宮本浩次 (エレファントカシマシ)

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宮本浩次
基本情報
別名 みやじ
出生 1966年6月12日(43歳)
血液型 O型
学歴 東京国際大学卒業
出身地 東京都北区赤羽
ジャンル ロック
職業 ロックバンド
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1981年 -
レーベル ユニバーサルミュージック
事務所 フェイスミュージックエンタテインメント
共同作業者 エレファントカシマシ
影響 RCサクセション
THE STREET SLIDERS
ディープ・パープル
レインボー
ドアーズ
レッド・ツェッペリン
ローリング・ストーンズなど
公式サイト ElephantKashimashi/Top
  

宮本浩次(みやもと ひろじ、1966年6月12日 - )は日本ミュージシャン

ロックバンドエレファントカシマシ」のボーカルギターを担当(自称・総合司会)。東京都北区赤羽出身。高輪高等学校東京国際大学卒業。血液型はO型。独身。

目次

[編集] 経歴

10歳のとき、NHK東京児童合唱団に所属。宮本浩次名義の「はじめての僕デス」でソロレコードデビュー。10万枚のヒット。同曲は後にザ・ドリフターズ加藤茶もカバーした。 宮本の「はじめての僕デス」は当時競作で2種類のシングルレコードが発売された。ビクター盤(KV-41)のB面のタイトルは「ゴクロウサン」(こちらは東京放送児童合唱団名義)であり、後にエレファントカシマシが偶然同名の楽曲を発表する。ポリドール盤(DQ-1004)のB面曲は「ドラキュラのうた」(歌:クニ河内)。

中学時代、友人とバンド「エレファントカシマシ」結成。

1988年、シングル「デーデ」でメジャーデビューを果たす。

セールス低迷で当時のレコード会社から契約を切られる。

1997年、シングル「今宵の月のように」がドラマタイアップもあり70万枚のヒット。アルバム「明日に向かって走れ-月夜の歌-」もミリオン突破。

レコーディング風景をドキュメンタリーで撮影された「扉の向こう」が上映され、後にDVD化される。

[編集] 人物

  • 好きな音楽は幼少時クラシック、主にベートーヴェンなどを聴いてきたが、中学に入ってから、同級生で後にエレファントカシマシのドラムスを担当する冨永義之に薦められロックを聴き始め、ディープ・パープルレインボードアーズ、レッド・ツェッペリンなどを好む。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに感銘を受けたことも公言している。
  • 幼少時は流行歌、歌謡曲も好んで聴いており、当時隆盛のラジオのベストテン番組を熱心に視聴していたと語る。
  • 小学生時代から目立ちたがり屋で、学芸会の主役に立候補するなど積極的な性格であったが、高学年になると周囲から疎ましがられるようになり、遊びの仲間に入れてもらえなくなったという辛い経験をもつ。この経験は現在でもトラウマであるらしく、アルバム『俺の道』に収録された「ロック屋(五月雨東京)」という曲の歌詞にも表現されている。
  • 趣味は散歩、将棋、読書で文学をこよなく愛する。好きな作家は森鴎外太宰治夏目漱石永井荷風など。また将棋棋士加藤一二三のファンでもある。
  • タモリ倶楽部』で古地図マニアであることが判明。また浮世絵急須火鉢などの日本古来のものを好み、急須以外は歌詞にも登場している。
  • 生まれ育った地元である赤羽には郷土愛が強い。エレファントカシマシのアルバム「浮世の夢」のジャケットは赤羽一番街商店街で、大ヒットシングル「今宵の月のように」のプロモーション・ビデオの一部は赤羽の荒川土手で撮影。
  • 歌番組のトークでは他のメンバーが口を挟む隙が無い程、常に喋り続けている。髪をぐしゃぐしゃにかき上げる仕草や、挙動不審なしゃべり方でお茶の間の人気を得、歌番組以外にも数回出演した。しかし、EPIC・ソニーに所属していた頃はテレビ出演もライブでのMCもほとんどなく、雑誌等のインタビューでも無口・無愛想を貫くキャラクターであった。1992年頃、何の前触れもなくライブで突然フレンドリーなMCをしはじめたときには、客席から「宮本ぉー、何があったのか言え!」との声が飛んだという。(書籍『風に吹かれて』参照)
  • 浜田雅功と歌番組で共演したことがきっかけでTBS系ドラマ「Friends」出演を果たす(映像は現在でも未発売)。浜田が「何回頭どついたことか」と発言するほど撮影では相当な数のNGを出しており、その原因の多くは髪をかき上げる、手を動かしながらセリフを言うなどであったという。[1]
  • アルバム「扉」の収録時期にそれまで住んでいた高級マンションとポルシェを売り払っている。これは金銭面の管理を任せていた人間に持ち逃げされたためである。
  • 2009年4月18日に宮本が出演した「TOYOTA SOUND IN MY LIFE」(TOKYO FMの生放送番組)で、DJの鈴木万由香がアルバム『昇れる太陽』に対する個人的な感想を述べたところ、表現が気に食わなかったのか(一応は褒めているものの、落としてから上げる褒め方だった)宮本が激怒し、DJに暴言を吐き問題となる。後日、宮本、DJの鈴木、共に謝罪文をウェブに発表している[2][3]。なお、DJの鈴木はこの出来事が発端となり同年6月27日放送分をもって降板となった。
  • 文学や骨董品だけでなく、ゲームなども好むようで、『ドラゴンクエストV』の結婚相手の相談などで蔦谷好位置からメールを受けていた。悩みに悩んだ結果、宮本はビアンカを選択した(宮本はデボラを「あばずれのような女」「ハッキリものを言うからへこむ」などと評した)。
  • 』がつくヘビースモーカーであり、何度も禁煙をしようとしては失敗している。レコーディングなどでスタジオに缶詰めになる際には100本近く吸うとのこと。その反面酒類を好まず、ビールを嗜む程度である。

[編集] 著書

[編集] TV.CM出演(バンド以外)

[編集] DVD

  • 扉の向こう
37歳になった宮本浩次をアルバム「扉」のレコーディング風景などから密着したドキュメンタリー作品。

[編集] 脚注

  1. ^ フジテレビHEY!HEY!HEY!」2000年3月6日放送分より
  2. ^ 宮本の謝罪文
  3. ^ 鈴木の謝罪文

最終更新 2009年11月25日 (水) 12:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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