太祖王建の戦い
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太祖王建の戦い(たいそおうけんのたたかい)では、韓国ドラマ『太祖王建』に登場する戦闘について記述する。
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[編集] 概要
本項は、『太祖王建』の本編にて登場する戦い、及び独立した戦闘を、原則として時系列に沿って記述する。戦いの中に含まれると思われる戦闘も、特記すべき戦闘に関しては別項を設けて記述する。
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
[編集] 西暦889年
[編集] 徐羅伐近郊の戦い
- 徐羅伐近郊の戦い(ソラボルきんこうのたたかい)は徐羅伐へ向かっているワン・リュン一行と、マ将軍率いる山賊との戦い。ワン・リュンらが運んでいる献上品を奪うため、山賊が行く手を阻んだため戦闘が起こった。
- ワン・リュンらは兵士が少なく、一向に加わっているクンイェ、チョンガンらも参戦し、奮闘するも徐々に劣勢に追い込まれる。そのとき、ワン・リュンらの出迎えに向かっていたキョン・フォンらが参戦し、状況は変わる。頭目であるマ将軍は、キョン・フォンとの一騎打ちで討ち取られ、これに勢いづいたキョン・フォン軍と、息を吹き返したワン・リュン軍に押されて山賊らは逃走して戦いは終わった。
- 戦いの規模は小さいものの、後三国時代を動かしたワン・ゴン、クンイェ、キョン・フォンという三人の英雄が初めて出会った戦いであった。
[編集] 西暦891年
[編集] 錦城の戦い(891年)
- 錦城の戦い(891年)(クムソンのたたかい)は、キョン・フォンを除こうとしたスダル軍と、防ぐキョン・フォン軍との戦い。場所は錦城(現在の全羅南道羅州市)。錦城に赴任したキョン・フォンは、密貿易の取り締まりを始めた。密貿易を生業とするスダルはこれに反抗する。スダルは夜陰に乗じて、積み荷を運ぼうとするがキョン・フォン軍は伏兵をもって、これを撃退する。次にスダルは、偽の宴会でキョン・フォンの暗殺を目論むが、返り討ちに遭ってしまう。
- スダル軍の指揮官はスダル、チョンネ、コムチ、マクセ。キョン・フォン軍の指揮官はキョン・フォン、ヌンエ、ヌンファン、チュ・ホジョ、キム・チョン、パン将軍。兵力はスダル軍5百、キョン・フォン軍3百。
- スダル軍が動くことを知ったキョン・フォン軍は、軍師であるヌンファンの策に従って迎撃の態勢を整える。スダル軍は、官庁を目指して進軍を開始した。官庁において、スダル軍とキョン・フォン軍は戦いを開始した。キョン・フォン軍はしばらく戦った後、官庁から兵を退いた。これはスダル軍を誘引するヌンファンの策だった。スダルは兵1百をチョンネに残し、官庁を守らせた。スダルは残りの兵を連れて、キョン・フォン軍を追った。チュ・ホジョがスダル軍を山道へと誘引し、スダル軍が山道へ入ったところをキム・チョン、パン将軍が上から火矢・投石を浴びせた。これを逃れたスダル軍に、ヌンエ、チュ・ホジョが襲い掛かり、さらに後方からキム・チョン、パン将軍が攻撃した。マクセはチュ・ホジョに、コムチはキム・チョンによって負傷した。スダルは落ち延びたが、待ち受けていたキョン・フォンにより退路を断たれた。スダルは自害しようとするが、これを一喝したキョン・フォンに心からの完敗を認めて降伏した。
- 被害はスダル軍はコムチ、マクセが負傷、兵の被害は不明。キョン・フォン軍の被害は不明。
- この戦いの勝利により、キョン・フォンは西南海の実権を掌握した。スダルはキョン・フォンと義兄弟の契りを交わし、忠誠を誓った。
[編集] 西暦892年
[編集] 武珍州城の戦い
- 武珍州城の戦い(ムジンジュソンのたたかい)は、西南海を制圧したキョン・フォン軍とこれに対抗する新羅軍との戦い。場所は武珍州城(現在の全羅南道光州広域市)。新羅への反抗を宣言したキョン・フォンは、武珍州を制圧するため、武珍州城に向けて出兵した。キョン・フォン軍は武珍州城へ向かう途上で兵力を増し、その兵力は5千を越えていた。兵力で劣る新羅軍はシン・ガンの意見により抗戦を決定する。キョン・フォン軍は、先鋒のチュ・ホジョが正面から、スダルが城の裏手から攻めることになった。
- キョン・フォン軍の指揮官はキョン・フォン、ヌンエ、ヌンファン、チュ・ホジョ、スダル、キム・チョン、パン将軍、コムチ、オクセ。新羅軍の指揮官はシン・ガン、。兵力はキョン・フォン軍約5千、新羅軍約1千。
- チュ・ホジョが正面より攻撃を開始する。キム・チョンとヌンエがその援護をする。そのさなか、武珍州の都督は自殺してしまう。新羅軍はシン・ガンが中心となって防戦する。数は劣るものの、新羅軍の必死の防戦により戦闘は膠着状態となる。しかし、城の裏門を陥落させたスダル、コムチ、オクセが城内の侵入に成功。正門も突破され、キョン・フォン軍は続々と城内に侵入した。新羅軍は数に勝るキョン・フォン軍に次々と討ち取られる。守将のシン・ガンは、パン将軍の矢で手傷を負って捕らえられる。
- この戦いの勝利により、キョン・フォンは武珍州を手に入れた。なお、捕らえられたシン・ガンは、キョン・フォンの配下となった。
[編集] 西暦896年
[編集] 鉄円城の戦い
- 鉄円城の戦い(チョルォン城のたたかい)は、鉄円城奪取を目指すクンイェ軍と鉄円城を守る新羅軍との戦い。場所は鉄円 (現在の京畿道鉄原郡)。溟州を手中にしたクンイェは鉄円に向けて進撃した。進撃中は大した抵抗もなく、兵力を増やしながら鉄円に至った。クンイェ軍が大軍であると知った鉄円城主は、周辺の豪族に伝令を送り、援軍を請うた。クンイェは使者を送って降伏を促したが、新羅軍側は使者を射殺し、抗戦の構えを見せた。
- クンイェ軍の指揮官はクンイェ、チョンガン、ウンブ、ポク・チギョム、ホン・ユ、ペ・ヒョンギョン、ファン・ソンギル、イ・フナム、シンフォン、ウォンフェ、チョンヒ。兵力はクンイェ軍不明、新羅軍不明。
- クンイェ軍はまず鉄円城の外郭陣地を攻撃する。クンイェ軍は、先鋒ファン・ソンギルを押し立てて外郭陣地を陥落させ、鉄円城から援軍に来た副将もペ・ヒョンギョンに討ち取られる。勢いに乗ったクンイェ軍は鉄円城攻略へ向かった。新羅軍も防戦するが、兵力の差により劣勢になる。また、援軍を求めた豪族も様子見のために新羅軍に援軍を送ることはなかった。その結果、鉄円城は落城し、城主は捕らえられた。
- 被害はクンイェ軍不明、新羅軍不明。
- この戦いの勝利により、鉄円城に入城したクンイェは王を名乗った。城主は斬首された。
[編集] 西暦898年
[編集] 祝霊山の戦い
[編集] 西暦901年
[編集] 大耶城の戦い(901年)
[編集] 西暦903年
[編集] 錦城の戦い(903年)
[編集] 西暦911年
[編集] 栄山江の戦い
[編集] 西暦916年
[編集] 大耶城の戦い(916年)
[編集] 西暦918年
[編集] ワン・ゴンのクーデター
- ワン・ゴンのクーデターは、クーデターを決意したワン・ゴン軍とこれに抵抗したクンイェ軍との戦い。戦場は鉄円(現在の京畿道鉄原郡)。軍事演習を装い、軍勢を集めていた革命勢力はワン・ゴンを盟主として推戴する。最初は渋っていたワン・ゴンも最後は承諾し、クーデターへの参加を決意する。
- ワン・ゴン軍の指揮官はワン・ゴン、テピョン、ヌンサン、ポク・チギョム、ペ・ヒョンギョン、ホン・ユ、ファン・ソンギル、チャン・イル。クンイェ軍の指揮官はクンイェ、ウンブ、クムデ。
- 決起したワン・ゴン軍は、まず鉄円の皇宮の接収に向かった。手薄な北門側の経路にペ・ヒョンギョン、ホン・ユらを向かわせ、本隊は皇宮へ向かった。ワン・ゴンの叛旗を知ったクンイェは内軍に連れられ、北門からの脱出を図る。しかし、ワン・ゴン側に寝返ったチャン・イルによって妨げられる。北門からの脱出を断念したクンイェは、裏門から脱出する。ワン・ゴンはチャン・イルやチェ・ウンの手引きで抵抗もなく、皇宮へ入城する。逃れたクンイェは溟州を目指すが、待ち構えたホン・ユ、ペ・ヒョンギョンに阻まれ、鳴声山に追い込まれてしまう。翌日、鳴声山にやってきたワン・ゴンに、クンイェは酒を酌み交わしたいと申し出る。ワン・ゴンはクンイェの元へ出向き、酒を酌み交わす。その後、既に死を決意していたクンイェはウンブに首を討たせた。クンイェを斬ったウンブは、クムデに斬られ、クムデは自害して果てた。
- 被害はワン・ゴン軍不明、クンイェ軍はクンイェ、ウンブ、クムデが自害、その他は不明。
- この戦いの勝利により、ワン・ゴンは権力を掌握し、即位して高麗を建国する。
[編集] ソンジャンの乱
- ソンジャンの乱(そんじゃんのらん)は、反乱を起こしたソンジャン軍とこれを鎮圧しようとした高麗軍の戦い。高麗建国後、高麗に反感を持っていた清州の豪族ソンジャンは、反乱を起こした。2千以上の兵で、清州官庁を占拠し、皇都・鉄円に向かう動きを見せた。これに対し、高麗は武力による鎮圧を決めた。
- ソンジャン軍の指揮官はソンジャン、チンソン。高麗軍の指揮官はユ・グムピル、ホン・ユ。兵力はソンジャン軍不明、高麗軍不明。
[編集] 西暦927年
[編集] 大耶城の戦い(927年)
[編集] 龍州城の戦い
- 龍州城の戦い(ヨンジュソンの戦い)は龍州城を攻める高麗軍と守る後百済軍との戦い。場所は龍州城(現在の慶尚北道醴泉郡)。大耶城が落城したのを知った龍州城の後百済軍は対応を協議した。パク・ヨンギュ、チェ・ピルは救援に賛成し、軍師のチョンフンは救援に反対する。太子のクムガンは、兄のシンゴムを救援するために出陣する。龍州城にいる5千の兵のうち、3千はクムガン・パク・ヨンギュ、チョンフンが率いてシンゴム救援に向かい、2千はキム・チョン、チェ・ピルが率いて龍州城を守ることになった。
- 高麗軍の指揮官はシン・スンギョム、ペ・ヒョンギョン、ホン・ユ、ヨムサン、ユン・シンダル、ワン・チュン。後百済軍の指揮官はクムガン、パク・ヨンギュ、チョンフン、キム・チョン、チェ・ピル。兵力は高麗軍5千、後百済軍5千。
- 高麗軍は兵部令のチェ・ウンから、大耶城が落城した場合、龍州城攻撃を遅らせるよう命令を受けていた。大耶城が落城すれば、龍州城の後百済軍は救援に向かうとの考えからだった。高麗軍はペ・ヒョンギョン、ホン・ユ、ワン・チュンが2千を率いて、南の川辺に伏兵して後百済軍を待ち受ける。シン・スンギョム、ヨムサン、ユン・シンダルらが3千の兵を率いて龍州城を攻めることになった。ヨムサンが先鋒、ユン・シンダルが後方でヨムサンを支援して龍州城を攻めた。洛東江・及城川で伏兵していた高麗軍は、クムガン軍がやってくると火矢・丸太で退路を塞いで攻撃した。さらにホン・ユはクムガンを捕らえようと追撃を仕掛ける。クムガン軍は残兵が数百に満たぬまで討ち減らされた。クムガンは龍州城に退却しようとするが、龍州城はすでに落城していた。キム・チョン、チェ・ピルらが逃れてクムガンらに合流し、やむなくクムガンらはシンゴム軍に合流する。
- 被害は高麗軍不明、新羅軍不明。
- この戦いの勝利により、高麗は龍州城を手に入れた。
[編集] 高鬱府城の戦い
- 高鬱府城の戦い(コウリョンソンのたたかい)は徐羅伐制圧を目指す後百済軍とこれに抵抗した新羅軍との戦い。場所は高鬱府城(現在の慶尚北道永川市)。後百済派の内応により、隠密裏に新羅国内に進軍した後百済軍は高鬱府城へと至った。不意を突かれた新羅軍は動揺した。一刻も早く徐羅伐に向かいたいキョンフォンは、降伏を勧告するが、城主は抗戦を決意し、これを拒否する。
- 後百済軍の指揮官はキョンフォン、チェ・スンウ、エスル、シンドク、サングィ、ソダル。後百済軍は1万、新羅軍は1千。
- 後百済軍はサングィを先鋒として攻撃を開始した。その後、早期に戦闘を終了させたいキョンフォンは、エスルとシンドクの両将軍にサングィの左右を支援させた。やがて後百済軍は城門を突破し、サングィ軍は城壁を登って城内に侵入した。城内に侵入を許した新羅軍は逃亡兵が相次ぎ、高鬱府城は落城する。城主はキョンフォンから降伏を勧められるが、城主は拒否してキョンフォンに斬りかかる。しかし、エスルとシンドクによって城主は討ち取られる。この後の月城の戦い時、新羅軍に対し、エスルは高鬱府城は2刻で落ちたと言っている。
- この戦いの勝利により、後百済軍は徐羅伐への第一関門を突破し、次の関門である月城へ向かった。
[編集] 月城の戦い
徐羅伐制圧を目指す後百済軍とこれに抵抗した新羅軍との戦い。親後百済派の内応により、徐羅伐までやってきた後百済軍は月城を守るキム・ユルに降伏を勧告する。しかし、死を決意していたキム・ユルはこれを拒否する。
後百済軍の指揮官はキョンフォン、チェ・スンウ、エスル、シンドク、サングィ、ソダル。新羅軍の指揮官はキム・ユル。兵力は後百済軍1万、新羅軍5百。
新羅軍は決死の覚悟で防戦に努め、後百済軍を防いでいたが、兵力に勝る後百済軍が徐々に圧倒しはじめる。やがて城門が破られ、キム・ユルは高櫓に上り、新羅軍を奮起させるため、太鼓を叩き続ける。高櫓に火が回り、自身が火に包まれてもキム・ユルは焼死するまで太鼓を叩き続けた。月城を守備していた新羅軍は全滅し、後百済軍は徐羅伐に入城した。
この戦いの勝利により、後百済軍は徐羅伐へと入城ができた。後百済軍は、皇宮に侵入して景哀王を捕らえて自害させ、高麗派を一掃した。その後、キョンフォンは敬順王を即位させて、新羅を支配下に置くことに成功する。
[編集] 公山の戦い
- 公山の戦い(コンサンのたたかい)は新羅救援に向かった高麗軍と迎撃する後百済軍の戦い。戦場は公山(現在の慶尚北道大邱広域市東区八公山自然公園)。後百済軍の徐羅伐侵攻を知ったワン・ゴンは、救援のために松嶽から5千を率いて徐羅伐へ向かう。さらに大耶城のシン・スンギョムらも5千を率いて徐羅伐に向かった。ワン・ゴンが徐羅伐に向かうことを予期していた後百済の軍師チェ・スンウは、徐羅伐の途上にある公山に兵を伏せて、これを待ち受ける。
- 高麗軍の指揮官はワン・ゴン、シン・スンギョム、ポク・チギョム、キム・ラク、キム・オン、チョン・イガプ、チョン・ウィガプ、パク・スムン、パク・スギョン、シンバン。後百済軍の指揮官はキョン・フォン、チェ・スンウ、エスル、シンドク、サングィ、ソダル。兵力は高麗軍1万、後百済軍1万。
- 後百済軍は公山に偽の陣営を築き、高麗軍を誘引する。高麗軍は公山に偵察兵を幾度も送り、異常がないことを確認した。これを聞いたワン・ゴンは、後百済軍はまだ徐羅伐にいると判断し、公山に陣営を敷いた。ワン・ゴンはポク・チギョムの進言に従い、軍を2手に分けた。川岸にシンバン率いる第1軍を置き、ワン・ゴン率いる第2軍を公山に配置した。連日の急行軍で疲弊していた高麗軍は兵を休養させていた。これを見た後百済軍のエスル、ソダルは川岸の高麗軍に夜襲を仕掛けた。油断していた高麗軍は成す術もなく、第1軍はシンバンが戦死するなど壊滅状態になる。ワン・ゴン自ら救援に向かい、一騎打ちでエスルに手傷を負わせ、後百済軍を撃退させる。しかし、ワン・ゴンが率いた5千のうち、3千が戦死、1千が負傷して戦闘不能となり、残兵が1千しかない状態で四方を包囲されてしまう。
- シン・スンギョム軍も公山のワン・ゴンに合流するため行軍していたが、途中の桐藪で伏せていたシンドクによって退路を立たれる。シン・スンギョム軍は進軍してワン・ゴン軍との合流を果たす。高麗軍は公山で後百済軍に包囲された形になり、2手に分かれて包囲網を突破することにした。第1軍はシン・スンギョム、キム・オン、パク・スムン、パク・スギョンが率い、最前線に立って正面突破を図り、第2軍はワン・ゴン、ポク・チギョム、キム・ラク、チョン・イガプ、チョン・ウィガプらが率い、後方で機会を窺いながら包囲を突破する作戦を採る。第1軍は後百済軍のエスル、サングィ、ソダルと戦った。第1軍は奮闘するが、次々と増援されていく後百済軍に徐々に押され、包囲されてしまう。キム・オンはエスルとの一騎打ちに敗れて戦死し、第1軍は追い詰められる。第2軍は後方からの脱出を狙って進軍するが、途中の峡谷に潜んでいたシンドク率いる5千の兵が立ちふさがる。シンドクは火矢・丸太・火砲をもって第2軍を妨害する。第2軍は一方的にやられ、撤退する。後百済軍は一旦退却し、第1軍と第2軍は再び合流して本陣へと戻った。この戦いで高麗軍の残兵は2千を割ってしまう。進退窮まった高麗軍は、シン・スンギョムがワン・ゴンの鎧を着て、ワン・ゴンの馬に乗って後百済軍の注意を引き付けている間に、ワン・ゴンは雑兵に変装して脱出するという作戦を立てた。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年9月16日 (水) 00:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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