安川敬一郎
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安川 敬一郎(やすかわ けいいちろう、嘉永2年4月18日(1849年5月10日) - 昭和9年(1934年)11月30日)は日本の実業家。 安川第五郎は子(五男)。男爵。福岡県出身。大正9年(1920年)1月13日授爵。
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[編集] 経歴
黒田藩士、徳永省易の四男として生まれ、1864年(元治元年)安川岡右衛門に16歳で婿入りし、1866年(慶応2年)、岡右衛門の四女の峰と18歳で結婚し家督を相続、名を藤四郎から敬一郎に改める。1868年(慶応4年)3月藩の祐筆に登用され、6月学問所下級教員となり、1869年(明治2年)1月藩命により京都に留学、9月に帰藩して執政局に出仕、1870年(明治3年)10月静岡に留学を命ぜられ1871年(明治4年)5月東京滞在中、7月長兄の徳永織人が贋札事件の責任を取って切腹したため帰藩し、10月再び東京に留学、1872年(明治5年)7月慶應義塾に入学、1874年(明治7年)2月三兄の幾島徳が官兵小隊長として、江藤新平、島義勇の佐賀の乱鎮圧のため佐賀に向かう途中、三瀬峠にて戦死したとの連絡を受け、急遽帰郷した。
帰郷後、1877年(明治10年)に芦屋で石炭販売業を始め、1880年(明治13年)相田炭鉱及び庄司炭鉱を経営。1886年(明治19年)店を若松に移転。同年明治炭鉱を開発する。1889年(明治22年)平岡浩太郎と共に赤池炭鉱を開発する。1893年(明治26年)二男松本健次郎と「安川松本商店」を設立、父である安川は炭鉱経営、松本はその販売と分担し親子二人三脚体制を築く。1896年(明治29年)門司に事務所を設置、その後支店を東京、大阪、神戸に拡大していった。
1907年(明治40年)技術者養成を目的とし、明治専門学校を戸畑に設立。1908年(明治41年)松本及び三男の安川清三郎と共に明治鉱業株式合資会社を設立。1909年(明治42年)4月明治専門学校開校。1910年(明治43年)松本と共に「明治専門学校附属小学校(現:明治学園)」を創立。その後1918年(大正7年)にかけ明治紡績、安川電機、九州製鋼(のち八幡製鐵所が買収)、黒崎窯業を設立する。1920年(大正9年)1月13日これまでの功績により男爵の爵位を授爵。また、九州鉄道取締役、若松築港社長、筑豊石炭鉱業組合総長、明治鉱業社長、九州製鋼会長等を務め、1922年(大正11年)4月経済界から引退した。
[編集] 設立した会社・学校
- 安川電機
- 黒崎窯業(現・黒崎播磨)
- 明治鉱業(地質部は明治コンサルタントとして独立)
- 明治専門学校(現・九州工業大学、明治学園中学校・高等学校)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「北九州に強くなろう」 「安川・松本家のひとびと」
- 「地方財閥」の誕生 - 安川敬一郎の事業活動と資産形成 - 東京大学社会科学研究所・中村尚史著
最終更新 2009年11月3日 (火) 06:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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