奥原崇

奥原崇の最新ニュースをまとめて検索!

奥原崇
名前
愛称 オク、オックン
カタカナ オクハラ タカシ
ラテン文字 OKUHARA Takashi
基本情報
国籍 日本
生年月日 1972年7月31日(37歳)
出身地 東京都稲城市
身長 173cm
体重 60kg
選手情報
ポジション MF
利き足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1995-1998
1999
東京ガスFC
FC東京
48 (8)
7 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月1日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、東京都稲城市出身の元サッカー選手フットサル選手。2003年からサッカー指導者としてFC東京サッカースクールでコーチを務め、2008年からFC東京のトップチームコーチに就任。

目次

[編集] 略歴

堀越高校中央大学を経て1995年に東京ガス(現FC東京)に加入。プロ契約ではなく東京ガスの社員選手としてJFL時代の東京ガスサッカー部で活躍したファンタジスタ。入団1年目から1999年の引退時まで常に背番号10を背負っていた。大学時代にファウルを受けた際に膝を負傷し、その影響で東京ガス1年目をリハビリに費やし、以後もこの怪我との戦いになった。そのため出場試合数は多くはないが、スルーパスやボレーシュートに代表される攻撃センス溢れるプレイと、ポニーテールをなびかせた外見から「ロベルト・オク」、「東京のバッジョ」と呼ばれて愛された。

チームがFC東京としてJリーグ(J2)に加盟した1999年も、膝をかばう影響で腰などの状態も悪く、開幕からシーズン中盤戦を過ぎてもプレーできる状態にならなかったが、9月25日駒沢陸上競技場での大分トリニータ戦にて先発で10ヶ月ぶりに復帰を果たし、以後J1昇格をかけて戦うチームで奮闘。等々力での天王山となった川崎フロンターレ戦では華麗なボレーシュートで先制点を決めるなど印象に残るプレーを残したが、リーグ戦は年間7試合の出場にとどまり、膝の状態も考慮して翌年のJ1を戦うチームの構想に入らなかった事がフロントから奥原に伝えられ同年限りで現役を引退した。西が丘での天皇杯・初芝橋本高校との試合後の場内インタビューでサポーターに向け正式に引退表明し、天皇杯ジュビロ磐田戦が最後の試合となった。 その試合でも怪我の影響もあり途中交代となったが攻撃にアクセントをつけており、観戦していたドゥンガはこの試合の磐田の勝因に「東京の10番(奥原)が途中でベンチに下がった」ことを挙げた[1]。 その後は東京ガス本社に勤務しながら、アマチュアとして関東リーグのクラブでプレイし、かつてのチームメイトである岡元勇人とともに国体の東京都代表に選ばれ、また2001年にはフットサル選手として日本代表にも選出された。

2003年からはFC東京に復帰し、普及部コーチの"スクールマスター"として子供達の指導にあたり、指導者としてスタート。城福浩監督が就任し新体制となった2008年からトップチームコーチに就任。城福監督の補佐、選手とのパイプ役として尽力した。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1993 中大 0 0 - 2 0 2 0
1995 東京ガス 10 旧JFL 0 0 - 1 0 1 0
1996 東京ガス 10 旧JFL 18 2 - 0 0 18 2
1997 東京ガス 10 旧JFL 18 1 - 6 6 24 7
1998 東京ガス 10 旧JFL 12 5 - 3 0 15 5
1999 FC東京 10 J2 7 1 1 0 3 1 11 2
2000 エリース 関東 -
青梅 関東 -
2001 エリース 関東 -
2002 エリース 関東 -
通算 日本 J2 7 1 1 0 3 1 11 2
日本 旧JFL 48 8 - 10 6 58 14
日本 関東 -
日本 - - 2 0 2 0
総通算 0 0

[編集] 指導歴

  • 2003年 - 2007年:FC東京普及部コーチ
  • 2008年 - 現 在:FC東京トップチームコーチ

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月5日 (木) 00:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【奥原崇】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!