グナエウス・ポンペイウス・ミノル

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グナエウス・ポンペイウス・マグヌス)(Gnaeus Pompeius (Magnus), 紀元前75年頃 - 紀元前45年4月12日)は、共和政ローマ末期の軍人。同名の父グナエウス・ポンペイウス(以下、大ポンペイウスと表記)と区別するため小ポンペイウスラテン語では(グナエウス・ポンペイウス・マグヌス・ミノル((Gnaeus) Pompeius (Magnus) minor)とも称される。

[編集] 生涯

小ポンペイウスは大ポンペイウスとその3番目の妻・ムキアの間に生まれ、セクストゥス・ポンペイウスは父・母を同じくする弟であった。

紀元前49年、大ポンペイウスがガイウス・ユリウス・カエサルとの内戦に突入すると、小ポンペイウスも父に従って東方属州へと向かった。紀元前49年8月、ファルサルスの戦いで大ポンペイウス率いる元老院派が敗退した後は、父と別れてアフリカ属州の州都ウティカへと逃れた。

大ポンペイウスがエジプトで殺害された後、クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ小カトーら元老院派と共に戦線の再構築を図ったものの、紀元前46年4月にタプススの戦いで敗北した。メテルス・スキピオや小カトーは共に敗死したが、小ポンペイウスはバレアレス諸島へ逃れて、同じく落ち延びたティトゥス・ラビエヌスや弟・セクストゥスらと合流した。

ヒスパニアに上陸してヒスパニアの原住民を懐柔して戦力化すると共に元老院派の残兵を糾合して軍を組織した小ポンペイウスらは、ヒスパニア属州の州都コルドバを含むヒスパニアのほぼ全土を勢力圏に入れた。

紀元前45年3月17日、元老院派(ポンペイウス派)討伐にヒスパニアへ進軍したカエサル軍とムンダで衝突した。激戦となったものの、元老院派は約30,000の戦死者を出して敗北し、ラビエヌスらが戦死した。

小ポンペイウスは再び逃れたものの、カエサル軍によって捕らえられ、紀元前45年4月12日に殺害された。なお、セクストゥスは大西洋岸まで逃れ、その後10年にわたってローマへの抵抗を続けることとなった。

小ポンペイウスはクラウディアという名の女性と結婚していたが、子供はいなかったという。

最終更新 2009年4月4日 (土) 08:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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