奚
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奚(けい)とは、4世紀前後から蒙古高原から中国北部にあるラオハムレン(老哈河、遼河の源流)流域とシラムレン(遼河の支流)流域に存在していた北方遊牧民族のこと。
東胡の子孫とされ、言語も契丹と通じており、民族系統はモンゴル系ともテュルク系とツングース系との混血ともいわれるが、未だに定説はない。
主に、内モンゴルから大興安嶺山脈の麓で、牧畜・狩猟を生業としていた。4世紀ごろ東部鮮卑の宇文部の別種として歴史上に姿を現し、庫莫奚(こぼけい)と呼ばれた。宇文部が前燕に敗れると一時逼塞したが、華北が五胡十六国の戦乱で混乱すると、強盛となった。388年、北魏の道武帝に敗れて服属し、以後は北朝とのあいだに叛服を繰り返した。
隋代には、奚は5部に分かれて突厥に服属した。630年、唐が東突厥を滅ぼすと、奚族は饒楽都督府の管轄下に置かれ、奚の5部に対応して5つの州が置かれた。その首長は楼煩県公に封ぜられ、李姓を受けた。晩唐に契丹の勢力拡大に押された奚族の一部が嬀州に西遷したため、東奚・西奚に二分された。
耶律阿保機が契丹を建国すると、奚族は契丹に服属した。奚王府率いる奚族は、契丹の五院部・六院部・乙室部と並んで四大部を構成した。奚族から后族の蕭氏が出て、遼の歴代皇后を輩出している。
1122年、奚回離保が箭笴山で自立して、奚国皇帝を自称したが、わずか数ヶ月で金に滅ぼされた。遼の滅亡後、奚族の一部は耶律大石に従って西遷し、西遼の建国に参加した。金の領内に残った奚族は女真に同化し、あるいは漢族と同化したとみられる。西遼の奚族はしだいにイスラーム化していった。13世紀以降、奚族の民族的活動は史書に見られなくなった。

