安部三十郎
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安部 三十郎(あべ さんじゅうろう、昭和28年(1953年)9月 ‐ )は、日本の政治家。行政書士。山形県米沢市長。米沢市の上郷地区(旧東置賜郡上郷村)出身。
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[編集] 経歴
山形県立米沢興譲館高等学校を経て早稲田大学法学部、福島大学大学院(行政学専攻)を卒業。 会社員を経て市長選に立候補。県・市職員や市議などの政治と行政の経験はゼロであるが、保守志向の強い住民が多い同地域に草の根運動の選挙スタイルを持ちこみ、市内全戸の訪問や、朝晩の街頭演説などで知名度を上げていった。
3度目の挑戦の末、平成15年(2003年)に第33代米沢市長に初当選。同市の市長としては初めてマニフェストを掲げて市政を行った。当時の山形県の首長においては珍しい例とされる。
「ローカル・マニフェスト推進首長連盟」(発起人:北川正恭氏など)に創設当初から参加。なお、平成19年(2007年)11月に行われた米沢市長選挙では立候補4人全員がマニフェストを掲げるなど、そのスタイルは地域に一定の影響を与えている。
歴史・文学好きで、米沢藩藩政の基礎を築いた上杉氏の家老・直江兼続を「NHK大河ドラマに推進する会」の会長も務め、平成18年(2006年)、NHK放送センターまで陳情に出向いた。それが功を奏したのか、直江兼続を主人公にした火坂雅志の小説「天地人」が平成21年の大河ドラマ「天地人」として決定し、米沢市にとっては観光振興の絶好のチャンスである。
平成19年11月25日の米沢市長選挙で二回目の当選。同年12月より2期目となる。
[編集] 選挙経歴
- 平成7年の米沢市長選挙に初出馬。現職の高橋幸翁との一騎打ち。政党や企業団体の推薦もなく、泡沫候補と言われていたが、高橋氏の得票23,017票に対し17,185票と6000票近くに迫った。
- 平成11年の米沢市長選挙に二回目の出馬。現職の高橋幸翁を含む3人の争い。高橋氏には自民党・公明党・民主党の主要政党と地元選出の国会議員と県議全員、および市議のほとんどが推薦を決めた。一方の安部氏は今回も政党や企業・団体の推薦を全く受けられず、支持母体である「夢のある米沢をみんなで作る会(みんなの会)」を中心に草の根運動の選挙作戦を展開した。安部氏本人も市政アンケートを携えながら四年間で全戸を訪問し、朝晩の街頭演説も欠かさず行うなどの成果から、前回よりも支持の広がりは見られたが、現職の24,179票に対し20,383票と約3800票差で破れ、高橋幸翁氏が五回目の当選を果たした。
- 平成15年(2003年)の米沢市長選挙に三回目の出馬。現職の後継者である元助役を含む三人の争い。元助役には米沢市を地盤とする民主党の近藤洋介代議士と、県議・市議の多くがいち早く推薦を表明した。安部氏は三度目の選挙でも変わらず草の根運動中心で政党や団体の推薦を全く受けなかった。しかし、選挙が第43回衆議院議員選挙の直後で、同じ米沢市を地盤として小選挙区で争った自民党、民主党の対立のしこりがあり、近藤洋介が推薦する元助役への相乗り支援を嫌がった自民党の遠藤武彦代議士の支援者などから支持を得ることができた。加えて二度の落選を経験した安部氏の通算八年以上にわたる市内全戸の訪問や地道な街頭活動などで知名度も浸透したことも大きく、元助役に5000票近い差をつけ24,703票で初当選を果たし第33代市長に就任した(第2位の元助役は19,862票)
- 平成19年の米沢市長選挙には現職として出馬。元県議一人と元市議二人の計四人の争い。選挙スタイルは変わらずの草の根運動中心で、政党の推薦も全くなかったが、地元の自民党県議の支援者や一部の市議などが推薦を表明した。得票は23898票。二位の元県議は15128票。8000票以上の票差をつけ、二期目の当選を果たし第34代市長に就任した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月3日 (月) 11:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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