安住淳
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| 生年月日 | 1962年1月17日(47歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 早稲田大学社会科学部卒業 |
| 学位・資格 | 学士(早稲田大学) |
| 前職 | テレビ局記者 |
| 所属委員会 |
衆・懲罰委員会委員 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 宮城5区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 所属党派 | 民主党 (前原グループ) |
| 党役職 | 党国会対策委員長代理 |
| 会館部屋番号 | 衆・第1議員会館503号室 |
| ウェブサイト | 安住淳ホームページ |
安住 淳(あずみ じゅん、男性、1962年1月17日 ‐ )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。元NHK政治部記者。最終学歴は早稲田大学社会科学部卒業。学位は社会科学士(早稲田大学)。
目次 |
[編集] 概要
宮城県牡鹿郡牡鹿町(現石巻市)生まれ。父、安住重彦は元牡鹿町長。宮城県石巻高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。在学中は早稲田大学雄弁会に所属。卒業後、日本放送協会(NHK)に入局し、政治部記者となる。
1993年退社し、同年7月18日の第40回衆議院議員総選挙に無所属(日本新党・新党さきがけ推薦)で旧宮城2区から立候補した。政治改革を争点としたこの選挙で、旧宮城2区は候補者が乱立し、落選。その後、日本社会党出身で郵政大臣などを務めた日野市朗との間で候補者調整、選挙協力を実現した。1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙では、民主党公認で立候補し、初当選した。当初は、日野との間に小選挙区と比例区に交代で立候補する予定であったが、以後、小選挙区は安住、比例区は日野という棲み分けができた。民主党では、党副幹事長、常任幹事、宮城県連代表を務めた。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、唯一宮城県の小選挙区で議席を維持した。総選挙後の前原新体制のもと選挙対策委員長に就任した。その後、宮城県総支部連合会副代表、2007年8月には党国会対策委員長代理に就任。
[編集] 主な政治的主張
- 「サンフランシスコ講和条約11条で東京裁判を受諾している。日本国民もドイツを見習ってニュルンベルク裁判のように自らで戦犯を裁くべきであった」と述べている。[要出典]
- 二大政党制を強く望んでおり、地元周りで意識改革を訴えた。「野党を育てるのは国民の責任であり、与党の横暴を許すのも国民の責任である」[要出典]
- アジア外交については「大人の態度で黙って見守るべき」と主張した。[要出典]
- 2008年12月5日の国籍法改正で、『認知の基準が杜撰すぎて虚偽の認知の防止ができない』と指摘する意見がネットを中心に沸き起こると、安住は『外国人との間に生まれた子供の認知を安易にやれば日本の社会秩序がおかしくなる』と主張するネット右翼が組織的に反対運動を行ったと批判し、『ネット社会の負の部分をまざまざと見た思いだった』と不快感を表明した。なお、この法律に不備があることは安住自身も『虚偽の認知の防止をどうするかなど、まだまだ完璧ではない』と認めている[1]。
[編集] 人物
- 阪神タイガースのファンで、「阪神タイガースを応援する議員の会」の23人の発起人の一人。「阪神タイガースが優勝したら国会で六甲颪を歌う」が同会の活動方針。現在の同会の動向は不明。
- 散髪は必ず地元石巻の行きつけの店でしてもらう。
- レギュラーとまではいかないもののTVタックルへの出演が多い議員の一人である。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 安住淳ホームページ(公式サイト)
- 民主党サイトのプロフィール
- 民主党宮城県総支部連合会
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