒否し、後に湖南政党(民主党及び新政治国民会議)に合流した。
- ^ 全羅道地域の別称。
- ^ 但し、同じ忠清道でも忠清北道では、忠清道政党の勢力は弱く、2008年の国会議員選挙では、湖南政党の民主党が地域区議席数で第一党となっている。また、2004年の国会議員選挙では地盤の忠清道で盧武鉉政権与党のウリ党が第1党になり、自民連は比例代表で議席獲得に必要な得票率3%を下回って惨敗した(4議席)。2008年の選挙でも、先進党は忠清道地域において第1党になったが院内交渉団体を構成するのに必要な20議席を確保することができないなど、勢力はやや低下気味である。
- ^ 第六共和国初期は、盧泰愚・金泳三・金大中・金鍾泌のいわゆる「1盧3金」が政局を主導したが、政党も「1盧3金」の地縁に依拠した体制(民正党:盧泰愚=大邱・慶北、民主党:金泳三=釜山・慶南、平民党:金大中=光州・全羅道、共和党:金鍾泌=忠清道)に再編された。しかし、1990年に民正党と民主党及び共和党の3党が合同して「民自党」を結成したことで、表面的には両党制(民自党=慶尚道・忠清道、平民党=全羅道)へと変化した後、金鍾泌が民自党を離党して「自民連」を結成(1995年2月)、政界を引退していた金大中も9月に政界復帰を宣言、野党第1党であった民主党から東橋洞系議員を脱党させて「国民会議」を結成(1995年9月)したことで「三金」が主導する3党体制となった。
- ^ 地域主義に依拠しない政党(統合民主党や民主労働党など)は、いずれも地域主義の壁に阻まれ、群小政党の位置に甘んじる状況が続いており、左派政党の支持は比例代表が主で、国会に影響力を与えるだけの充分な議席を得られないでいる。
- ^ 主要政党が地域政党を名乗って活動しているわけではなく、あくまでも特定地域を排他的支持基盤とする意味での「地域政党」である。
- ^ 2008年の第18代国会議員選挙では、慶尚道68議席中ハンナラ党が46議席。全羅道31議席中民主党が25議席。忠清道24議席中先進党が14議席と、それぞれの地域を地盤とする政党が圧倒的強さを発揮した。その一方で、ハンナラ党は光州・全羅道で1議席も獲得できず、民主党も慶尚道では2議席を得るに留まり、先進党は忠清道以外の地域区で議席を確保できなかった。また、政党投票(比例代表)でも、慶尚道・全羅道・忠清道の各地域で、全国平均よりも偏りが生じている。地域別選挙結果の詳細については第18代総選挙 (大韓民国)#地域別選挙結果を参照していただきたい。
- ^ 無論、地域主義に基づく現在の政党体制については、政治学者やマスコミ、政治家自身も韓国政治の恥部であるとして、これまでの選挙において「地域主義」解消は大きなテーマとなっているが、解消には至っていない。
- ^ 2008年5月3日付東亜日報の「당선자 득표율 대부분 黨득표율 웃돌아…‘사표방지 심리’(当選者 得票率 大部分 党得票率 上回る ‘死票防止 心理’)」に、第18代国会議員選挙の各地域区における候補者得票(図:18대 총선 선거구 후보 득표(18代総選選挙区候補得票))及び政党得票(図:18대 총선 선거구 정당 득표(18代総選選挙区政党得票))の1位と2位の差違が図に示されている。それを見ると、政党投票においても嶺南地域でハンナラ党、湖南地域で民主党、忠清道で先進党がそれぞれ2位以下に圧倒的な差(20ポイント以上)をつけている地域が多いことがわかる。特に湖南では民主党が政党投票において全地域で2位に大差をつけていることがはっきりしている。
- ^ a b 脚注2と同掲書の200頁“3「政党の性格」”より
- ^ 山本健太郎「韓国における政党の大統領候補者選出過程-2002年の新千年民主党の「国民参加」党内選挙を中心に」、『レファレンス』平成15年7月号(2003年)
- ^ このときの選挙から比例代表の議席配分方法が、地域区における得票を元に議席配分する方法から、新たに政党に対して投票する2票制となり、この政党票を元に議席配分する方法に改められたことも民労党の院内進出に大きく貢献している。
- ^ 2004年の選挙で、民労党は10%を超える支持(得票)を集め10名が当選したが、このうち8名は比例代表当選者で、地域区当選者は2名に留まった。続く2008年の国会議員選挙では、対北朝鮮政策を巡る党内対立で支持を減らし議席を半分に減らしている。また、民労党から分裂した進歩新党は議席を獲得することができなかった(2009年4月の再選挙で1名が当選)
- ^ この区分については、『分断後の韓国政治-1945~1986-』(尹景徹著)や『韓国現代史 大統領たちの栄光と蹉跌』(木村幹著)、朝鮮日報及び聯合ニュースのサイトを元に、権威主義・開発独裁時代と民主化以後、地域感情、政治理念傾向を踏まえて作成した。
- ^ 但し、1961年~1963年の間は、軍政(国家再建最高会議)によって解散させられていた。
- ^ 金泳三派の別称(上道洞(상도동)は金泳三の私邸がある地域)。
- ^ 金大中派の別称(東橋洞(동교동)は金大中の私邸がある地域)。
- ^ 韓国ではリベラル志向の政党のことを中道改革政党と呼ぶ
- ^ 1991年4月に平民党と新民主連合(在野)が統合して結成。
- ^ 1990年の3党合同の際、民自党への合流を拒否した李基澤や盧武鉉など統一民主党の議員や無所属議員が結成した政党。
- ^ 韓国を代表する財閥グループである現代グループの名誉会長であった鄭周永が1992年2月に結成した政党。
- ^ 最近では、2008年4月に施行された18代国会議員選挙で、当選者を出せず且つ、2%の得票を獲得できなかった国民失郷安保党や平和統一家庭党、救国真人間連合、統一韓国党、文化芸術党、市民党、新未来党、韓国社会党など九つの政党が登録を取り消されている。毎日経済新聞(韓国)の記事「2%未満小政党九つ登録取り消し」(韓国語)
- ^ 民主共和党が5回(第6代、第7代、第8代、第9代、第10代)と最多で、続いて新民党の4回(第7代、第8代、第9代、第10代)。自由党(第3代、第4、第5代)、民主正義党(第11代、第12代、第13代)、自由民主連合(第15代、第16代、第17代)、ハンナラ党(第16代、第17代、第18代)が3回。民主国民党(第2代、第3代)、民主党(第4代、第5代)、民主統一党(第9代、第10代)、民主韓国党(第11代、第12代)、韓国国民党(第11代。第12代)、新千年民主党(第16代、第17代)、民主労働党(第17代、第18代)が2回の選挙で候補者を擁立して議席を得ている。10年以上存続し、且つ3回以上候補者を擁立し、議席を得た政党は、民主共和党(1963年~1980年)と新民党(1967年~1980年)、自由民主連合(1995年~2005年)、ハンナラ党(1997年~現在)の四党だけである。
- ^ 雨後の竹の子「突然の政党」-2008年3月22日付東亜日報
- ^ 国会に議席を有し、かつ現存する政党で一番長い歴史を持っている政党は、1997年11月に結成された現与党のハンナラ党である。2番目は2000年1月に創党された民主労働党。3番目は2007年10月に結成された創造韓国党、統合民主党(現・民主党)と自由先進党、親朴連帯は、いずれも、2008年4月の総選挙直前に結成されている。
[編集] 参考資料・参考リンク
- 尹景徹『分断後の韓国政治-1945〜1986-』木鐸社
- 孔星鎮・川勝平太編著『韓国の政治‐南北統一をめざす新・先進国』早稲田大学出版部
- 孔義植・鄭俊坤『韓国現代政治入門』芦書房
- 山本健太郎(国立国会図書館)「韓国の政党・政治資金制度-政党法・政治資金法の概要-」(PDF)、
- 山本健太郎(国立国会図書館)「韓国における政治改革立法と政党の動向」(PDF)、
[編集] 関連リンク
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最終更新 2009年9月14日 (月) 15:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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