宇品線
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ファイル:19860728 宇品線 上り貨物DE10.jpg
宇品線(うじなせん)は、広島県広島市の広島駅から南下し宇品駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。
目次 |
[編集] 概要
当初は日清戦争の人員・物資輸送のための軍事専用線として建設された。開戦の1894年(明治27年)年には山陽鉄道(現山陽本線)が広島駅まで開業したため、この広島駅と宇品港(現広島港)とを連絡するために、陸軍省の委託により山陽鉄道が軍用線を建設することになり、同年8月4日着工、8月20日竣工、8月21日に開通した。
以後、宇品港から日清戦争、日露戦争、太平洋戦争に出征・復員する兵士や物資の輸送を担った。1897年(明治30年)には山陽鉄道が陸軍省から借入れて一般旅客営業を開始、1906年(明治39年)に鉄道国有法(同年施行)に基づき国有化されたが、昭和初期には一時的に、旅客列車の運行を芸備鉄道(現在の芸備線の前身)に委託した時期もあった。戦争期間中の一般旅客の利用は軍の規程により、基本的に認められていなかった。
戦後は沿線の学校、大学病院、県庁仮庁舎、工場などへの通勤・通学および貨物輸送を行っていた。広島駅では1番線ホーム東側切欠き部の0番線に発着していた。しかし同様に広島駅 - 広島港を結ぶ広島電鉄皆実線・宇品線(路面電車)やバス路線の利便性との差が大きくなり客足が減少、営業係数が4000を超える全国有数の赤字路線に陥り、定期券客を除いて旅客営業は1966年(昭和41年)限りで廃止(同時に広島駅0番線も廃止)。その定期券旅客扱および貨物扱も1972年(昭和47年)に廃止され、国鉄線としては使命を終える。
その後も宇品四者協定線として通運業者4者(広島県経済連、日本通運、トナミ運輸、広島運輸)が、広島駅東側に位置する東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅) - 宇品間の国鉄側線扱いとして使用していたが、1986年に廃止された。
[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):広島 - 宇品間 5.9km
- 軌間:1067mm
- 駅数:7駅(起終点駅含む。1966年旅客営業廃止時点)
- 複線区間:なし(全線単線、交換可能駅は下大河駅のみ)
- 電化区間:なし(全線非電化)
[編集] 運行形態
旅客列車運行本数(平日)
- 1953年6月:広島 - 宇品 23往復
- 1964年10月ダイヤ改正:広島 - 宇品 14往復(うち下り3本は呉線から、上り1本は徳山行き、計4往復が客車列車)・ 広島 - 下大河 平日のみ2往復
- 1966 - 1972年(上大河 - 宇品廃止後、国鉄宇品線全線廃止まで):広島 - 上大河 平日4往復、休日2往復(原則として旅客は定期券所持者のみの扱いとなり、時刻表から消える)
- 貨物列車は1日1往復で、広島発5時→宇品着5時25分・宇品発5時44分→広島着6時10分。宇品駅には「広島駅宇品貨物取扱所」を設置。
- 宇品四者協定線(国鉄宇品線廃止後、1986年の廃線までの貨物専用線)時代:(貨)東広島 - 宇品 貨物列車早朝1往復(ダイヤは上記とほぼ同一)
[編集] 使用車両
- 蒸気機関車:C11形、C12形、C58形、D51形
- 旅客用、貨物用の区別なく運用。線内は広島にしか転車台がなく、宇品行きは往路か復路のいずれかが、炭水車側を先頭とするバック運転となっていた。
- ディーゼル機関車:DE10形
- 気動車:キハ04形、キハ10系
- 客車:35系、43系などの旧型客車
- 主に3から5両で運用。座席をロングシートに改造した車両もあった。
- 貨車:ワム80000形、タキ24700形(日清製粉保有の私有貨車)、タム5000(味の素保有)など。
[編集] 歴史
- 1894年(明治27年)8月21日 - 陸軍省の委託で山陽鉄道が広島 - 宇品間に軍用線を敷設し、日清戦争用軍事物資の輸送を開始。
- 1897年(明治30年)5月1日 - 山陽鉄道が陸軍省から広島 - 宇品間(3M46C≒5.75km)を借入れて一般営業を開始。宇品駅開業。
- 1901年(明治34年)9月1日 - 全線休止。
- 1902年(明治35年)12月29日 - 全線(3.7M≒5.95km)再開、宇品駅移転。
- 1903年(明治36年)1月20日 - 比治山簡易停車場開業。
- 1904年(明治37年)6月12日 - 丹那簡易停車場開業。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化。陸軍省から鉄道院(国有鉄道)に移管。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定、広島 - 宇品間を宇品線とする。
- 1915年(大正4年) - 第一次世界大戦で中国青島侵攻のために再び軍事専用線となる。
- 1919年(大正8年)8月1日 - 全線の旅客営業廃止、山陽本線に編入され同線貨物支線となる。比治山簡易停車場、丹那簡易停車場廃止。
- 1923年(大正12年)2月15日 - 全線の荷物営業再開。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(3.7M→5.9km)。
- 1930年(昭和5年)12月20日 - 芸備鉄道が鉄道省から借り受け、全線で旅客営業(荷物営業も含む)を再開、国有鉄道としては荷物営業を廃止し貨物線となる。
- 大須口停留場、東段原停留場、被服支廠前停留場(後の上大河駅)、丹那停留場開業。
- 1931年(昭和6年)3月20日 - 愛宕町停留場(後の安芸愛宕駅)、女子商業前停留場(後の南段原駅)、大河地蔵前停留場(後の下大河駅)開業。
- 1931年(昭和6年)11月29日 - 大河地蔵前停留場を駅に変更、大河駅に改称。
- 1932年(昭和7年)9月25日 - 兵器支廠前停留場(後の比治山駅)開業。
- 1934年(昭和9年)12月1日 - 人絹裏停留場(後の下丹那駅)開業。
- 1937年(昭和12年)7月1日 - 芸備鉄道の国有化と同時に、山陽本線から分離され宇品線となる。
- 停留場を駅に変更。愛宕町停留場を安芸愛宕駅に、女子商業前停留場を南段原駅に、兵器支廠前停留場を比治山駅に、被服支廠前停留場を上大河駅に、大河駅を下大河駅に、人絹裏停留場を下丹那駅に改称。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 安芸愛宕駅、東段原駅、比治山駅、下丹那駅休止。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 広島に原爆投下。宇品へ負傷者の輸送を行う。
- 1947年(昭和22年)3月20日 - 上大河駅が0.3km広島駅方面に移転(旧・比治山駅へ移転した)。
- 広島県庁は原爆で壊滅した後、1946年6月に広島市霞町に移転したため、上大河駅が最寄り駅になった。
- 1966年(昭和41年)12月20日 - 上大河 - 宇品間廃止。下大河駅、丹那駅、宇品駅廃止。大須口駅を大須口信号場に変更。
- 1968年(昭和43年)9月 - 国鉄赤字83線に宇品線(広島 - 上大河間)が指定される。1970年度の営業係数が4,049と国鉄全線中最悪に。
- 1972年(昭和47年)3月7日 - 国鉄宇品線の廃止を申請。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 広島 - 上大河間が廃止となり「国鉄宇品線」は全廃。大須口信号場、南段原駅、上大河駅廃止。その後宇品までの全線は東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)を起点とする「宇品四者協定線」として側線扱いに。以降東広島 - 宇品間で午前5時台に1往復の貨物列車が運行される。
- 1986年(昭和61年)10月1日 - 宇品四者協定線廃止。
[編集] 駅一覧
| 駅名 | 読み | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 |
|---|---|---|---|---|
| 広島駅* | - | 0.0 | 日本国有鉄道:山陽本線・芸備線 広島電鉄:本線 |
|
| 安芸愛宕駅 | あきあたごえき | 0.4 | 0.4 | |
| 大須口駅* | おおずぐちえき | 0.8 | 1.2 | |
| 東段原駅 | ひがしだんばらえき | 0.2 | 1.4 | |
| 南段原駅* | みなみだんばらえき | 0.4 | 1.8 | |
| 比治山駅 | ひじやまえき | 0.6 | 2.4 | |
| 上大河駅* | かみおおこうえき | 0.3 | 2.7 | 営業キロは、1947年の移転後から廃止時までは2.4km |
| 比治山簡易停車場 | ひじやまかんいていしゃじょう | |||
| 下大河駅* | しもおおこうえき | 0.6 | 3.3 | |
| 丹那駅* | たんなえき | 0.5 | 3.8 | |
| 丹那簡易停車場 | たんなかんいていしゃじょう | |||
| 下丹那駅 | しもたんなえき | 0.9 | 4.7 | |
| 宇品駅* | うじなえき | 1.2 | 5.9 |
※広島駅 - 大須口駅 - 広島駅東側の貨物ヤード(1969年から東広島駅)はデルタ線となっており、国鉄線として廃止され広島駅0番ホームからの線路が撤去された1972年以降は、(貨)東広島駅が宇品線(宇品四者協定線)の基点となった。
[編集] 備考
記録によれば、宇品線は1894年8月4日から同年8月20日までのわずか17日間の突貫工事で完成し、翌日から兵員輸送が開始された。しかし具体的な計画は軍部により1894年の5月末頃から秘密裏に進められていたとも言われていることから、建設についても実際には以前より準備がされていた可能性がある。
貨物営業のみとなった1972年以降は、途中2箇所の踏切(上大河駅南の国道2号線、旧丹那駅付近)を越える際には列車の方が一旦停止して乗務員が降車し、道路側の信号機を手動で赤信号にして通過していた。
[編集] 廃線跡現況
以下は、2009年8月現在のもの。
- 大須口駅付近 - 南段原駅北側
- 大須口駅跡北側の旧国道2号線との立体交差(アンダーパス)跡は、宇品線の鋼桁が撤去された後もしばらく掘り下げられた道路線形のまま残っていたが、ほどなく両側の橋台は撤去され、道路の掘り下げ部分も埋められ平面となった。
- 大洲口鉄橋は、上流側軌道の橋脚を利用し平和橋歩道橋として使用、2002年に道路橋・平和橋に架け替え、それに伴い橋脚全撤去。
- 大洲口鉄橋南詰から南段原駅北側の段原中学校付近までは、広島市道段原蟹屋線として整備されている。
- 南段原駅北側 - 上大河駅付近
- ほとんどは未整備のまま空き地である。南段原駅跡付近など宇品線のモニュメントが作られている箇所がある(ただしいずれのモニュメントも、実際に駅や線路が存在した位置から外れた箇所に設置されているものがほとんどである)。
- 上大河駅南側付近(国道2号線交差点) - 丹那駅付近(広島南警察署前交差点)
- 道路として整備。
- 丹那駅付近 - 宇品駅進入手前(広島高速道路の高架まで)
- レールは撤去されたが未利用のまま。一部区間には近隣の住民が植えたタチアオイが咲く。
- 宇品駅部分
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 「旧国鉄宇品線の跡 92年間の歴史を運んだ線路跡を散策」
- 下大河付近を走る列車遠景 1957年
- 「南区7大伝説:鉄道伝説」
- 鉄道草ダンゴ 宇品線の線路敷に生えたヨモギを使って、かつて作られていたダンゴに関する話題。カルビーの起源の一部も伺える。
- 広島平和記念資料館 バーチャル・ミュージアム 開通間もないころの宇品線の写真がある。
- arch-hiroshima 広島の建築「006軍都としての景」 広島が軍都として発展してきた歴史的背景と宇品線の果たしてきた役割などを紹介。
- 航空写真(国土交通省)
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