小倉祇園太鼓
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小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)とは、福岡県北九州市小倉北区で行なわれる祭。毎年7月に行なわれる。約390年の歴史がある全国的にも有名な「祇園社の祭り」のひとつであり、福岡県内では、博多祇園山笠、戸畑祇園大山笠と並ぶ「福岡県の三大祇園祭」と称されている。
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[編集] 概要
祭りは7月第3週の金土日3日間で構成され、ハイライトは土曜日の小倉城のある勝山公園内で行われる競演大会。町内会(大人組、少年組)企業の3つのカテゴリーに分けられ、毎年数十チームが競う。
なお、前日の木曜日には「KBCラジオ 歌の祭典 小倉祇園前夜祭」が九州厚生年金会館で開催され、有名演歌歌手のステージや祇園太鼓が披露される。
かつては企業の参加は認められず、その企業がある町内のチームとして参加していたが、現在ではその規制は大幅に緩和され、北九州市役所の各部局、JR九州、JR西日本、一部の中学校などが参加し、以前とははかなり様相が異なっている。また、太鼓を載せた山車は子供たちが掛け声をかけて引いていたが、少子化により山車を引く子供が減ったため、競演会では据え太鼓部門が創設された。
以前の日程は、7月10・11・12日の三日であり10日は夕方から各町内をまわっていた。11日は昼に競演会が行われ、夜は小倉北区中心部で「太鼓広場」と称して各町内の山車が競い合うように太鼓を叩いていた。
近年は「保存会」と称して祭り期間にこだわらず、1年を通して活動している団体も多数存在するようになったが、一方で保存会が乱立し、決められた時間や場所を守らないなどのマナー違反が指摘されている。
[編集] 歴史
- 1602年(慶長7年) - 細川忠興が小倉城築城開始。
- 1617年(元和3年) - 小倉藩の総鎮守として祇園社(現:八坂神社)を創建。
- 1618年(元和4年) - 京都出身の細川忠興により、京都の祇園祭を取り入れ、小倉祇園が始められた。元々は京都祇園祭が原型の、飾り付けをした山車が用いられていた。
- 明治時代以降、現在の太鼓を打ち鳴らす祭りへと変化した。
- 1943年(昭和18年)10月28日 - 岩下俊作原作の小説・富島松五郎伝が、映画・無法松の一生として公開され、全国的に有名になった。
- 1958年(昭和33年)4月3日 - 福岡県指定無形民俗文化財に指定。
- 1987年(昭和62年) - 現行の開催日程に変更。
[編集] 太鼓の打ち方
「じゃんがら」と呼ばれるスリ鉦でリズムをとり、「カン」と呼ばれる派手な打ち手と「ドロ」と呼ばれる基本の打ち手で太鼓の両面を鳴らす。
掛け声は「やっさやれやれ」。
また、子供会などが運営する山車では、太鼓と同時に次の小倉祇園ばやしがうたわれる
- 小倉名物太鼓の祇園。太鼓打ち出せ元気出せ。あっやっさやれやれやれ。
- 小倉祇園さんはお城の中よ。赤い屋根から太鼓が響く。あっやっさやれやれやれ。
- 太鼓打つ音海山越えて。里の子供も浮かれ出す。あっやっさやれやれやれ。
- 笹の提灯太鼓にゆれて。夜は火の海小倉の祇園。あっやっさやれやれやれ。
- 八坂祇園さんに揃うて詣れ。揃い浴衣でみな詣れ。あっやっさやれやれやれ
- 関の先帝、小倉の祇園。雨が降らなきゃ金がふる。あっやっさやれやれやれ
- (以前の日程は梅雨の終盤に当たり、雨天が多かったが、日程の変更に伴い晴天が増えたため、近年では歌われなくなっているようである)
[編集] 服装
本来は、「向こう鉢巻・浴衣又は法被姿とし、白足袋に草履とする」と決められている。しかし新しく作られた幾つかの団体は半纏であったりする。映画『無法松の一生』に見られるような、ふんどし一丁はあくまで映画の衣装であり、これが事実と思われていることは誤解である。
- 祭りの元締めとなる組織では、近年、祭りを本来の姿に戻すべく、様々な規制策を取っており、祭りの参加者には上記の「正装」の着用を義務付け、それ以外の衣装を着用している者は祭りから締め出している。元締め組織も、各町や団体に対し、その旨を周知している。
- 小倉に限らず、北九州市内の山笠祭りで締め込み(ふんどし)を着用する所は皆無である。筑豊地区でも締め込みになるのは飯塚祇園山笠、等、極少数に留まる。
[編集] 関連項目
- - 現在小倉祇園太鼓は、上記行事で終わる北九州の夏祭りシーズンの開幕を告げるものとなっている。会場も一部が同じである。
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年7月19日 (日) 22:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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