安貞桓
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| 安 貞桓 | ||
|---|---|---|
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| 名前 | ||
| 愛称 | テリウス | |
| カタカナ | アン ジョンファン | |
| ラテン文字 | Ahn Jung-Hwan | |
| ハングル | 안정환 | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年1月27日(33歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 71kg | |
| 血液型 | AB型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 30 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴2 | ||
| 1999- | 68(17) | |
| 2. 2009年3月5日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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安 貞桓(アン・ジョンファン、Ahn Jung-Hwan、안정환、1976年1月27日 - ) は、大韓民国出身のプロサッカー選手。Cリーグ・大連実徳所属。ポジションはフォワード。
妻は1999年ミスコリアの李恵園(イ・ヘウォン、이혜원)。2004年5月に長女、2008年12月に長男が誕生している。
ゴールを決めた際に、ラウールのように結婚指輪にキスをするパフォーマンスをすることから、韓国では「指輪の帝王」というニック・ネームで呼ばれることもある。また、テリウス(アニメ「キャンディ・キャンディ」の登場人物)のあだ名も有名。
山梨学院大学出身の柔道選手・安正煥(アン・ジョンファン)とは別人。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 韓国時代
Kリーグ・釜山大宇ロイヤルズ(現・釜山アイパーク)を経て、2000年にイタリア・セリエAのペルージャへ期限付き移籍した。それは以前同じくイタリアへ移籍した中田英寿に習っての大韓サッカー協会企画の移籍計画であった。釜山所属当時は長髪をなびかせ、若い女性の人気を集めた。オッパ隊と呼ばれる追っかけが登場しKリーグを盛り上げた。
[編集] イタリア時代
2000-01シーズンにペルージャに移籍。同じ東洋人であり、前年まで同チームに在籍した中田英寿と比較され、リーグ戦の初戦こそ先発フル出場を果たしたが、その後は第3節から11試合連続で不出場など、リーグ戦34節中15試合の出場に留まった。そのうち、先発フル出場はわずかに9試合。それでもチームにケガ人が多発した終盤では少なからず起用の機会があり、4ゴールを奪った。2年目も基本的に控えの扱いは変わらず、34節中20試合で出番が無く、先発フル出場は4試合のみ。平均出場時間も約24分から約14分とさらに減少し、わずかに1ゴールを記録するのみだった(後に「ペルージャに嫌でもしがみ付いておくべきだった」と後悔している)。
[編集] 2002年ワールドカップでの騒動
2002年のFIFAワールドカップ・日韓大会では、代表チームのスーパーサブ的な存在として、韓国を大会ベスト4に導く原動力となった。決勝トーナメント1回戦のイタリア戦で挙げたゴールデンゴールにより国民的スターとなった。
当時の安の所属チーム、イタリア・セリエAのペルージャのルチアーノ・ガウチ会長(当時)がこのゴールに激怒し、安との契約を解除しようとしているという話が、主として韓国・日本において報じられた。
しかし、この話は事実とは異なるという意見もある。「安はイタリアの地に二度と足を踏み入れる事はない」とのガウチ会長の発言は、安の「今日我々はイタリアサッカーを上回った」という発言(韓国とイタリアのメディアが報道、安はその一部を認めていない)が引き金となっており、単なる言い合いの域を出ないという意見がそれである。実際にガウチは「イタリア代表戦でたとえ10ゴールを決められようともそれはかまわない。契約解除は彼の発したコメントのためだ」とBBCの取材に対して答えている[1]。
その一方、ペルージャ側には安を解雇する意志はなく、期限付き移籍であった安の所属先であった釜山に移籍金を支払い、その保有権を正式に確保している。しかし、安側はペルージャで控えに甘んじていたこと、およびスペインリーグへの憧れがあったために他の欧州リーグへの移籍を模索する。2002年ワールドカップでの成功があったため、容易に移籍できるであろうという目論見があったともされる[2]
[編集] Jリーグへの移籍
しかし、ワールドカップの活躍で安の市場価値の高騰を目論んだペルージャ側の設定した移籍金を支払う欧州クラブは現れなかった。さらに移籍金を支払われて保有権をペルージャに譲渡したはずの釜山もなぜか保有権を主張しはじめ、けっきょく保有権をペルージャから日本のスポーツマネージメント会社が買い取り、さらに釜山にも移籍金を支払うことで決着を見る。その後、2002年9月、Jリーグ・清水エスパルスに半年という契約でレンタル移籍。本人は半年で欧州リーグへの移籍を再度模索するつもりだったが、欧州リーグは興味を示そうとはせず、1年半の間、清水エスパルスに在籍した。
2004年1月に横浜F・マリノスへ完全移籍。優勝への天王山となった1stステージ最終節鹿島戦を含む終盤4試合で4試合連続ゴールを決めるという活躍を見せ、Jリーグ1stステージ制覇の原動力となった。この年の横浜FMはJ1連覇を果たす。Jリーグチャンピオンシップには負傷しておりピッチに立てなかったが、優勝決定後に田中隼磨がメッセージTシャツを着て安への感謝と愛情を表現した。2005年6月に契約満了により横浜FMを退団。Jリーグでは3シーズン弱在籍し、通算72試合30ゴールを記録した。
[編集] 欧州への再挑戦と失敗
2005-06シーズンに入り、セリエAのリヴォルノ、ブンデスリーガの1FCケルン、リーガ・エスパニョーラのデポルティーボ・ラ・コルーニャが獲得に乗り出したと言われるが、結局リーグ・アンのFCメッツへ移籍する。しかし、得点しても仏レキップ紙の採点では事実上の最低点となる2点を付けられるなど、チームにフィットすることができなかった。2006年1月にはブンデスリーガ・MSVデュースブルクに移籍。途中加入ながら2得点をマークした。このシーズンに所属した2つのチームはどちらもリーグ最下位となり、リーグ・ドゥに降格となった。なお、両チームともに翌シーズンには再昇格を果たしている。
[編集] 無所属期間
2006年8月にはデュースブルクからの解雇が発表された。直後にハーツと交渉し、移籍寸前まで話が進んだが、ハーツはチリ代表FWのマウリシオ・ピニージャを獲得し、移籍話は破談になった。その後、欧州クラブからのオファーを待ったが、結局無所属となった。韓国代表ピム監督は当初、所属チームはすぐに決まると聞かされていたようだが、その後所属チームがいっこうに決まらなかったため「安貞桓の代表入りはない」と告げ、この時期の代表招集は見送られることになった。
[編集] 韓国復帰
2007年1月9日、Kリーグ・水原三星ブルーウィングスと1年契約を交わしたが15試合無得点と結果を出せず、翌2008年に古巣の釜山アイパークに8年ぶりに復帰することとなった。
2007年9月11日、FCソウル2軍との試合中、FCソウルサポーターに家族と自分についてのわいせつな悪口に激憤し、そのままスタンドに上りサポーターに「なぜそのように選手の悪口をいうのか!」「あなたのような人が居るからKリーグが発展しない!」と抗議。安はその場で退場処分を受け、後に日本円で約120万円の罰金を科せられた。このような事件はKリーグ史上初。安自身としては1999年の韓国FAカップ蔚山現代ホランイ戦以来、Kリーグ2度目の退場。
[編集] 中国進出
故障も多く満足の行く結果を残せなかったため、釜山アイパークとの契約も1年で終了した。一時期はアメリカ進出も検討したがうまくいかず、2009年は中国スーパーリーグ・大連実徳と3か月間10万USドルの条件で契約した。
[編集] 逸話
- 試合前には絶対頭を洗わないという験担ぎをしている。
- 竹島問題について朝鮮日報記者に「独島(竹島)問題をどう思うか?」と聞かれた際、「そこに住んでる人はどうなるの?」と答えたが、新聞上では「独島は韓国の領土…」とされて、日本では釈明に追われた。
- アジアで精力的に活動している英国のサッカージャーナリスト ジェレミー・ウォーカーは「安貞桓が外国で成功した国は日本だけで、その他挑戦した国々(イタリア、フランス、ドイツ)では悲惨な結果」という厳しい評価を下している。[3]。
- 自尊心がとても強くブラックバーン・ローヴァーズFCからのテストオファーを断わったこともある。
- 清水エスパルス時代には森岡隆三とアイーンの練習をしたり市川大祐夫妻と写真を撮ったり横浜F・マリノス時代には大橋正博と仲が良く久保竜彦にも風呂上りの美男ぶりを褒め称えられた。
- Jリーグデビュー戦では浦和レッズサポーターに大ブーイングを浴び、まるでセリエAのようだと語った。
- バラエティ番組『SMAP×SMAP』内のコーナー「BISTRO SMAP」にも出演した事がある。
- 元オランダ代表ルート・フリットに対する憧れを抱いていた。
- 実母は安を妊娠中、胎夢(テモン・妊娠中に見る子供の未来を象徴する夢)を見たという。「サッカー場の芝生の上を歩いていて、後ろを振り向くと聖火台の炎が燃え上がっており、その炎の中から小さな竜が1匹天へと飛んでいった」という内容の夢だった。
- 幼少時代に父は蒸発、母は後に花札により逮捕され、食に困っていたが川で魚を自ら獲り飢えを凌いでいたという。
- 母子家庭で育ち、家は高級マンションに住み、富裕層の暮らし方だった。
- 韓国製ゲームマグナカルタのCMに出演したがゲームの売れ行きは芳しくなかった。
- FCメッツ時代にサッカーマガジンで1ページを使い大々的に応援ツアーを募集するも定員不足で中止となった。
- 横浜F・マリノスで参加したACLの山東魯能戦でボールボーイに殴られると言う災難にあった。
- 「安心して働ける日本が好きだから、ここで頑張ろうと思った」と、厚生労働省の外国人雇用状況報告制度(平成17年6月)の宣伝ポスターで使用された。
[編集] 所属クラブ
- 1986年 - 1988年
大林(デリム)初等学校
- 1988年 - 1991年
南ソウル(ナムソウル)中学校
- 1991年 - 1994年
ソウル機械工業高等学校
- 1994年 - 1997年
亞州(アジュ)大学校
- 1998年 - 2000年
釜山大宇ロイヤルズ
- 2000年 - 2002年
ACペルージャ
- 2002年9月 - 2003年
清水エスパルス
- 2004年 - 2005年6月
横浜F・マリノス
- 2005年7月 - 2006年1月
FCメッツ
- 2006年2月 - 2006年8月
MSVデュースブルク
- 2007年 - 2008年
水原三星ブルーウィングス
- 2008年 - 2009年
釜山アイパーク
- 2009年 - 現 在
大連実徳
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 1998 | 釜山大宇 | 8 | Kリーグ | 33 | 13 | ||||||
| 1999 | 釜山大宇 | 8 | Kリーグ | 34 | 21 | 1 | 1 | 1 | 0 | 36 | 22 |
| 2000 | 釜山大宇 | 8 | Kリーグ | 20 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 10 |
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000-01 | ペルージャ | 8 | セリエA | 15 | 4 | - | |||||
| 2001-02 | ペルージャ | 10 | セリエA | 15 | 1 | - | |||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | 清水 | 26 | J1 | 10 | 3 | 1 | 0 | 3 | 2 | 14 | 5 |
| 2003 | 清水 | 19 | J1 | 28 | 11 | 4 | 2 | 4 | 3 | 36 | 16 |
| 2004 | 横浜FM | 36 | J1 | 25 | 12 | 1 | 0 | 1 | 1 | 27 | 13 |
| 2005 | 横浜FM | 19 | J1 | 9 | 4 | 0 | 0 | - | 9 | 4 | |
| フランス | リーグ戦 | リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005-06 | メス | 19 | リーグ・アン | 16 | 2 | ||||||
| ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
| 2005-06 | デュースブルク | ブンデス1部 | 12 | 2 | - | 0 | 0 | 12 | 2 | ||
| 2006-07 | デュースブルク | ブンデス2部 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2007 | 水原三星 | 10 | Kリーグ | 15 | 0 | 10 | 3 | 1 | 0 | 26 | 3 |
| 2008 | 釜山 | 8 | Kリーグ | 9 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 | ||
| 中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2009 | 大連 | 30 | 超級 | 12 | 8 | ||||||
| 通算 | 韓国 | Kリーグ | 102 | 44 | |||||||
| イタリア | セリエA | 30 | 5 | - | |||||||
| 日本 | J1 | 72 | 30 | 6 | 2 | 8 | 6 | 86 | 38 | ||
| フランス | リーグ・アン | 16 | 2 | ||||||||
| ドイツ | ブンデス1部 | 12 | 2 | - | 0 | 0 | 12 | 2 | |||
| ドイツ | ブンデス2部 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
| 中国 | 超級 | ||||||||||
| 総通算 | 217 | 83 | |||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2002-03 | 清水 | 26 | 4 | 5 |
| 2004 | 横浜FM | 36 | 4 | 3 |
| 2005 | 横浜FM | 19 | 3 | 3 |
| 通算 | AFC | 11 | 11 | |
[編集] 個人タイトル
- 1998年 Kリーグベストイレブン
- 1999年 KリーグMVP
[編集] 脚注
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| J1記念ゴール |
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