太宰府天満宮

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太宰府天満宮

楼門
所在地 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
位置 北緯33度31分17.49秒
東経130度32分5.45秒
主祭神 菅原道真
社格 官幣中社
創建 919年延喜19年)
本殿の様式 両流造
  
奥部の参道

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は福岡県太宰府市にある神社菅原道真を祭神として祀る天満宮の一つ。天神様のお膝元として、初詣の際には九州はもとより全国から毎年200万人以上の参詣者がある。

目次

[編集] 歴史

この神社には学問の神として知られる菅原道真が祀られている。道真は901年藤原時平らの陰謀によって筑前国大宰府権帥として左遷させられ、903年に死去した。その遺骸を都まで送ろうとしたが、大宰府から外れた所で牛車を曳いていたが動かなくなった。それはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、そこに墓が作られ、905年には墓所にが建てられた。安楽寺天満宮の創始。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社であり、また菅公の御霊廟として、篤く信仰されている。なお、後に「廟」の字は朝廷の「朝」の字が含まれているとして「庿」(广に苗の字・環境によっては表示されない)に置き換えられた。 

太宰府駅から続く表参道。土産や名物の梅ヶ枝餅の店が軒を連ねる。

道真の没後、京では疫病や異常気象など不吉な事が続いたため「道真の祟り」と恐れられた。これを鎮めるために919年に道真の墓所の上に社殿を建立した。これが太宰府天満宮の始まりである。また、京には北野天満宮が造られた。

表参道の突き当たりにある『御神牛』

道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神として信仰されるようになった。現在も参拝客が多く、学問の神様としてあがめられている。

明治に入り、近代社格制度のもとで1871年に国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったからである。1881年には官幣小社に昇格、次いで1895年には官幣中社に昇格した。神社の国家管理を脱した戦後1947年に社号を太宰府天満宮に復した。

境内末社、志賀社(しがしゃ)

太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを亀戸天神社湯島天満宮大阪天満宮綱敷天満宮神戸市須磨区)・防府天満宮などとする説が存在する。

[編集] 行事

警察庁発表の初詣者数では、毎年ベスト10位内に入る。初詣以外にも、観梅シーズンや受験シーズンにも観光客(参拝者)数は増加する。また九州への修学旅行や、海外からの観光ツアーのルートに組み込まれてもいる。 近年では韓国釜山博多港とを行き来する高速船「ビートル」や「コビー」の利用で、韓国からの旅行者が増加し続けている。

  • このため、参道に並ぶ店ではハングル文字を記した商品メニューを用意したり、果ては参道に韓国人を主対象とした免税店まで開店する状態である。

2005年に天満宮近隣に九州国立博物館が開館。相乗効果で参拝者数が増加している。この九州国立博物館(『九博』)は、1971年に天満宮が寄贈した約5万坪の土地を敷地としている。 2007年正月三が日参拝者数は201万人であった。

[編集] 名物

表参道のみならず、境内の裏手にも点在する茶屋。

飛梅にまつわるものが多い。飛梅とは、菅原道真が京都から左遷されたとき、京都から飛んできたとされるである。「東風ふかば におひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という有名な歌はその伝説を詠んだもので、拝殿の手前にその飛梅の古木がある。

毎年梅の花が咲く頃には巫女が「梅の使節」として総理大臣官邸など各地を訪れて梅の盆栽を寄贈する。平成16年度の梅の使節では当時の小泉首相に梅を寄贈したが、その際渡した品種が『おもいのまま』というだったため、当時構造改革などで政界を変革しようとする首相に、記者たちから挙って「政治もやはりおもいのままですか」などといった質問が寄せられた。

太宰府天満宮での御神酒梅酒である。また参道には梅ヶ枝餅と呼ばれる餡入りの焼き餅を販売している店が並ぶ。

[編集] 茶屋

表参道から境内の奥まで、いたるところに茶屋があり、その多くは品目のうちに梅ヶ枝餅を用意している。

そうした茶屋のひとつ『お石茶屋』について、吉井勇は次のような歌を詠んだ。

太宰府の お石の茶屋に 餅くへば 旅の愁ひも いつか忘れむ

この『お石茶屋』については吉井のほかにも、野口雨情犬養毅佐藤栄作などが揃ってひいきにしたという。[1]

[編集] 百選

[編集] 太宰府天満宮を舞台にした作品

[編集] 能楽

では一番目に演じられる演目で初番目物(しょばんめもの)といわれ、能の後半で必ず神が現れ祝福をたれるのが特徴。

この「老松」(おいまつ)では老神が老人の面に白髪をたれた姿で登場し荘厳な『真ノ序ノ舞』を舞う。あら筋は梅津の某が夢のお告げで筑紫安楽寺(現在の太宰府天満宮)に行くと、老人(老松の精)と若い男(飛梅の精)が咲き誇る梅の垣を囲っている。飛梅とその脇の老松のいわれを聞くと、二人はそのいわれと梅と松が唐の国でも尊ばれたことを述べ、神々しい姿で去る。梅津の某が老松のかたわらに滞在してお告げを待っていると、老松の神霊があらわれ、客人を慰めようと様々な舞楽を奏し、神託を告げる。

[編集] 歌曲

  • 大和田建樹鉄道唱歌』第2集山陽九州篇
    • 41.まだ一日とおもいたる 旅路は早も二日市 下りて見てこん名にききし 宰府の宮の飛梅を
    • 42.千年(ちとせ)のむかし太宰府を おかれしあとは此処(このところ) 宮に祭れる菅公の 事績かたらんいざ来たれ
    • 43.醍醐の御代の其(その)はじめ 惜しくも人にそねまれて 身になき罪をおわせられ ついに左遷と定まりぬ
    • 44.天に泣けども天言わず 地に叫べども地もきかず 涙を呑みて辺土なる ここに月日をおくりたり
    • 45.身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 かたみの御衣を朝毎(あさごと)に ささげてしぼる袂かな
    • 46.あわれ当時の御心を おもいまつればいかならん お前の池に鯉を呼ぶ おとめよ子等(こら)よ旅人よ
    • 47.一時栄し都府楼の あとをたずねて分け入れば 草葉をわたる春風に なびく菫(すみれ)の三つ五つ
    • 48.鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺 仏も知るや千代までも つきぬ恨みの世がたりは
鉄道唱歌第2集は全68番であるが、そのうち太宰府には8分の1弱に当たる8番を割り当てており、作者の建樹が道真と天満宮に強い関心を持っていたことを伺わせる。

[編集] 文学

  • 『梅ノ木屋敷のキリン』


[編集] 文化財

[編集] 国宝

  • 翰苑 巻第三十

[編集] 重要文化財

  • 本殿 桃山時代
  • 末社志賀社本殿 室町時代
  • 太刀 銘俊次 
  • 毛抜形太刀 無銘 
  • 梅月蒔絵文台
  • 太宰府天満宮文書 75巻、25冊、1幅、26通 附:境内図1幅

[編集] アクセス

正月3が日は初詣客で周辺道路は大変混雑する。通常の期日でも九州国立博物館の開館後は周辺の駐車場が不足気味であり、車の利用は避けて西鉄電車など公共交通機関を利用した方が無難と言える。

[編集] JR・私鉄

[編集]

[編集] 周辺施設

[編集] 脚注

  1. ^ 参考文献;『太宰府天満宮』〔西高辻信貞〕ISBN 4-06-201196-4

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月23日 (木) 11:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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