孝明帝
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| 孝明帝 拓跋詡 | ||
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| 北魏 | ||
| 9代皇帝 | ||
| 王朝 | 北魏 | |
| 在位期間 | 515年 - 528年 | |
| 姓・諱 | 元詡 | |
| 諡号 | 孝明皇帝(『魏書』) 文穆皇帝(『北史』) |
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| 廟号 | 粛宗 | |
| 生年 | 510年 | |
| 没年 | 528年 | |
| 父 | 宣武帝(第2子) | |
| 母 | 霊皇后胡充華 | |
| 陵墓 | 定陵 | |
| 年号 | 熙平 : 516年 - 518年 神亀 : 518年 - 520年 正光 : 520年 - 525年 孝昌 : 525年 - 527年 武泰 : 528年 |
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目次 |
[編集] 生涯
510年3月、洛陽の宣光殿の東北に生まれた。512年、皇太子に立てられた。515年1月、宣武帝が死去すると、北魏の皇帝として即位することとなった。幼年のため政治を執ることができず、はじめ高陽王元雍や任城王元澄が聴政した。8月、母の胡充華が皇太妃から皇太后となり、宣光殿で臨朝称制して、朝政の実権を握るようになった。
孝明帝の初年は、大乗の乱が起こって河北は動揺した。やがて侍中の元叉や中常侍の劉騰が宮中で台頭して、520年には孝明帝に政権を返すとの名目で胡充華を幽閉した。元叉と高陽王元雍の二頭体制が成立したが、実際は元叉が北魏の朝政を専断し、乱脈をきわめた。
523年、沃野鎮の破六韓抜陵が起兵して、鎮将を殺し、これを皮切りに六鎮の乱が勃発することとなった。胡琛・葛栄・杜洛周らが北魏に叛いて次々と起兵した。また徐州の元法僧や東豫州の元慶和らが叛いて梁につくなど、東南方の国境も不安定になった。
525年4月、皇太后の胡充華が再び朝政をみるようになった。元叉は兵権を剥奪され、翌年に処刑された。胡太后の執政のもと、北魏の朝政は弛緩し、六鎮の乱は拡大するばかりとなった。
528年2月、孝明帝は胡太后を牽制するため、爾朱栄と手を結ぼうとしたが、これが露見して毒殺された。19歳の若さだった。胡太后は元釗を擁立したが、爾朱栄の反発を招き、河陰の変で殺害されることとなる。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 皇后胡氏
- 潘充華
[編集] 子女
- 皇女(母は潘充華、胡太后が皇子と偽り帝位に即けるが一日で廃位)
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