富士松魯中

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富士松 魯中(ふじまつ ろちゅう)は、新内節(ただし初代が活躍した当時は富士松派は鶴賀新内の鶴賀派と疎遠状態だった為に新内節とは言わず富士松節と称した)の太夫の名跡

[編集] 初代

寛政9年(1797年) - 文久元年6月20日1861年7月27日))本名は野中彦兵衛。俳名は魯中。

新内節中興の祖と称される新作浄瑠璃の作品を多く残した名人。

2代目鶴賀鶴吉の門弟で鶴賀加賀八太夫。2代目鶴吉の娘ひでとの浮気問題で鶴賀派と破門になり疎遠となる。長らく途絶えていた富士松派を再興し初代富士松加賀太夫と名乗る。後に俳名を用いて富士松加賀太夫魯中さらに富士松魯中と名乗り3代目富士松派家元となった。

新内派から疎遠だったために従来の新内を語る事が出来ず、新作の発表に専念。主な作品に「真夢」「弥次喜多」等がある。

長男が2代目魯中。

[編集] 2代目

嘉永5年(1852年) - 明治29年(1896年11月29日)本名は野中福太郎。

初代魯中の長男。弟が5代目富士松加賀太夫。富士松島太夫が1893年に2代目魯中を襲名。弟5代目加賀太夫没後6代目加賀太夫を襲名。

最終更新 2009年6月27日 (土) 15:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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