大麒麟將能

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大麒麟 將能(だいきりん たかよし、本名:堤 隆能(つつみ たかよし)、1942年6月20日 -) は 、大相撲力士佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身。二所ノ関部屋所属。最高位は大関。現役時代の体格は182cm、140kg。得意手は右四つ、吊り、寄り。

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[編集] 来歴

中学生の頃は生徒会長を努めるなど人望もあり、体力のみならず学力にも秀で、将来は防衛大学校を目指していたとされるが、その素質に目をつけた二所ノ関親方(大関・佐賀ノ花)に勧誘され1958年昭和33年)5月場所本名のまま初土俵。後に「麒麟児」と改名(新十両の1962年(昭和37年)7月場所のみ「麒麟兒」、翌場所「麒麟児」に改名)。

1963年(昭和38年)9月場所新入幕。しかしその場所9日目の朝稽古で左脚を負傷(左脛骨上端骨折・左膝十字靱帯断裂)し休場、一時は幕下まで陥落。1965年(昭和40年)7月場所再入幕。兄弟子・大鵬があれほど苦戦させられた柏戸に強く、初顔の1966年(昭和41年)5月場所5日目、柏戸を土俵際で見事にうっちゃりで勝ち注目を浴びた。重さと柔軟性を活かした取り口で、前さばきもうまく柏戸に何度も苦杯を舐めさせた(対戦成績は大麒麟(麒麟児)の9勝8敗)。稀代のうっちゃり腰を持っていたが、解説の玉の海神風とも『俵に足がかかると、うっちゃりしか考えない。』とその取り口を批判した。しかし相手を腹に乗せうっちゃる技は決まれば他に例を見ないほど鮮やかなもので、「麒麟児のうっちゃり」ファンが多数いたのも事実である。

その後三役で大勝ちし大関とりといわれる場所を何度も迎えたが、大事な所で弱く何度も失敗。優勝争いに参加することもあったがそうなると必ずと言っていい程千秋楽に負けて逸していた。1969年(昭和44年)1月場所からは11場所連続で三役に座り続け、1970年(昭和45年)5月場所より「大麒麟」と改名。この場所関脇で9勝6敗、翌場所から2場所連続の12勝3敗でようやく大関になった。

その後大関として可もなく不可もなくといった成績を続けていたが、よく初日に敗れることが多かった(大関昇進後、初日のみの戦績は8勝16敗1休)。1972年(昭和47年)7月場所に右腕を骨折してからは成績が降下し1973年(昭和48年)3月場所には3勝12敗と大きく負け越した。結局大関時代の最高成績は11勝4敗、素質は横綱を充分に期待できる程のものだったが優勝もなく果たせなかった。1974年(昭和49年)11月場所、初日旭國、2日目魁傑と連敗、3日目栃東に勝ったものの翌日引退、年寄押尾川を襲名した。

師匠没後の1975年(昭和50年)9月、内弟子16名を連れて谷中・瑞輪寺に立て籠もり分家独立を申し出た。二所ノ関の後継者の座を巡っては、かねてから当時まだ現役であった金剛と相続を争っていたが、金剛が師匠の次女と婚約し事実上勝利した。独立はこれを受けてのものだったが周囲の反対に遭い紛糾。「二所ノ関騒動」「押尾川の乱」と呼ばれる事態に発展する。またこの騒動には天龍源一郎も巻き込まれている(結果的に彼は廃業、プロレスラーへ転身した)。最終的には花籠親方(元前頭3枚目・大ノ海)の調停により、16名中6名(青葉城ほか)を連れて行くことが認められ押尾川部屋を開設した。後に、益荒雄(現阿武松)、大至恵那櫻などの幕内力士やプロレスラーに転身した玉麒麟(田上明)を育てた。しかし弟子の益荒雄が引退後、強引に分家独立(阿武松部屋)しようとした際には、自身が破門している。

日本相撲協会では騒動の影響もあってかなかなか要職に就けなかったが、2004年(平成16年)から1期2年間、理事・審判部長を務めた。自らの停年まではまだ余裕があったが後継者を指名することなく部屋を畳むことを決め、2005年(平成17年)4月1日付けで尾車部屋へ全力士を移籍させ押尾川部屋は消滅した。自身も尾車部屋の部屋付き親方となったが、区切りがついたとして停年まで1年を残して2006年(平成18年)6月30日、協会を退職した。その後、公の場(例:年寄名跡を譲った愛弟子・若兎馬の断髪式)に姿を見せたという話は聞かれない。

天才と呼ばれることを嫌った兄弟子・大鵬に「彼こそ天才と呼ぶにふさわしい」と言わしめた。照國もそうだったが、体重のある大兵なのに足腰は柔軟であり吊り上げると相手に被さるように重さが掛かってしまうのが特徴だった。廻しをきつく締めても取り組み中に緩みやすいところも似ていた。口をへの字に曲げ下唇をやや突き出しながら、体をグニャグニャと動かし柔軟さを表した仕切り姿も特徴的で、特に廻しをちょっとずり上げる、かと思えば軽く叩く等細かい動きを仕切りの間中行い、丁度メジャーリーガーのノマー・ガルシアパーラが打席に立った時に手袋をいじり続けるのと非常に似通ったある種奇怪な動きを執拗に繰り返し、実況で大鵬が『あれはみっともないからやめろ。』と注意したというエピソードが紹介された事があった。上位に定着する頃からその動きはかなり減ってきた。

引退後は、脳梗塞に倒れた兄弟子・大鵬を目の当たりにしてか、絶食により体重を落としスリムな体型に。また力士になると声帯にも脂肪がついていわゆる力士らしい声になるというが、物言い協議終了後の場内への説明などでは、元力士とは思えぬ高い声であった。

信条とする言葉は「初志貫徹」。趣味はジョギング・碁。好物は草餅

[編集] 主な成績

  • 通算成績:710勝507敗69休 勝率.583
  • 幕内在位:58場所
  • 幕内通算成績:473勝337敗49休 勝率.584
  • 大関在位:25場所(ほか、関脇14場所、小結8場所)
  • 大関通算成績:189勝132敗43休 勝率.589
  • 三賞:殊勲賞5回、技能賞4回
  • 金星:3個(柏戸2、佐田の山1)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月3日 (土) 14:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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