太閤記 (NHK大河ドラマ)

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太閤記』(たいこうき)は、1965年1月3日から12月26日NHKで放送された3作目の大河ドラマ。原作は吉川英治の小説『新書太閤記』。主演には緒形拳が抜擢され、人気を博した。また、高橋幸治演じる織田信長にも人気が集まり、「信長を殺さないで」という投書がNHKに殺到し、本能寺の変の放送回が延期されたという逸話がある。平均視聴率は31.2%、最高視聴率は39.7%を記録した(ビデオリサーチ調べ・関東地区)。大河ドラマが初めて日曜午後8時台の放送となった作品でもある。

目次

[編集] 概要

当時、新大型時代劇と呼称された大河ドラマは2作で終わるはずだったが、「せっかくだから新人だけで、もう1作だけ作ろう」ということになり、この作品はスター総出演の前2作とはガラリと変わって、新人を抜擢してのキャスティングとなった。

主演の緒形拳は、「新国劇サルに似たヤツがいる」という噂を聞きつけたスタッフによる抜擢だったが、前作『赤穂浪士』のスタッフだった大原誠は既に注目していて、吉田沢右衛門役に出演交渉していたが、舞台の都合で断られていた。信長役の高橋幸治は、初対面で吉田直哉の前に現れた際、舞台出演のために金髪だったが、会った瞬間にはまり役だと確信したという。しかし、スタッフには信長役も新人俳優にすることを不安視する声があり、吉田が会議に連れていった。その際、高橋が大声で「信長です、よろしく」と挨拶し、スタッフはびっくりしたのち万雷の拍手になった。これで信長役に決まったという(この「緒形秀吉」と「高橋信長」のコンビは13年後の大河ドラマ『黄金の日日』で復活した)。三成役の石坂浩二も当時は大学生だったが、前2作において脇役として出演していた[1]

新人を登用したため、人件費が大幅に削減され、その分、大規模な合戦ロケに回すことができ、那須での桶狭間合戦ロケ、NHK世田谷グラウンドに本能寺オープンセットを建て、ヘリコプターによる撮影を行うなどスケールの大きな画面作りに寄与した。

劇中、秀吉は「サル」と呼ばれ、回によっては秀吉が登場しないときもあり、そういう回では最後に「その頃、サルは備中高松の陣で」などとナレーションが入って終わるケースもあり、これも新人登用のドラマだったからできた芸当であった。

ドラマの骨子は、秀吉とねねの夫婦愛を描いたもので、中国戦線の秀吉が慰問する場面などがあり、その反面、秀吉初恋の人であるお市の方は3回しか登場せず、お市役の岸惠子は、居住地のパリから数日来日しただけで収録を済ませた。

また、淀殿と秀頼は最終回、彼女が秀頼の手を引いて大坂城の廊下を歩くシーンで唐突に初めて現れ「既成事実」として扱われている。

冒頭に新幹線が走るシーンでは「教育テレビと混信した」という視聴者からの電話が相次いだという。時代劇で現代の映像を使用した事は、当時極めて稀だったためである。

「石垣の組み方」など劇中、解説のシーンがあったが、これは演出の吉田直哉がラブシーンを苦手としていたものの、「もっと、しっとりラブシーン撮りはったほうがよろしいわ」と脚本の茂木草介が台本の書き足しを拒否したため、苦肉の策として導入されたものであり、この解説シーンのため「社会科ドラマ」の異名をとった。

大河ドラマ殺陣指導を行っている林邦史朗はこの作品で初めて殺陣指導を行った。

なおこの太閤記以降、現在に至るまでNHK日曜日午後8時台は大河ドラマ枠となっている。また当初は前述のようにこの作品で打ち切りにする予定であったが、方針変更により第4作目以降の大河ドラマも制作されるようになった。

[編集] スタッフ

[編集] キャスト

本作では「のう」ではなく「こい」と発音。

[編集] 放送

放送回 放送日
第1話 1965年1月3日 孤猿の春
第2話 1965年1月10日 京の針
第3話 1965年1月17日 天文群雄
第4話 1965年1月24日 わが君
第5話 1965年1月31日 閑日月
第6話 1965年2月7日 秋の嵐
第7話 1965年2月14日 三日普請
第8話 1965年2月21日 死のうは一定
第9話 1965年2月28日 聟の君
第10話 1965年3月7日 洲股築城
第11話 1965年3月14日 母の駕籠
第12話 1965年3月21日 竿頭一瓢
第13話 1965年3月28日 伊勢軍功帳
第14話 1965年4月4日 堺町人
第15話 1965年4月11日 琴線
第16話 1965年4月18日 動中の静
第17話 1965年4月25日 四面楚歌
第18話 1965年5月2日 時々刻々
第19話 1965年5月9日 旧閣瓦解
第20話 1965年5月16日
第21話 1965年5月23日 花の輪
第22話 1965年5月30日 援軍三万八千
第23話 1965年6月6日 長篠
第24話 1965年6月13日 湖南湖北
第25話 1965年6月20日
第26話 1965年6月27日 中国入り
第27話 1965年7月4日 苦境
第28話 1965年7月11日 誓紙
第29話 1965年7月18日 南蛮寺
第30話 1965年7月25日 官兵衛救出
第31話 1965年8月1日 秋風平井山
第32話 1965年8月8日 明暗
第33話 1965年8月15日 機微
第34話 1965年8月22日 若獅子
第35話 1965年8月29日 埋言
第36話 1965年9月5日 大気者
第37話 1965年9月12日 春騒譜
第38話 1965年9月19日 身命考
第39話 1965年9月26日 岐路
第40話 1965年10月3日 心闇
第41話 1965年10月10日 老の坂
第42話 1965年10月17日 本能寺
第43話 1965年10月24日 墳涙
第44話 1965年10月31日 悲歌
第45話 1965年11月7日 折鶴
第46話 1965年11月14日 賎ヶ嶽前後
第47話 1965年11月21日 大願
第48話 1965年11月28日 心と形
第49話 1965年12月5日 天下人
第50話 1965年12月12日 世継ぎ
第51話 1965年12月19日 凡愚の情
最終話 1965年12月26日 夢のまた夢
平均視聴率 31.2%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)

[編集] 総集編

[編集] 映像の現存状況

本能寺の変を題材にした第42話「本能寺」が現存している。テレビ開局記念番組での石田三成役の石坂浩二のコメントによると、この回は室内で火を焚くことが出来ず、フィルムで撮影したため残ったとの事だが、実際に保管されている媒体は放送局用ビデオテープ2インチVTR)である[2]。いずれにしても、放送局用ビデオテープが非常に高価で大型だった時代でもあり、テープは放送終了後に消去されて他の番組に利用された為、本番組の素材も殆ど消去されたものの、第42話は当時話題を呼んだ回でもあり、NHKとして保管資料として残したと考えられる。

そのため全話の再放送および全話収録の完全版の販売は絶望的であるが、現存している第42話「本能寺」は『NHK想い出倶楽部2~黎明期の大河ドラマ編~(3)太閤記』としてDVD販売されている。当時、普及型家庭用ビデオデッキは存在せず、テープの経年劣化も考えると、視聴者が録画して現在まで保存している可能性は低く放送回の映像が民間から発見される可能性はほとんどない。

[編集] 注釈

  1. ^ 石坂は本作出演に際し大学に、「大学を留年してもNHKのせいにしない」という誓約書を提出したというエピソードが残っている。
  2. ^ 映像を見ると、火を扱う場面のある本能寺のセットや屋外の場面では、全てフィルムで撮影されているが、それ以外の箇所はVTRで撮影されている
NHK 大河ドラマ
前番組 番組名 次番組
太閤記
NHK 日曜20時台
太閤記
(この番組より大河ドラマ枠に変更となる)
源義経

最終更新 2009年10月15日 (木) 12:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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