宮城郡

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宮城郡(みやぎぐん)は、陸前国(もと陸奥国)、宮城県に属するである。宮城県の名はこの郡に由来する。

人口69,486人、面積112.06km²、人口密度620人/km²。(2009年10月1日、推計人口

宮城郡県内位置図
1.松島町 2.七ヶ浜町 3.利府町

もとは奥羽山脈から太平洋まで、今の仙台市の大部分、多賀城市塩竈市を含む東西に細長い領域であった。2005年現在の人口は69,518人、面積112.06 km²。

現在は以下の3町を含む。

目次

[編集] 歴史

8世紀までに作られたと推測され、文献初見は『続日本紀』の天平神護2年(766年)11月1日である。郡の中では南小泉遺跡に集落が形成され、平安時代、中世まで集落・町があった。その周りの広瀬川七北田川にはさまれた地域には、条里制が敷かれ、水田が広がっていた。陸奥の国府は、おそらく724年(天平宝字6年)に名取郡郡山遺跡がある所から宮城郡北部の多賀(今の多賀城市)に移った。多賀城の外には都市的な街区が広がった。陸奥国分寺・国分尼寺は、南小泉遺跡に近い位置に置かれた。785年(延暦4年)に東部に多賀郡と階上郡を分けたが、しばらくして元に復した。『和名抄』が記す郷の数は10で、陸奥国の中では白河郡の17と磐城郡の12に次いで多い。

鎌倉時代にも多賀国府は存続したが、中心地はやや西の岩切付近に移ったと考えられている。鎌倉時代の初めに伊沢家景が陸奥国の留守職として国府で政務をとり、留守氏を名乗って宮城郡北部に根を下ろした。

南北朝時代には、南北両朝や北朝内部の対立で多賀国府が争奪の的になった。国府が位置する宮城郡の北部は留守氏が占めていたが、その勢威は、国府から陸奥国全土の武士に号令をかける北畠顕家奥州探題諸氏と肩を並べるようなものではなかった。郡内の南部・西部の勢力としては、南朝に属して戦った大河戸氏、国分寺郷に拠った国分氏、陸奥介氏の後裔八幡氏が知られる。

国府が機能を失い、奥州探題大崎氏が北に去った後、戦国時代の宮城郡は南部が国分氏、北部が留守氏の支配地に分かれた。やがて伊達氏の影響力が南から伸び、両氏とも伊達氏から養子を迎えてその一門に組み込まれた。伊達氏から入った留守政景国分盛重は、伊達政宗の武将として活躍した。豊臣秀吉が全国を統一すると、奥羽仕置によって留守氏は取り潰し、国分氏は伊達氏の家臣としてそのままとなり、結果的には両人とも正式に伊達氏の家臣となった。その後、留守政景は政宗によって領地を移され、国分盛重は追放され、留守・国分ともに宮城郡の土着勢力ではなくなった。戦国時代の宮城郡は政宗の勢力の北限に近かったが、奥羽仕置を経て伊達氏の領国が北にずれると、領国の中央やや南寄りに位置するようになった。

1601年(慶長6年)に、伊達政宗が宮城郡内の仙台に居城を築き、本拠とした。宮城郡を地理区分として再確定したのは仙台藩だが、行政上の区分としては宮城郡を使わなかった。宮城郡のうち城下町を除いた地域は、高城・陸方・浜方・国分に分けられた。このうち陸方・浜方・国分は塩竈・原町の代官所の支配を受け、その代官は南方郡奉行の下にあった。宮城郡高城と黒川郡大谷は高城の代官所の支配を受け、これは北方郡奉行の下にあった。

仙台藩は城下への水運もかねて堀をめぐらせ、排水による低湿地の開発を進めて仙台平野の全域を水田地帯に変えた。大藩の城下町として仙台も発展し、周辺もその影響を受けた。宮城郡78か村の表高は4万7578石6斗3升であった[1]

明治時代に陸奥国が分割されると、宮城郡は陸前国の一部になった。宮城郡は大区小区制の下ではじめ単独で宮城県の第二大区となり、1876年(明治9年)に名取郡黒川郡とともに第二大区を構成した。1888年(明治11年)の郡区町村編制法の施行に際し、宮城郡の郡役所は当時の南目村、以前の原町代官所に置かれた。市制町村制が敷かれた1889年(明治22年)に、仙台市を除いた宮城郡の人口は合計6万0518人あった。

1926年(大正15年)に郡役所は廃止され、郡内の町村は宮城県に直結した。しかし、1942年(昭和17年)に宮城県は宮城郡と黒川郡を管轄とする宮城黒川地方事務所を置き、郡役所の機能を実質的に代替させた。

[編集] 明治以後の沿革

  • 1874年(明治7年)大区小区制のもとで、宮城県の第二大区になった。
  • 1878年(明治11年)郡区町村編制法により仙台区が宮城郡より分立した。
  • 1889年(明治22年)
  • 1897年(明治30年)9月7日 泉嶽村が根白石村に改称した。
  • 1928年(昭和3年)
    • 1月1日 松島村が町制施行して松島町となった。(3町11村)
    • 4月1日 原町、七郷村南小泉の一部が仙台市に編入された。(2町11村)
  • 1931年(昭和6年)4月1日 七北田村荒巻、北根を仙台市に編入。(2町11村)
  • 1941年(昭和16年)
    • 9月15日 七郷村、高砂村、岩切村が仙台市に編入された。(2町8村)
    • 11月23日 塩竈町が市制施行して塩竈市となった。(1町8村)
  • 1950年(昭和25年)4月1日 浦戸村が塩竈市に編入された。(1町7村)
  • 1951年(昭和26年)7月1日 多賀城村が町制施行して多賀城町となった。(2町6村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月1日 大沢村と広瀬村が合併して宮城村となった。(2町5村)
    • 4月1日 名取郡秋保村新川を宮城村に編入。(2町5村)
    • 4月10日 七北田村と根白石村が合併して泉村となった。(2町4村)
  • 1957年(昭和32年)8月1日 泉村が町制施行して泉町となった。(3町3村)
  • 1959年(昭和34年)1月1日 七ヶ浜村が町制施行して七ヶ浜町となった。(4町2村)
  • 1963年(昭和38年)11月3日 宮城村が町制施行して宮城町となった。(5町1村)
  • 1967年(昭和42年)10月1日 利府村が町制施行して利府町となった。(6町)
  • 1971年(昭和46年)11月3日 多賀城町が市制施行して多賀城市となった。泉町が市制施行して泉市となった。(4町)
  • 1987年(昭和62年)11月1日 宮城町が仙台市に編入された。(3町)


明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
原ノ町 原ノ町 昭和3年4月1日
仙台市に編入
仙台市 仙台市 仙台市
七郷村 七郷村 昭和3年4月1日
一部を仙台市に
昭和16年9月15日
仙台市に編入
岩切村 岩切村 岩切村
高砂村 高砂村 高砂村
大倉村 大沢村 大沢村 昭和30年2月1日
宮城村
昭和30年4月1日
名取郡秋保村大字新川を編入
昭和38年11月3日
町制
昭和62年11月1日
仙台市に編入
芋沢村
作並村 広瀬村 広瀬村
熊ヶ根村
上愛子村
下愛子村
郷六村
泉嶽村 明治30年9月7日
根白石村
根白石村 昭和30年4月10日
泉村
昭和32年8月1日
町制
昭和46年11月3日
市制
昭和63年3月1日
仙台市に編入
七北田村 七北田村 昭和6年4月1日
一部を仙台市へ
塩竈町 塩竈町 昭和16年11月23日
市制
塩竈市 塩竈市 塩竈市 塩竈市
浦戸村 浦戸村 浦戸村 昭和25年4月1日
塩竈市に編入
松島村 松島村 昭和3年1月1日
町制
松島町 松島町 松島町
多賀城村 多賀城村 昭和26年7月1日
町制
昭和46年11月3日
市制
多賀城市
多賀城市
七ヶ浜村 七ヶ浜村 七ヶ浜村 昭和34年1月1日
町制
七ヶ浜町 七ヶ浜町
利府村 利府村 利府村 昭和42年10月1日
町制
利府町 利府町

[編集] 郡長[2]

  1. 菅克復 - 1878年(明治11年)10月22日 - 1883年(明治16年)2月20日
  2. 入間川重遠 - 1883年(明治16年)2月20日 - 1883年(明治16年)6月18日
  3. 小笠原幹 - 1883年(明治16年)6月18日 - 1885年(明治18年)1月9日
  4. 竹尾高克 - 1885年(明治18年)2月2日 - 1886年(明治19年)8月31日
  5. 十文字信介 - 1886年(明治19年)8月25日 - 1890年(明治23年)5月2日
  6. 大立目謙吾 - 1890年(明治23年)5月2日 - 1892年(明治25年)11月4日
  7. 大童信太夫 - 1892年(明治25年)11月4日 - 1898年(明治31年)12月26日
  8. 林信 - 1898年(明治31年)12月26日 - 1900年(明治33年)7月5日
  9. 辰野宗治 - 1900年(明治33年)7月5日 - 1902年(明治35年)9月2日
  10. 八乙女盛次 - 1902年(明治35年)9月2日 - 1909年(明治42年)7月5日
  11. 高岡松郎 - 1909年(明治42年)7月5日 - 1914年(大正3年)12月28日
  12. 清野喜三衛門 - 1914年(大正3年)12月28日 - 1920年(大正9年)7月23日
  13. 本田竜助 - 1920年(大正9年)7月23日 - 1922年(大正11年)4月12日
  14. 戸田元太郎 - 1922年(大正11年)4月12日 - 1923年(大正12年)1月17日
  15. 森田専七郎 - 1923年(大正12年)1月17日 - 1924年(大正13年)10月5日
  16. 糟屋哲郎 - 1924年(大正13年)10月5日 - 1926年(大正15年)6月30日

[編集] 脚注

  1. ^ 『宮城県史』復刻版第2巻52頁。
  2. ^ 『宮城町誌』本編(改定版)123-124頁。竹尾高克の退任と十文字信介の就任の日付のずれの意味は不明。

[編集] 参考文献

  • 宮城県史編纂委員会『宮城県史』(2、近世史)、ぎょうせい、復刻版1987年。原著は1956年に宮城県史刊行会が発行。
  • 仙台市「宮城町誌」改訂編纂委員会『宮城町誌』本編(改定版)、仙台市役所、1988年。初版は宮城町誌編纂委員会『宮城町誌』本編、1969年。

最終更新 2009年10月26日 (月) 09:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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