宝田明

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たからだ あきら
宝田明
生年月日 1934年4月29日(75歳)
出生地 日本領朝鮮・咸鏡北道
民族 日本人
ジャンル 映画俳優
活動期間 1954年-
主な作品
ゴジラ

宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は日本映画俳優タレント日本映画の黄金期である昭和30年代、東宝を代表する二枚目スターであった。

目次

[編集] 来歴・人物

朝鮮咸鏡北道清津府(現:朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道清津市)生まれ[要出典]。父は朝鮮総督府鉄道技師であったが、2歳の頃南満州鉄道(満鉄)に転勤の為、満州へ移る。終戦後、ハルピンから引き揚げ中国語英語を話す。

1954年(昭和29年)、東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタート。特撮映画の金字塔である『ゴジラ』で初主演を果たす。長身・美形の二枚目俳優として東宝映画の若手トップスターとなり、数多くの映画に主演した。1959年に、日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子と結婚し、2人の女子をもうけたが後に離婚。長女は1991年に『ジプシー』が大ヒットした歌手・女優の児島未散

1960年代は、東宝と香港のキャセイ・フィルムとの合作映画(『香港の夜』他)で、香港の女優・尤敏(ユーミン)とコンビを組んで、香港、台湾など、アジア地域で絶大な人気を博した。1961年には小津安二郎監督が東宝で撮った映画『小早川家の秋』にも出演している。

特撮(怪獣)映画には『ゴジラ』の翌年の『獣人雪男』以来疎遠だったが、1964年の『モスラ対ゴジラ』の主演で復帰。以後も昭和から平成まで多く出演し、日本の特撮映画に欠かせないスターの一人である。また映画斜陽期以降はミュージカルの世界にも活動の場を広げ、日本におけるミュージカル俳優の草分け的存在でもある。明るく華やかな雰囲気は日本の男優としては珍重すべきものであり、映画では『100発100中』の、のっけからフランス語のセリフで入り、ヒーローなのか悪人なのか分からないまま終わるキャラクターなど持ち味を存分に発揮している。

また、ミス・ユニバース日本代表選出大会の司会を1991年まで担当していた。

1980年東京都中野区江古田に日本初のミュージカル俳優養成学校、宝田芸術学園を開校(1983年5月末で閉鎖)。

近年は、にやけた気障な二枚目というキャラを逆手に取り、新しい境地を開拓している。

2008年7月29日首都高速道路を制限速度を64km上回る、時速124kmで運転していたとして道路交通法違反容疑で検挙された。この件は同年の10月1日に発覚したが、翌日の会見で「次の現場に行く時に、スピードを出し過ぎることはしょうがない」「素直に2〜3カ月免停されて、講習2日ぐらい行けば、免停期間がまた少なくなるのはいいですよね」「人を殺めたとか、誰にも迷惑をかけたわけじゃない」と謝罪もせずに開き直った態度を見せ、世間の批判を浴びた。

[編集] 出演

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ほか多数

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最終更新 2009年8月2日 (日) 11:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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