太陽神戸銀行

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太陽神戸銀行のデータ
英名 Taiyo Kobe Bank
統一金融機関コード 0014
代表者氏名 松下康雄頭取:)
店舗数 374
日本国内363店
日本国外11点
従業員数 12,931名
総資産 24兆1341億円
貸出金残高 15兆976億円
預金残高 17兆1863億円
設立日 1936年
所在地
〒650
電話番号 078-331-8101(代表)
特記事項:
1989年のデータ
  
太陽神戸銀行本店(撮影時はさくら銀行神戸営業部)。現在は、三井住友銀行神戸営業部。

太陽神戸銀行(たいようこうべぎんこう Taiyo-Kobe Bank Limited.)は、かつて存在した都市銀行。現在の三井住友銀行の前身の一つ。

目次

[編集] 概要

都市銀行の神戸銀行太陽銀行(日本相互銀行が都市銀行に転換して誕生した銀行)が1973年10月1日に合併して誕生(存続会社は神戸銀行)。統一金融機関コードは神戸銀行を継承して0014。1990年4月1日三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行となった(存続会社は三井銀行。後にさくら銀行と改名。以後、特段の断りがある場合を除き、太陽神戸三井銀行時代を含めて「さくら銀行」と記述する)。兵庫県および神戸市指定金融機関であり、それは三井住友銀行にも受け継がれている。

本店は神戸市中央区(旧神戸銀行本店。現:三井住友銀行神戸営業部)の旧居留地地区にあったが、実質的な本社機能は「神戸本部」と「東京本部」の2本部制で、旧神戸銀行本店を神戸本部、旧太陽銀行本店を東京本部とした(それぞれ、本店営業部、東京営業部を設置)。東京本部は、後に千代田区九段南に高層ビルを新築して移転し、移転後の旧東京本部(旧東京営業部)は東京中央支店となった。神戸本部も、1987年に高層ビルに改築(東京本部とは違い、移転はせずに同じ地で改築)された。

旧太陽銀行は東京の無尽会社、旧神戸銀行は兵庫県内の銀行をそれぞれ合併した銀行であったため、両行とも規模に比して非常に多くの店舗を持っていた。また合併後も旧太陽・旧神戸の対立が根強く、三井銀行と合併するまで、ついにプロパーの頭取を出せなかった(歴代すべての頭取が大蔵省からの天下りだった。ただしこれは、太陽神戸になってからの話ではなく、神戸銀行最後の頭取石野信一、太陽銀行の頭取河野一之も、大蔵省出身であった。太陽と神戸の合併は、大蔵省出身の2人だったからこそ実現したとも言われるほどであった)。ただし、三井銀行との合併後の1994年6月には、旧神戸銀行出身の橋本俊作がさくら銀行頭取に就任している。

発足時に制定された行章は、赤い丸で太陽を表し、中の白い部分は神戸の“K”を表すとともに、それを(無限大)型にすることで「港町・神戸の無限なる発展」を表現したもので、デザイナーは大橋正である。また一般向けのキャッチフレーズは「ひろげましょう ほほえみの輪を」だった。

[編集] 前身行

[編集] 旧神戸銀行

神戸銀行参照

[編集] 旧太陽銀行

太陽銀行参照

[編集] さらなる合併

※詳細はさくら銀行三井住友銀行の各項目を参照

[編集] 合併後の店舗の様子

太陽神戸銀行本店はさくら銀行神戸営業部(関西本部)→三井住友銀行神戸営業部(神戸本部)として現存している一方、東京営業部はさくら銀行本店営業部→三井住友銀行九段営業部を経て三井住友銀行本店(旧三井銀行本店)に統合されて消滅した(当時の建物は、現在あおぞら銀行本店となっている)。三井との合併後、旧太陽銀行系の小規模店舗はあさひ銀行への営業譲渡や統廃合で閉鎖され、兵庫県内の不採算店舗はみなと銀行へ譲渡されている。

さらに、住友銀行さくら銀行の合併後、太陽神戸の東京営業部は前述のように消滅し、旧太陽の本店だった東京中央支店は名前こそ残ったものの実質上は旧住友の日本橋中央支店に統合されてしまった。現在でも残っている旧太陽神戸の本店クラスの店舗は、神戸本部だった三井住友銀行神戸営業部のみである。みなと銀行を子会社化し、かつ、住友銀行との合併後は近隣の大阪にも本店クラスの店舗があるにもかかわらず、今もなお神戸に本店クラスの店舗を維持しているのは、岡崎財閥の時代から年月を経た今でも、神戸には、全国ないし世界に事業展開している(地方銀行であるみなと銀行が取引するよりも、全国ならびに世界に店舗を持つメガバンクが取引するのがふさわしい)取引先企業が多いことを意味していると考えられる。

また、三井住友銀行となった現在でも兵庫県内における重複店のほとんどが、旧神戸系店舗が店名を維持し旧三井・住友系の近隣店を吸収している。太陽系の店舗においては、都道府県所在地名を店舗に限れば、前身他行が未出店であった、前橋・甲府・長野各支店等である。

[編集] エピソード

  • 旧・神戸銀行時代から、小学館の学習雑誌「小学一年生」の裏表紙に広告が掲載されていた。神戸銀行時代の児童向けキャッチフレーズは「ぼくもわたしもこうべぎんこう」。太陽神戸三井銀行~さくら銀行になってからも数年間は継続していた模様)。1981年に開催されたポートピア'81に出展したパビリオン「神戸プラネタリウムシアター」でも、小学館が同行取引先の一員として協賛企業に参加していた。
  • ATMが登場しキャッシュカードが発行された最初期は、「キャッシュカード」は「ハンディカード」と呼ばれていた。
  • 演歌歌手の香西かおりが一時期同行で勤務していたこともある。

[編集] 関連項目

  • 華麗なる一族…この小説に出てくる阪神特殊鋼は1965年の山陽特殊製鋼倒産事件をモデルにしたと言われており、また、阪神銀行(架空)は神戸銀行をモデルにしたといわれている。そして、この小説の阪神銀行頭取の万俵大介を始めとする万俵一族のモデルは岡崎財閥だとされている。
    • 小説中では阪神銀行のオーナー頭取である万俵大介が策略を巡らし阪神特殊鋼倒産をきっかけに大同銀行との“小が大を飲み込む”合併を行っている。しかし現実では山陽特殊製鋼倒産事件をきっかけ神戸銀行の経営体質が問題視され、1967年、それまで20年間オーナー頭取として君臨していた岡崎忠は会長に退き、神戸出身の元大蔵事務次官・石野信一が就任した。その後、1973年に石野の先輩である元大蔵事務次官・河野一之が頭取を務める太陽銀行と合併している。銀行の行く末を決定したのは、オーナー頭取ではなく金融再編を考えた2人の元大蔵次官であった。
    • なお、現実の銀行合併(1973年)は小説発表(1970年3月より1972年10月まで週刊新潮に連載)より後である。また、小説中の“貯蓄銀行より都市銀行へ転換し、歴代頭取は日銀天下り”である大同銀行のモデルは、太陽銀行(小説中では太平銀行となっている)ではなく協和銀行をモデルとしている。

最終更新 2009年9月12日 (土) 02:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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