宮崎正裕

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 宮崎 正裕(みやざき まさひろ、1963年2月5日 - )は、日本剣道家(教士八段)・元剣道日本代表・神奈川県警察警察官。現在神奈川県警察教養課勤務、警部。特別術科訓練剣道師範・監督。

目次

[編集] 概要

 1990年 - 2001年まで12年連続で全日本剣道選手権大会に出場し、優勝6回・準優勝2回(内、2連覇2回。1996年 - 2000年の5年間、決勝に進出し続けた)の偉業を成し遂げる。また世界剣道選手権大会団体優勝4回・個人優勝1回、全国警察剣道大会優勝2回、全国警察剣道選手権大会優勝6回・準優勝1回・第三位3回(内、3連覇1回・2連覇1回)、国民体育大会(剣道競技)団体優勝1回・第三位2回、全日本選抜剣道七段選手権大会優勝5回・準優勝3回など、戦後の剣道史上最高・最多の戦績を残した。新記録を樹立し続け、それを塗り替えていったことから、「平成の剣豪」・「平成の超人」・「剣道界の鉄人」・「努力の天才剣士」などと称される。宮崎が初出場初優勝を果たした当時の全日本剣道選手権大会は現在と異なり段による出場制限があったため、宮崎は六段を取得するまで出場できなかった。初優勝の翌年も優勝し、それまで長く続いてきた「全日本剣道選手権は連覇できない」というジンクスを史上初めて打ち崩したことでも有名。この記録は現在でも破られていない。数々の実績をあげても決しておごらず、常に自然体で臨む姿勢が高く評価されている。
 全日本剣道選手権大会神奈川県予選には2001年を最後に参加せず、選手とコーチを兼任していた。2003年10月の全国警察剣道選手権大会での3回戦敗退(対 米屋勇一戦)を最後に現役引退し、以降はコーチに専念。 現在は師範としても数々の指導実績をあげている。実弟は宮崎史裕(現在神奈川県警察警察官)。ライバルは石田利也(現在大阪府警察警察官・大阪府警察特別術科訓練剣道師範)。

[編集] 経歴

  (1年時からレギュラーになり、3年時にインターハイ県予選で個人・団体共に優勝しインターハイ出場。国民体育大会等にも出場)

  (剣道競技者の同賞受賞は、1960年(昭和35年)第9回の中村太郎以来、37年ぶり2人目)

  (オリンピック出場選手以外の同賞受賞は史上初)

[編集] 戦績

[編集] 全日本剣道選手権大会

【決勝】対 白川雅博 (東京) メメ
【決勝】対 栄花英幸 (北海道) メメ
  • 1992年 - 第40回 3回戦敗退 〈対 稲富政博(佐賀)〉
  • 1993年 - 第41回 優勝
【決勝】対 宮崎史裕 (神奈川) メ
  • 1994年 - 第42回 準々決勝敗退 〈対 田島稔(東京)〉
  • 1995年 - 第43回 3回戦敗退 〈対 高橋英明(京都)〉
  • 1996年 - 第44回 優勝
【決勝】対 原田悟 (東京) コ
【決勝】対 江藤善久 (大阪) メ
【決勝】対 江藤善久 (大阪) メメ

[編集] 世界剣道選手権大会

団体戦
個人戦
【決勝】対 宮崎史裕 (神奈川) コ

[編集] 全国警察剣道大会(団体戦)

[編集] 全国警察剣道選手権大会(個人戦)

1985年 - 2003年まで19年間連続出場。全国警察剣道選手権大会全日本剣道選手権大会を同じ年に制した選手は、中村太郎(神奈川県警)〈'55〉・中村毅(警視庁)〈'70〉・宮崎正裕(神奈川県警)〈'91・'96・'99〉・内村良一(警視庁)〈'06〉のみ)

[編集] 国民体育大会(団体戦・剣道競技)

  • 1998年 - 優勝(かながわゆめ国体)
  • 2003年 - 3位(NEW!!わかふじ国体)
  • 2004年 - 3位(彩の国まごころ国体)

1987年 - 2005年まで19年間連続出場)

[編集] 全日本選抜剣道七段選手権大会

  • 優勝5回・準優勝3回

2006年までの戦績。全日本選抜剣道七段選手権大会は2007年以降中止。)

[編集] 指導実績(2003年~)

全国警察剣道大会
全国警察剣道選手権大会
全日本剣道選手権大会
全国青年大会(剣道)

[編集] 人物

  • 寛政中学1年生の時に初段の昇段審査を受験するが4度連続で落ちる。中学2年生の時に5度目の挑戦でようやく初段を取得する。(玄武館坂上道場の同期の中で最も遅かった)。
  • 中学校の廃部寸前の剣道部に所属し部員勧誘に奔走するが、結局部員は2人しか集まらず、体育館も使用させてもらえなかったため教室で稽古を重ねる。
  • 東海大学付属相模高等学校に進学し毎日朝夕4時間の稽古を重ねる。片道2時間の通学にもかかわらず、3年間の稽古を皆勤で通す。また、他人の稽古を観察する見取り稽古に努め、弱点や攻め方を分析しノートに記録しており、非常に研究熱心な性格だった。
  • 筑波大学スポーツ医学研究室の調査結果によると、宮崎は左足関節の底屈力と打突スピードの能力が異常に高い。
  • 宮崎への賛辞は数多く存在し、松永政美全日本剣道連盟元理事をして「宮崎の前に宮崎なく、宮崎の後に宮崎なし」とも言われている。
  • 二度の連覇、合計六度の全日本制覇等数々の実績を打ち立てられたことについて宮崎自身は「大きな怪我をしなかったから」・「六回の優勝よりも五年連続決勝戦進出のほうが誇り」と言っている。優勝については「勝負は自分の力、応援してくれる人、先生・先輩、自分を取り巻く総合力で勝つと思ってきた」・「優勝は狙わないと無理。狙ってもなかなかできないが、狙わないと絶対できない」とも述べている。
  • 「練習への取り組み方」についてとことん研究し、「自分にしかできない、自分の良さを発見することにこだわった」。
  • 宮崎は、強くなることの条件について「まず自分が努力すること・環境に恵まれること・良き師にも恵まれること」の三点を挙げている。また、強くなる人に共通する人間的資質については「努力する、よく練習するというのは当たり前として、人の話をよく聞くこと。『強くなりたい』という強い気持ちを持ちながら、素直に周りの人の助言に耳を傾ける姿勢を持つ」ことと述べている。
  • 自身については「まだ何もつかめていない。真っ暗なトンネルの入り口でうろうろしている状態」であり、「打たれて学ぶことが多く、思い通りの打ちが決まれば嬉しいし打たれれば参ったと思う。今は打った打たれたを素直に受け止められる」と述べている。
  • 現在の宮崎の抱負は、「後輩達に自分が教えられることは全て伝えていき、自分以上の選手を育てることで自分を強くしてもらった恩返しをすること」。

[編集] 書籍

  • 『宮崎正裕の剣道』(月刊『剣道日本』編集部著、スキージャーナル
  • 『天馬よ 剣道宮崎正裕』(堂本昭彦著、体育とスポーツ社)
  • 『敗因の研究』(「勝ち慣れのスキ 剣道日本一6回、宮崎正裕が弟に敗れた時」)(日本経済新聞運動部編、日本経済新聞社
  • 『新ライバル物語③』(「剣の道にかける兄弟の葛藤-兄 宮崎正裕vs弟 宮崎史裕」)(産経新聞社03年~04年連載「競う-ライバル物語」から抜粋単行本化、柏書房
  • 月刊『致知』2007年1月号(特集:心を養い生を養う)(致知出版社
  • 月刊『剣道時代』2003年6月号(表紙インタビュー)(体育とスポーツ社)
  • 月刊『剣道日本』2008年3月号(表紙インタビュー)(スキージャーナル
  • 月刊『剣道時代』2009年8月号(小林英雄氏との対談)(体育とスポーツ社)

[編集] 新聞記事

  • 『読売新聞』夕刊   1997年4月24日(「転換点」)(読売新聞社
  • 『読売新聞』     1999年12月22日(読売新聞社
  • 『日本経済新聞』夕刊 2008年2月12日~2月13日(「駆ける魂」)(日本経済新聞社

[編集] ビデオ・DVD

  • 『勝者の戦術 第39回全日本剣道選手権』(スキージャーナル)
  • 『好勝負十七番 第49回全日本剣道選手権大会』 スキージャーナル
  • 『全日本剣道選手権大会総集編 1996~1999』(NHKエンタープライズ
  • 『全日本剣道選手権大会総集編 2000~2003』(NHKエンタープライズ)
  • 『最強七段戦 第15回全日本選抜剣道七段選手権大会』(スキージャーナル)
  • 『にんげんドキュメント ただ一撃にかける』 (NHKエンタープライズ)

[編集] TV 


[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月22日 (日) 04:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【宮崎正裕】変更履歴

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