富沢町
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富沢町(とみざわちょう)は、山梨県南巨摩郡に存在した町。町名は、富河村と万沢村の合併から命名。
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[編集] 地理
県西南端、郡南端に位置。村域の大半が山林。北東端を富士川が流れ、並行して国道52号が走る。南巨摩郡南部町、赤石山脈を境に静岡県静岡市、清水市、富士郡芝川町と接する。静岡方面への通勤者も多く、文化的な影響も強い。
[編集] 歴史
富士川流域は県内では八ヶ岳山麓と並び旧石器時代の遺跡が分布する地域であるが、富士川左岸の万沢に立地する天神堂遺跡は、ナイフ形石器や石焼き調理に使ったと考えられている焼けた礫群が発見されたことで知られる。
律令制下には巨麻郡川合郷に属す。中世には南部郷に属する地域が波木井氏の支配下にあったと考えられている。河内地方は甲斐国守護武田氏の一族穴山氏が領し、戦国時代には駿河国との国境にあたる富沢地域には万沢口に穴山家臣の万沢氏が館を構えて国境警備にあたり、駿州往還(河内路)の宿駅機能を持った。天文4年(1535年)には武田信虎が駿河攻めを行い、町域で今川氏との合戦が行われる。真篠の真篠砦は戦国末期の砦跡で、武田氏の狼煙台であったという(『南巨摩郡誌』)。
近世には巨摩郡西河内領で、3箇村が見られる。万沢には口留番所が置かれ、同じく番所の置かれた対岸の南部と結ぶ渡舟場があり、富士川水運でも栄える。山間部で耕地には乏しいが、河内地方は温暖多雨な地域で森林資源に富み、主用産業の林業のほか三椏や楮を栽培して紙漉きを行う。近年は観光業に移行し、タケノコの産地や茶栽培でも知られる。
[編集] 行政区域の変遷
- 1874年(明治7年) - 福士、楮根、万沢の3箇村が合併して富河村が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。万沢が分離して独立。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 富河村と万沢村が合併して富沢町が成立。
- 2003年3月1日 - 南部町と合併。
[編集] 文化財
福士の最恩寺仏殿(室町時代)は入母屋造の禅宗様建築で、厨子や棟札とともに国の重要文化財に指定されている。また、所蔵する絹本穴山勝千代画像は県指定文化財。また、福士の金山神社のイチョウや顕本寺のオハツキイチョウは県指定天然記念物。



