奇門遁甲

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奇門遁甲とは、現在では五術と呼ばれる術数に組み込まれた占術と考えられているが、歴史的には『遁甲式』といい、『雷公式』・『六壬式』・『太乙式』と並んで四式と称され、その正式名を『式占』という非常に成立年代の古い術数である。伝説によれば、黄帝が作り、それを太公望呂尚が改編したとされ、後に漢の張良が完成させ、「三国志」で有名な蜀の諸葛亮(孔明)なども使用したとされるが、詳しいことは不明である。ただ確かなことは、この『式占』がやがて日本に伝わり、「陰陽道」が成立をみたことである。もともと、「遁甲」は兵法の一つだとも云われているが、先の諸葛亮が使用した方術は現存の文献である『孔明八陣の図』等から推察すると、軍事的には主として陣地を築くための技術だったのではないかと考えられている。

「四式」とは『式盤』上に、中央の「太極」に四象の『雷公式』を配し、その周りに「天式」として天干の遁甲式を配し、次に「地式」として地支の六壬式を配し、次に「人式」として神人(皇帝)の太乙式を配する。これにより、「太極・天・地・人」、つまり「太極」「天時」「地利」「人和」が揃う、完成された術数という意味を持っている。

また、今日いうところの五術とは「命・卜・相・医・山」の総称であり、明代以降に独立した占術として扱われるようになった奇門遁甲の名においても、奇門命理、奇門占卜、奇門方位、奇門風水、奇門面掌(人相)、奇門名相(姓名学)、奇門方剤(漢方)など、応用範囲が広い術数として発展をみている。

「遁甲」について解説した最古の文献は、唐代の作とされる『陰符経註』や『神機制敵太白陰経』等である。これ以前とされる文献も含めて、すべての遁甲書には『式占』の影響が見出せる。


目次

[編集] 日本の奇門遁甲

日本に伝わる奇門遁甲(きもんとんこう)は、古くは『遁甲式』(とんこうしき)という名で『式占』(しきせん/しょくせん)と呼ばれる方術の一つに数えられ、推古天皇の時に百済から伝来したとされている。 (1)『遁甲式』は、他の『式占』の(2)『太乙式』(たいいつしき)、(3)『六壬式』(りくじんしき)、(4)『雷公式』(らいこうしき)と合わせて『四式』(ししき/ししょく;中国名は「スーシ」)と呼ばれる「卜」(ぼく;ポー)占術の一つで、このうち『雷公式』は隋代と唐代の二度に亘って日本に輸入され、吉備真備(きびのまきび;695-775)が伝えたといわれる天文暦法の資料うち、陰陽道の秘書『金烏玉兎集』(きんうぎょくとしゅう)については『式占』の原典の誤りと思われる。なぜなら、吉備真備は張良(ちょうりょう;?-B.C.187)の『六韜三略』(りくとうさんりゃく)とその兵法を日本にもたらしたとも伝えられ、今日では日本の「兵法の祖」とも呼ばれているからである。後に、神道の『大祓』の祝詞にも見られるように『雷公式』は日本に定着をみたが、本家の朝鮮半島や中国大陸では残念なことに相次ぐ戦乱によって失われてしまった。 所謂、隋代の有名な陰陽書である『五行大義』を、清の時代になって日本に滞在していた大使が、その写本を得て帰国して時の皇帝に献じたとことろ、その褒美として大きな省の長官にまで抜擢されたことは大陸の歴史において有名な話である。中国大陸においては、この手の散逸した陰陽書の類が数多くあり、今日、『連山』(れんざん)と『帰蔵』(きぞう)の両易の考古学上の発見による成果は、その一例として挙げることができる。

先に挙げた『四式』のうちの「雷公式」はというと、日本の神道と陰陽道に伝わり、神道に伝わったものは『天津金奈木』(あまつかなぎ)と言い、一部では『太麻尼』(ふとまに;「太占」とも表記)と呼ばれることもあるが、一般に知られている「亀甲」と同種の占いとは全く別のもので暦法によって他の「三式占」を繋ぐためのものであることは言うまでもない。 近代の歴史上の出来事としては、「不敬事件」によって弾圧された大本教の出口王仁三郎がこの神道系の『雷公式』をめぐって他の神道家と、その真伝の争奪戦を演じたことは記憶に新しい。一方、陰陽道に伝えられた『雷公式』はというと、陰陽道の衰退と共に民間に流伝し、その一方でライバルでもあった宿曜道(すくようどう)に取り入れられた。現代の密教占星術の占法の一つに『風雷古法』(ふうらいこほう)の名があるのは、その名残りではないかと見られている。 それ故、悲しいことに現代においては、プロの方々にでさえも「『式占』(しきせん/しょくせん)は四種類ではなく三種類である」と誤解されるに至っている。 このうち遁甲式は、現代の日本では方位を使った開運術と考えられているが、汎用性をもって他の式占術と同じく時刻を占機としての出来事の成否をはじめ、失せ物が出るか出ないかといった様々な事柄を占うのにも使用されている。

奇門遁甲について解説した最古の文献は、中国代に李筌によって編纂された張良の口訣を伝える『陰符経註』や、兵書の神機制敵太白陰經(以下、『太白陰経』と呼ぶ。)に付けられた『巻九遁甲巻』であるが、いずれも写本や版本なので今後の文献学的な検証が必要である。『太白陰経遁甲巻』で解説されている奇門遁甲は、作盤方法において現代に伝わる『活盤』式の作盤方法とほとんど同じである。 『太白陰経』の奇門遁甲では、1刻(2時間)を対象としたいわゆる時盤のみが解説されている。

公伝は、西暦602年(推古10年10月)、百済の僧 観勒が天文、遁甲、暦書を伝えたのが最初(「日本書紀」)。民間ベースではそれ以前にも色々な種類のものが伝来していた可能性がある。

江戸時代の栗原信充の「遁甲提要」によれば、観勒が伝えてから、大友村主高聡、浄蔵法師が学び、後に磁岳朝臣川人が学んで新術遁甲書二巻を書いたとあるが、伝わっていない。栗原氏の書では足利学校に伝わったとしている[1]。 栗原説では、日本に伝わったのは今日多く知られる符使式のものと異なり、史記で述べている旋式という種類のものだろうとされている。 所謂、飛鳥時代に天武天皇(?-686)が天文・遁甲なる術を使用されたことが伝わっており、これが遁甲式の一種だろうと推測され、大友村主高聡の系統で学んだらしいと一説に云われる。他には、今日でいうところの静の座盤(旋式の一種)ではなかったかとも云われる(内藤説)。

それ以外は、歴史の表舞台に登場したことがほとんどない。

隋の文帝のとき(581-604)行政上、軍事上の理由から発禁され、それにならい日本でも「養老令」(職制律、雑令)で禁じた(太一、遁甲)(制定718年、施行757年)。 但し、禁止は表面上であり、命脈は伝わっていたと思われる。 他に、日本独自に発達した兵法(ひょうほう)が存在して、遁甲術は一部姿を変えてそれらに包摂されたものの、武術としても伝わっている。戦国時代においては、日本兵法が戦国大名により盛んにもちいられた。 日本兵法では、俗に「軍扇の秘伝」(ぐんおおぎのひでん)ともいわれ、原理的には奇門遁甲とは別の方術と見ることが出来る。

近世、江戸時代には明代・清代の遁甲書が多数輸入されて研究の対象となり、この時代に遁甲術を直接伝えた人物もいたであろうと推察される。「奇門大全」という書が存在したと云われるが、現存せず、内容は不明である。 また、牢人で軍学者の由井正雪(ゆいしょうせつ;1605-1651)が慶安の変(1651)を起こした際、軍学の一部として遁甲方術を応用したとも云われるが、これについても真偽は不明である。

明治・大正時代になると、栗原信充著「遁甲提要」「遁甲儀」「遁甲譚」、多田鳴鳳著「八門遁甲秘録」、松浦琴鶴著「奇門秘録」、立川小兵衛著「遁甲奇門」、村田徽典「八門遁甲或問鈔」、犬山龍叟著「八門遁甲陰陽発秘」、柄澤照覺著「八門遁甲秘伝」、陽新堂主人著「八門遁甲天書」(四季の書)四巻・「金龍縄張築城秘伝」乾坤二巻等々が発刊された。

かわって太平洋戦争後には、張耀文氏を掌門とする台湾透派の奇門遁甲が昭和35年以降、内藤文穏氏に伝えられ、透派奇門遁甲自体も出版物、講習を通じて流布した。 内藤氏の遁甲は、中村文聡氏の気学、透派奇門遁甲を出発点としつつも数十年の研究を経て独自の理論的進化を遂げ、太古の「旋式遁甲」を復元した。 他に著書として「奇門遁甲金函玉鏡」、「奇門遁甲真義」・「奇門遁甲奥義」・「奇門遁甲秘義」(機関紙の合本)等がある。

また、昭和40年代以降、命理(子平)と連携させて応用する奇門遁甲が故武田考玄氏により創始されたが、これは個人差を重視した用法が特色である。

この内藤氏と武田氏の奇門遁甲には、昨今話題となる中国・台湾の流派や原書研究の流派とは一線を画く特色がある。それは内藤・武田両氏の遁甲が八方位の角度が30度と60度によって構成されるのに対して、後者は各45度の均等な八方位となっている。

このようにして現代日本の奇門遁甲を大別してみるならば、(1)内藤氏と武田氏の理論派、(2)透派、(3)原書研究派、(4)その他(独自派)に分類されると云える。

[編集] 注記

  1. ^ 明治9年頃に散逸した可能性も否定しきれない。

[編集] 門派の奇門遁甲

明澄透派十三代掌門張耀文張明澄)が1966年に台湾で発表した『奇門遁甲天書評註』『奇門遁甲地書評註』『陽宅遁甲図評註』(いずれも台湾五術書局)などの奇門遁甲書は、戦前の日本を除けば世界で初の奇門遁甲解説書であり、それまで台湾には奇門遁甲の作盤法や使用方法について、一般の人々に理解できるように書かれた書物は一冊もなかった。

張耀文の奇門遁甲書は、台湾で一大奇門遁甲ブームを巻き起こし、内容を真似たり、改変した書物、海賊版などが次々に出版され、やがて、香港、日本、大陸他でも同様の現象が起きている。

現在、日本を含む世界中で行われている奇門遁甲のほとんどは、張耀文奇門遁甲書をベースにしたものか、又はアレンジしたものと考えられ、少なくとも影響を受けていないものは皆無と言っても良いと思われる。 また、今日の日本において、張耀文奇門遁甲を特殊、異端などとする向きもあるが、これは本末転倒というべきである。

奇門遁甲のような五術の技法を実際に伝承したのは明澄透派のような門派と呼ばれる集団である。門派とは単なる売占者の集団ではなく、有力者の参謀として、また手足となって働く一種の私兵集団である。

奇門遁甲は擬似科学による当時の軍事的技術を含むため、公には国家機密扱いとされたのにも関わらず、記録上は、明朝時代に多くの奇門遁甲書が出版されるという奇妙な現象がある。ただし現存するそれらの書物はどのようにでも理解できるものばかりの上、現在では目録に記載されている書物のほとんどは散逸している。

張耀文が公開した『奇門遁甲天地書』は、奇門遁甲史上唯一公開された門派に伝わるテキストであり、古典と言われるテキストと異なる部分があったとすれば、長期間に渡って実際に使用した結果が反映されたものと考えるべきであるし、古典といっても、もともとあまり確かな書物は伝わっていないことにも留意すべきである。

張耀文の奇門遁甲には「立向盤」と「坐山盤」というものがあるが、これは、それぞれ「天書派」と「地書派」という、別々の作盤法を使い分けるために区別するものである。張耀文明澄透派のように両方の盤を使い分ける門派は珍しく、台湾に残った奇門遁甲の門派は、ほとんどが「地書派」だという。 ただし、そのような門派で表立って名乗りを挙げたものは皆無であり、そのまま消え去りつつある。

奇門遁甲は、一応、非常に古い時代に成立した術数と言われていて、現在の中国や台湾では太乙神数(たいおつしんすう)、六壬神課(りくじんしんか)と合わせて「三式」(さんしき;中国名を「サンシ」)という。なかでも「奇門遁甲」は「地式」であり「地利」と言う条件に優れているとされる。つまり「風水」の「巒頭」や「動土」に使うと効果がより大きく、身の移動にはそれほど効果的ではないため、「坐山」を重視する「地書派」のほうが主流となる。ただし「天書派」も「地書派」も「立向盤」「坐山盤」という盤の使い分けはないものの、同じ盤で「立向」や「坐山」に準じた使い方もできるから、運用上の支障があるわけではない。

明澄透派以外には奇門遁甲を表看板にした門派はあまり見当たらないが、玄空派は奇門遁甲から発展した風水の門派として知られる。近年日本で出版された奇門遁甲解説書の中には、玄空派を奇門遁甲の門派としているものがあるが、これは必ずしも正しいとはいえない。 玄空派の祖とされる蒋大鴻(1616-1714)の『地理辨正』を注釈した『地理辨正折義』に、蒋大鴻の高名な弟子である姜堯章による注釈があり、中でも『都天寶照経』中篇巻四に「 天有三奇地六儀,天有九星地九宮,十二地支天干十,幹屬陽兮支屬陰」「蓋奇門主地;從洛書來,與地理大卦,同出一原」とあり、玄空派の風水理論が奇門遁甲を「主地」として発展したものとわかる。また「天有九星地九宮」とあることから、当時から奇門遁甲には「九星」と「九宮」が使われていたことが明らかになっている。 近年日本で出版された奇門遁甲解説書の中に「本来の標準的な中国の奇門遁甲」では「立向盤」「坐山盤」というものはない、また「九宮」は使わない、とされているが、明らかな間違いである。

なお、内藤文穏によれば、玄空派は奇門遁甲の門派であり、独自の『奇門遁甲天書』を伝承する、というが、玄空派の風水理論が奇門遁甲を「主地」として独自に発展したものであることは、『地理辨正折義』により明らかである。

[編集] 年月日時盤の使い分け

張耀文によれば、奇門遁甲方位には、年盤、月盤、日盤、時盤、という区別があり、それぞれ使い道が異なるという。

なかでも重要なことは、一個人で使えるのは、時盤だけであり、日盤は一家、月盤は一群、年盤は一国以上の集団でなければ何の効果もないという。一家といっても、中国でいう一家は、現代の日本に見る核家族などと違い、数十人から百人程度はごく普通である。 また、立向つまり身の移動に使う場合、時盤なら一時(2時間)、日盤なら一日、月盤なら一月、年盤なら一年以上の時間を移動に費やさなければ、やはり効果がない。 さらに、応期というものがあり、目的地に着いてから、最低4時間以上経過しないと効果が現れないという。

奇門遁甲の門派に地書派が多く、天書派が少ないのは当然で、坐山に比べて立向は効果の出るための条件がはるかに面倒なものである。 たとえば交通事故などを奇門遁甲の凶方位で説明する向きもあるが、実際、2時間単位で変わる時盤で交通事故が起こるような凶方位が存在するとしたら、飛行機墜落などは日常茶飯事としなければならず、常識的に考えれば適当ではない。 門派の秘伝には、その遁甲の効果が出るケースと出ないケースの明確なロジックが存在すると言われている。

つまり、これまで日本で行われてきた現代学の奇門遁甲は、自称透派のものも含め、上のような認識は全く持っていないから、効果の出ないことばかりやってきたことになるかもしれない。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月23日 (月) 22:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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