天満橋 (広島市)
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| 天満橋 | |
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欄干 橋全体 |
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| 所在地 | |
| 長さ | 54m |
| 幅 | 7m |
| 形式 | 2径間連続下路式鈑桁橋 |
| 素材 | 上部工:鋼橋 下部工:RC構造 基礎工: |
| 建設 | 1???年 木橋 1955年 鋼橋 |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
| 一覧 | |
| 橋の一覧 | |
天満橋(てんまばし)は、広島県広島市の天満川にかかる道路橋。下流側に人道橋(歩道橋)を併設している。
目次 |
[編集] 概要
橋名は西詰たもとにある天満宮から。ここから東へ道沿いに進み本川橋を渡ると広島平和記念公園に入る。西へ進むと己斐橋がある。上流側に相生通りの広瀬橋、下流側に広島電鉄本線の鉄道橋・広電天満橋があり、最寄の駅は東詰下流側にある広電小網町駅となる。
西詰上流側に広島市立天満小学校がある。
広島城開城当時からある橋で、天満川に唯一架けられた西国街道筋の橋であった。その後、現在の鋼橋に架け替えられた。
[編集] 諸元
- 路線名 : 広島県道265号伴広島線
- 橋長 : 54m
- 幅員 : 7m
- 上部工 : 2径間連続下路式鈑桁橋
- 下部工 : RC?式橋台2基、RC壁式橋脚1基
- 基礎工 : ?
[編集] 歴史
最初の架橋年度は不明。安土桃山時代、毛利輝元が広島城および城下を整備する時に、この地に普請小屋を置いた。そこからこの地は「小屋新開」「小屋新町」と呼ばれ、河川は「小屋川」、そこに架かる木橋を「小屋橋」と呼ばれていた。城下町の西端に位置した橋で、このあたりは宿場が広がっていた。藩政時代において防衛上、橋の架橋は制限されており、この橋は天満川に唯一架けられた西国街道筋の橋であった。ちなみに、江戸末期時点でその他に、己斐橋・福島橋(現存せず)・本川橋・元安橋・京橋・猿猴橋・神田橋・横川橋ぐらいだった。
1788年(天明8年)火事や水害多発のため、広島城下東にあり火雷天神を祀る尾長天満宮を分霊しこの地に勧請、これにちなんで現在の名である「天満町」「天満川」「天満橋」に改称された。
明治以降になると国道筋の橋として機能した。1945年8月6日、原爆被災(爆心地より約1.05km)、当時水害により落橋していたのか木造の仮橋であったため一部が火災により焼失、爆風により桁が緩んだが落橋は免れた。避難者は、燃え上がるこの橋を渡り西へと逃げて行った。翌7日より東詰付近が火葬場となった。
同年9月に上陸した枕崎台風と同年10月の阿久根台風による洪水により流失。同時期に原爆および風水害により天満川に架かる橋が横川橋以外ほぼ落橋してしまい、歩いて市内に向かうには北に回って横川橋まで行かなければならなくなったため、復旧するまでこの橋北側にロープ伝いの渡し舟が仮設された。
現在の鋼橋は1955年(昭和30年)に再架橋された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年6月9日 (火) 23:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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