寺尾正大

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寺尾 正大(てらお まさひろ、1942年2月 - )は、日本の警察官(ノンキャリア)。最終階級は警視長。警視庁刑事部捜査第1課長、警視庁生活安全部長を歴任。新潟県新潟市出身。

目次

[編集] 人物

オウム真理教事件、また日本史上最悪の無差別テロ事件として有名な地下鉄サリン事件の発生当時の警視庁刑事部捜査第1課長であり、事件発生前は東京地検や警視庁公安部との調整に追われ、オウムの捜査指揮に追われ歴代1課長のなかでもとりわけ激務であった。しかし、その後、遂に地下鉄サリン事件が勃発し、オウムへの追及が最高潮に達したことで今度はマスコミにも追われるはめとなる。

佐々淳行の秘書役経験がある。土田国保警務部長宅爆破事件当時、寺尾は佐々夫人に「(次に狙われるのは佐々さんなので)お気を付けください」と電話。

警部から捜査第1課に勤務し、ノックアウト強盗事件、無尽蔵殺人事件ロス疑惑トリカブト殺人事件などの難事件を指揮して解決させた。

鑑識課長になりたての頃、「指紋の神様」と呼ばれた塚本宇兵に「FBIはすごいよ。何年も前の痕跡から血液を検出してしまうんだよ」と言って「わたしたちなら、そこから隆線だって採れる」と言われる。

ちなみに警視庁刑事部捜査第1課長はノンキャリア用の役職であるものの、警務、総務、警備、公安、交通畑などの出身で刑事経験のない人物や、刑事畑出身でも捜査第1課経験のない人物が就任するケースが少なくない。寺尾自身も生え抜きの刑事ではないものの、指揮官として通算9年間捜査第1課に勤務し、その度に難事件を指揮、解決してきており、歴代1課長の中でも名指揮官として高く評価されている。また警視庁首脳・警視庁警務部・警視庁総務部などとのパイプが太く、人事・予算の獲得が得意であった。

[編集] オウム事件

捜査第1課長に就任した1995年2月28日に目黒公証人役場事務長拉致事件が発生(翌日に被害者が死亡)。オウム真理教が東京で起こした最初の事件だった。警視庁はオウム真理教教団施設への一斉捜索を準備。当時は異例中の異例であった、自衛隊との連携捜査を実施、オウム真理教第6サティアンのあった上九一色村への捜査員派遣、制圧作戦、封鎖作戦の全面指揮を執った。

オウム一斉捜索が捜査第1課担当となり、寺尾は佐々淳行に教示を仰ぎに行く。佐々は「これは三千名の機動隊を使う大警備実施だ。佐々が私服三百ではダメだ。警備局がやれといったといって君はその任務断れ。俺が手配して制私服合同の警備実施やらせる」と言い、警察庁・警視庁幹部と後藤田正晴に連絡。後藤田は「圧倒的兵力で殉職者を出さんような警備をやれ」と指示。捜索は機動隊・捜査第1課などの1千五百名の捜査第1課長指揮事件となった。察知したオウム真理教は先手を打って3月20日に地下鉄サリン事件を起こすが、22日に予定通り一斉捜索を実施。

この際、サティアン内に潜んでいた教祖の麻原彰晃こと松本智津夫を捕縛・確保・逮捕した現場捜査前線本部の指揮も執っている。

その後は公安部とも連携し、一連のオウム騒動の首謀者、サリン事件の実行犯の洗い出しに尽力。最重要容疑者として全国に指名手配をかけ平田、菊地、高橋を最重要追尾捜索被疑者として追った。

また、オウム真理教に関してはかねてより東京地検との合同捜査を行っていたが、地下鉄サリン事件発生直前日には、東京地検幹部を尋ねて「我々が麻原を逮捕したらすぐに教団全部を起訴して欲しい。絶対に無罪にはさせないでくれ」という密約も結んでいる。

[編集] 経歴

  • 1964年新潟大学人文学部卒
  • 1966年警視庁巡査拝命
  • 上野警察署
  • 築地警察署警備課公安係。
  • 麻布警察署刑事課捜査係長となり、最初の刑事経験。
  • 警視庁刑事部捜査第1課強盗犯捜査係長となり、最初の捜査第1課経験。
  • 警視庁刑事部捜査第1課殺人犯捜査第9係長。
  • 丸の内警察署刑事課長。
  • 警視庁刑事部捜査第1課管理官。
  • 神田警察署副署長。
  • 警視庁刑事部捜査第1課理事官。
  • 光が丘警察署長
  • 警視庁刑事部鑑識課長
  • 警視庁刑事部捜査第1課長、在職中警視正に昇進。
  • 新宿警察署長
  • 警視庁生活安全部長。

[編集] 寺尾正大を演じた俳優

  • 滝田栄 - 『オウムVS警察 史上最大の作戦』

[編集] 参考文献

  • 「捜査一課秘録」- 三沢明彦著 光文社

最終更新 2009年11月9日 (月) 12:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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