宋王台
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座標: 北緯39度50分56.36秒 東経116度12分46.39秒 / 北緯39.8489889度 東経116.2128861度
| 宋王台 | |
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| 各種表記 | |
| 繁体字: | 宋王臺 |
| 簡体字: | 宋王台 |
| 拼音: | Sòng Wáng Tái |
| ラテン字: | Sung Wong Toi |
| 広東語: | Sung Wong Toi |
| 発音: | ソン・ワン・トイ |
宋王台(そうおうだい 宋王臺 Sung Wong Toi)とは中華人民共和国の香港にある史跡。南宋の端宗と祥興帝の二人の幼君が休息をとった場所として言い伝えられる。本来は旧啓徳空港の中に石碑があったが、現在は「宋王台花園」に移設されている。
[編集] 概要
1276年にフビライ・ハーン率いる元軍が南宋に侵攻し首都臨安は陥落。南宋の恭帝は降伏し俘虜となった。これにより南宋は滅亡した。
しかし、文天祥、陸秀夫、張世傑など南宋の遺臣たちは皇族とともに南方に落ち延び元に対する抵抗運動を展開した。南宋の亡命政府は福建から広東と南へと追い詰められ、1279年の崖山の戦いで敗北し名実ともに滅亡した。そのさなかに端宗とその弟の祥興帝が休息を取った場所と言われるようになった九龍湾に面した標高35mほどの小高い山が、誰ともなしに「聖山」、「宋王台」と呼ばれるようになった。
後年、石碑が建てられ歴史に犠牲になった二人の幼君を偲ぶ場所として知られるようになった。現在ある石碑は「清嘉慶丁卯重修」とあるため1807年に再建されたものである。
香港が英国の植民地になってから、周辺が採石場となったが、住民の請求によって宋王台の保全が唱えられ、1896年に「宋王台条例」が制定され史跡となった。しかし第2次世界大戦のとき日本軍が香港を占領した。1942年に日本軍は啓徳空港の拡張工事のために「宋王台石碑」のある聖山を破壊した。しかし、完全に破壊する前に1945年に終戦を向かえ、宋王台は残った。
第2次世界大戦後にも英国の香港総督府は啓徳空港が、空港の拡張計画を止めずに、香港啓徳空港として運用されたため、宋王台の石碑は馬頭圍の宋王台花園(1960年開園)に移設されて今に至る。このときに石碑は元来の3分の1の大きさにまで縮小していた。
香港国際空港がランタオ島開港し啓徳空港が廃港になった近年では、宋王台石碑を当初の場所に戻す計画も取りざたされている。
[編集] 宋皇台通り
宋王台花園の前のとおりは「宋皇台通り」である。宋王台は当初は「宋皇台」だったがフビライが「宋王台」に改めさせたという説がある。それに従い「宋皇台通り」と命名された。


