宋之問

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宋之問(そう・しもん、656年?-712年)中国・唐代初期の詩人。字は延清。沈佺期と併称される。

[編集] 略伝

旧唐書』によれば虢州弘農、『新唐書』によれば汾州の出身。675年進士則天武后の寵臣・張易之兄弟に取り入って、尚方監丞として『三教珠英』の編集に参加した。中宗の時代に張易之が失脚するに従って瀧州(広東省)に流されたが、ひそかに脱出して洛陽へ逃げ帰った。

洛陽では張沖之の家に匿われていたが、張沖之が朝廷に陰謀を企てていることを密告して、その功績で罪を許され、鴻臚主簿から考功員外郎に修文館学士を兼ねた。のち失脚して越州長史に左遷され、睿宗の即位後にさらに欽州(広東省)に移され、そこで「獪險盈悪」の罪により自殺を命ぜられて死ぬ。

学問深く風采も立派であったと伝えられるが、品性は陋劣。パトロンの張易之の詩賦はすべてこの宋之問の代作であった。劉希夷に「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」の句を所望して断られ、希夷を暗殺させたという話もある。越州に流されていた時には地方官として評判は良く、作った詩は都に流行し、人びとは争って愛唱したともいわれる。

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沈佺期とともに韻律の整形に力を入れ、「近体詩」というスタイルを完成する。

寒食題黄梅驛
馬上逢寒食  馬上 寒食に逢う
愁中屬暮春  愁中 暮春に屬す
可憐江浦望  憐むべし 江浦の望み
不見洛橋人  見ず 洛橋の人
北極懷明主  北極明主を懷い
南溟作逐臣  南溟逐臣となる
故園腸斷處  故園腸斷の處
日夜柳條新  日夜柳條新ならん


至端州驛見杜五審言沈三佺期閻五朝隱王二無競題壁慨然成咏
逐臣北地承嚴譴  逐臣北地に嚴譴を承く
調到南中毎相見  調せられ南中に到り 毎(つね)に相見んとす
豈意南中岐路多  豈意(おもわ)んや 南中岐路多く
千山萬水分郷縣  千山萬水 郷縣を分かたんとは
雲搖雨散各飜飛  雲搖れて雨散じ各々飜飛す
海濶天長音信稀  海濶(ひろ)くして天長く音信稀なり
處處山川同瘴癘  處處の山川 同じく瘴癘
自憐能得幾人歸  自ら憐む 能く幾人か歸るを得ん

最終更新 2008年1月7日 (月) 05:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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